戦国時代において「寝返る」ってどういう認識なのか | うぃんどふぇざぁ

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歴史とゲーム好きの小人族の一人がなにやらもそもそするブログ

まず一般の人が勘違いしていることを糺しておきましょうか。

大名は国人衆国衆など領主たちの庇護者であって支配者ではないということです。

大名家家臣団のうち圧倒的多数がこの領主たちです。そして実はこの領主たちの領地に大名が介入することは原則ありません。というかできません。
領主たちは自分たちの権益を保護、係争を調停や裁定してもらう代わりに大名へ軍役の請け負いや税を納める などの契約をしているのです。


例えば大名家国境の国衆で考えてみましょう。

国衆Xは大名Aに従属しています。
そこへ隣国の大名Bが軍事的圧力を掛けてきました。
そうするとAはXを保護しなければいけません
もしAが軍勢を派遣するなどの対処をせず、Xの安全が保障されないとなればXはBに保護を求めます。
Bがその訴えを受け入れればXはBに従属するのです。


こういう実情を知らず、単に大名と家臣という構図で見てしまうと裏切りと言ってしまうわけですが…
わかりますよね? 違いますよね?
保護してもらう代わりに従属してるのだから、保護してもらえないならば保護してもらえるところに従属先を変更するのは当然のことですよね。

大名は領主の権益を保護することで支持を得るのです。ということは逆に、領主の権益を侵害すると支持を失うことになります。多くの国衆の支持を失ってしまうと軍勢を編成することもできません。


その良い例が斎藤義龍さんの挙兵による父・道三さんの討滅です。国衆の支持を得られなかった道三さんは軍勢を整えられず討たれるのです…

また違う例では武田家滅亡の時の武田家中の寝返りです。
御館の乱中の上杉家との外交、その変節によって北条氏とも決裂し、先年の長篠の戦いを始めとする対織田徳川対応策に失敗。
これによって国境付近の国衆層からは不満続出。
その不安定さにトドメを刺したのが高天神城の陥落でした。高天神城には各地の国衆が詰めていて、結果的に勝頼さんはこれを見捨ててしまう形になったのです…

大名に保護してもらえる保障がない以上、保障してもらえるところへ…
というのはさっき説明した通りです。


武田家があんなにもあっさり滅亡したり、本能寺の変後に織田家が空中分解するのも大名が庇護者としての力を失ったからなのです。

こうして考えてみると、よく使われる「家臣」っていうワードが実際のところあまり適当なものとは言えないのかもしれないですねぇ…