有岡城って知ってる? 前編 | うぃんどふぇざぁ

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有岡城は地元のお城なのでちょっと愛着があります(*´艸`*)
なので今回は有岡城のお話をしようかと!!


一般には有名ではないですけど、大河ドラマ「軍師官兵衛」では主人公の岡田…じゃなくて黒田官兵衛幽閉されて命の危機となったお城として登場しました。
ってなるとなんかイメージ悪いね(;・∀・)

戦国時代好きな人にとっては一応知ってる城でありエピソードだと思います。


有岡城、元の名前を伊丹城と言いました。現在の兵庫県伊丹市に城址があります。
築城されたのは南北朝時代らしいですけど正確な年月は分かりません。
城主は地名の通りの伊丹氏です。
幼少期に父・元扶さんが敗死して逃れ流れて遂には駿河の今川さん、武田さん、徳川さんのとこで水軍の将になった 伊丹康直さんも居ます。

でも伊丹さんたちのお話はこの辺で有岡城の話を…


有岡城という名前は伊丹氏を滅ぼして自分の居城にした荒木村重さんが大改修を施して改名したものです。

この改修で有岡城は惣構えという城郭タイプに進化しました!
惣構えっていうのは城下町も塀と堀などの城郭内に組み込んだ構造のことです。
惣構えで有名なのは関東の雄北条氏の小田原城、天下人豊臣秀吉の大坂城、徳川幕府将軍家の江戸城など、どれも日本を代表する巨城ばかり(@_@)

有岡城の規模はさすがにこれらの巨城には劣りますが、なんと言っても特筆すべきは「惣構えのうち現存する最古の遺構」であることなのです(`・∀・´)エッヘン!!
つまり惣構えの先駆け的存在なのです(`・∀・´)エッヘン!!(`・∀・´)エッヘン!!

なので城域はけっこう広いんですよね有岡城。南北約1.7km、東西約400mあります。
え?言うほどデカくないって?
(ΦωΦ)フフフ…それは本当の戦国時代を知らないからです。
みんなが思い浮かべるお城の築城年や改修年を確認してください。大城郭を持つお城はみんな平和になった時代のものじゃないですか?

戦国時代ってお城建てるときに気にしないとダメなのが工事費とか人員とか以外に外敵の存在っていうのが大きいんですよね。
敵からしてみればお城なんて最上級の軍事施設の建設を黙って見てるわけにいかないですもん!

平和な時代は良いですよ、大規模な工事で工期が長くなってもそんな大事にならないですもん。
戦国まっただ中で工期が長くなればどうなるか…
のろのろやってればお城の構造だってバレちゃうし、不完全な防備のままいつ敵襲があるか分からないし、工作員が紛れる可能性も高くなっていく…

改修当時織田方である村重さん有岡城近辺はというと…
東には織田足利対立で足利方に付いた村重さんの旧主・池田勝正さんの拠る池田城、南東には信長さん最大の敵・一向宗こと浄土真宗本願寺法主顕如上人の篭もる石山本願寺、西には織田に付くのを良しとしない旧赤松方毛利方播磨国衆、統治する摂津国内にも畿内復権を目指す三好党一向宗徒が蠢動しています…

ヤバいッス! いろんな敵性勢力ばっかりッス!
こんな中で人足掻き集めて付きっきりで悠々と築城はできません…

実はこれ内政事業にも言えるんですよね。だから豊臣徳川期になって初めて大規模な新田開発や灌漑水路建設なんかがあちこちで行われるようになるんです。
技術の向上と伝播も大事な要素なんですけど、それも豊臣徳川政権下にあってこそ共同普請とか公儀奉行とか出来るんです。



長くなってきましたね…
一旦切り上げます! 続きはWebで!