戦国時代に関するよくある勘違い その2 | うぃんどふぇざぁ

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【浅井家と朝倉家は累代の同盟関係?】

歴史物の小説マンガゲームでは浅井家が織田家と敵対した理由に

浅井家にとって累代の同盟国である朝倉家に織田家が侵攻したから

ってよく言われますけど…

そもそも対織田共同戦線を張る前の浅井家と朝倉家ってホントに同盟関係でしたっけ(・ω・?)


浅井家は亮政さんの時代以来、朝倉家から軍事的圧力を掛け続けられています
その象徴であるのが浅井家の本城・小谷城にある金吾丸という曲輪です。

まだ浅井家の当主が亮政さんだった頃のことです。
亮政さんは美濃土岐家の内訌(裏で斎藤道三さんが暗躍してたアレ)に介入していて、その隙を突いた南の六角家が軍勢を繰り出してきました。そこに登場するのがみんな大好きチート爺・朝倉金吾宗滴さんです!!ワーイヽ(゚∀゚)メ(゚∀゚)メ(゚∀゚)ノワーイ

宗滴さんは朝倉軍を率いて小谷城に堂々入城、城の一角に陣を築き5ヶ月間在陣して浅井家と六角家を調停しました。その場所が宗滴さんの通称・金吾に因んで金吾丸と呼ばれるようになるのです。
一見すると浅井家にとって宗滴さんは渡りに舟、救世主に思えますが、反面とっても恐ろしい状態でもあるのです。肉親とすら骨肉の争いをする後背常ならぬ時勢に、畿内でも勇名を馳せた軍神・金吾宗滴が自ら乗り込んで来て「援軍や調停なしでは危機的状況を免れないけど、援軍と呼べるか分からない第三勢力が城内に在陣している」わけですから…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

この時から浅井家と朝倉家の関係が深まるんですけど事実上朝倉家上位の従属的関係です。
朝倉家から見れば浅井家は日本海交易において敦賀〜北国街道〜琵琶湖〜京の交易路で重要な地点を擁する隣国です。そういう意味でも浅井家を抑えないわけにはいかないのです( ̄ー ̄)
しかしそれ以上の深い関係を示す交流はなく、ビジネスライクでドライなもののようですね。

そんな浅井家と朝倉家が真に同盟国となったのは金ヶ崎退き口以降と言えるでしょう。
朝倉家三代・貞景さんの頃より実質的に当主だった宗滴さんも既に亡く、内向的になっている朝倉家。対して浅井家は家臣団から嘱望される長政さんが戦国大名化を果たして旭日の勢い。
この相対的なパワーバランスの変化と、対織田家の急先鋒として第一次信長包囲網の実質的盟主格となったことで最終的に浅井家と朝倉家は対等、そして浅井家優位の同盟となったのです!