天草版平家物語で戦国時代の日本語を見てみる その2 序文 | うぃんどふぇざぁ

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歴史とゲーム好きの小人族の一人がなにやらもそもそするブログ

読誦の人に對して書す。
どくじゅの ふぃとに たいして しょす。

夫IESVSのCompanhiaのPadre(司祭) Irman(助修士)故郷を去て蒼波萬里を遠しとし給はす、茫々たる巨海に舟渡して粟散辺地の扶桑に跡を留め、天の御法を廣め、迷へる衆生を導かんと精々を抽て給ふ事爰に切と也。
それ IESVSの Companhiaの Padre Irman こきょぁーうぉ さって そぁーふぁ ばんりうぉ とうぉしと したまわず、ぼぁーぼぁーたる こかいに ふなわたりして そくさーふぇんぢ(現在はゾクサンヘンチ)ふそぁーに あとうぉ とどめ、てんの みのりうぉ ふぃろめ、まよいぇる しゅじょぁーうぉ みちびかんと しぇいじぇいを ぬきんで たもぁーこと ここに しぇtとなり。

予も亦造悪不善の身にして、些以功力わし(なし?)と雖も、此人々を師とし、其しりへに随ひ、願ひを同うす。
よもまた ぞぁーあく ふじぇんの みにして、いささかもって くりき わし(?)と いいぇども、このふぃとびとうぉ し とし、その しりいぇに したがい、ねがいうぉ うぉなじゅーす。

是を物に比する則、蠅驥(蒼蠅驥尾そうようきび)に付くに異ならす:師爰に於て予に示し給ふは、工匠の家屋を作らんと欲するには、先つ其器物を疾くし、漁人の魚鱗を得んと思ふ則、退て網を結ふに如事無し。
これうぉ ものに ふぃするときんば、ふぁいきにつくに ことならず:し ここにうぉいて よにしめしたもぁーわ、こーしょぁーの かうぉくうぉ つくらんと ふぉっするにわ、まづ(ず、づは発音異なる)その うつわものうぉ とくし、ぎょじんの ぎょりんうぉ いぇんと うぉもー ときんば、しりぞいて あみうぉ むすぶに しくことなし。

然者我等の此國に來而、天の御法を説かんとするには、此國の風俗を知り、又言葉を達す可き事專也。
さればわれらの このくににきたって、てんのみのりうぉ とかんとするにわ、このくにのふーぞくうぉしり、またことばうぉ たっすべきこと もっぱらなり。

斯るか故に此兩条の助けと成る可きIichiiqi(?)の書を我國の文字に写し、梓に鏤めんとす:汝其書を撰て是を編めと、我基より巧浅うして、才短し:力の及ふ處に有らさるに依て、xengi bantaiすと雖も、Saneta Obedientiaの旨に任せ、是非を論せす、貴命に随ふ者也。
かるがゆいぇに このりょぁーじょーの たすけとなるべき イイチイキ(?)の しょうぉ わがくにの もんじにうつし、しに ちりばめーとす。なーぢ そのしょうぉ いぇらんでこれうぉ あめと、われもとより たくみあそぁーして、さい みじかし。ちからの うぉよぶところに あらざるによって、しぇんじ ばんたいす といいぇども、Saneta Obedientiaの むねにまかしぇ、じぇふぃうぉ ろんじぇず、きめいにしたごぁー ものなり。

然れは言葉を學ひかてらにIchijqiの往時を訪ふ可き書是多しと雖も、就中叡山の住侶、文才に名高き玄慧法印の製作平家物語に如は有らしと思ふに、此れを撰て書写せんと欲するに臨て、又我が師宣ふは。今此平家をは書物の如くにせす、兩人相對して雑談を成すか如く、言葉のてにはを書写せよと也。其故を尋ぬれは下學して上達するは常の法也。何そ基を努めすして末を取らんや? 賢きより賢からんとならは、其の手立を變へ、一隅を守る可からす。
しかればことばうぉ まなびがてらに Iichijqiの うぉぁーじうぉ とむろぁーべき しょ これ うぉうぉしといいぇども、なかんづく いぇいざーの じゅーりょもんさいに なたかき げんいぇふぉーいの しぇいさく ふぇいけものがたりに しくわあらじと うぉもーに、これうぉ いぇらんで しょじゃしぇんと ふぉっするにのぞんで、また わがし のたもぁーわ。いまこの ふぇいけうぉば しょもtのごとくにしぇず、りょぁーにん あいたいして ぞぁーたん(現在はザツダン)うぉ なすがごとく、ことばのてにふぁうぉ しょじゃ しぇよとなり:そのゆいぇうぉ たづぬれば、かがくして しょぁーたt(現在はジョウタツ)するわ つねのふぉぁーなり。なんぞ もとうぉ つとめずして すいぇうぉとらんや? かしこきより かしこからんとならば、そのてだてうぉかいぇ、いちぐぁーうぉ まもるべからず。