天草版平家物語で戦国時代の日本語を見てみる その1 序文 | うぃんどふぇざぁ

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ブログ主は何かの専門家でもなく素人です。
原文は全てポルトガル式ローマ字で書かれており、日本語表記などは私個人による独自のものです。
自学のために書いています。
では本文をどうぞ。↓
 
 
平家物語 卷第一
Feiqe no monogatari vol.1
 

日本の言葉とHistoria(歴史)を習ひ知らんと欲する人の為に世話に和らけたる平家の物語。

にふぉんのことばと Historiaうぉ ならいしらんと ふぉっする ふぃとのために しぇわにやわらげたる ふぇいけのものがたり。
 
IESVS(イエスス)のCOMPANHIA(修道会)のCollegio(神学校)天草に於てSuperiores(高位聖職者?)の御免許として是を版に刻む者也。
IESVSのCOMPANHIAのCollegioあまくさに うぉいてSperioresのごめんきょとして これうぉふぁんにきざむものなり。
 
御出世(?)よりM.D.XXXXIL。
ごしゅっしぇよりM.D.XXXXIL。
 
此一巻には日本の平家と云ふ Historiaと、Morales(道徳) Sentencas(文章)と、Europa(ヨーロッパ)のEsopoのFabulas(イソップ寓話)をおす者也。
このいちくぁんにわ にっぽんのふぇいけとゆー Historiaと、Morales Sentencasと、EuropaのEsopoのFabulasうぉ うぉすものなり。
 
然者此等の作者はGerio(?)にて、其題目もさのみ重々しからさる儀也と見ゆると雖も、且つは言葉稽古の為、且つは世の徳の為、此等の類の書物を版に開く事は、Ecclesia(教会)に於て珍からさる儀也。
しかればこれらのさくしゃわ Gerioにて、そのだいもくも さのみ うぉもうぉもしからざる ぎなりと、みゆると いいぇども、かつわ ことばけいこ のため、かつわ よのとくのため、これらのたぐいの しょもt うぉ ふぁんに ふぃらくことわ、Ecclesiaにうぉいて めずらしからざる ぎなり。
※「書物」などの漢語で語尾が「つ」になる時は母音が付かず子音のみの発音なので「t」と書いている。
 
かくの如きの極めは、Deusの御奉公を心さし、其Gloriaを乞ひ願ふにあり。
かくのごときの きわめわ、Deusの ごふぉーこーうぉ こころざし、そのGloriaうぉ こいねごぁーにあり。
 
然者此Collegioに於て今迄版に開たる経は此等の儀に付て定め置かるる法度の心宛に應して詮索したる如く、此一部をもSuperioresより定め給ふ人々の詮索を以版に開きて良からんと定られたる者也。
しかればこのCollegioにうぉいて いままでふぁん にふぃらきたる きょぁーわ これらのぎについて さだめ うぉかるる ふぁっとのこころあてに うぉーじて しぇんさくしたるごとく、このいちぶうぉもSuperioresよりさだめたもぁー ふぃとびとのしぇんさくうぉもって ふぁんにふぃらきてよからんと さだめられたるものなり。
 
天草に於てFeuereiro(2月)の、23、日に是を書す。時に御出世(?)のnenqi(?)。1593。
あまくさに うぉいてFeuereiroの、23、にちにこれをしょす。ときにごしゅっしぇのねんき。1593。