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  SHOWBOAT~舞台船~

   明石智水公式Blog

  役者として舞台を中心に活動している明石智水の仕事の事だったり
  日常の事だったり、考えていることだったり。。。徒然草です(*'‐'*)

前回に引き続き、舞台を観てくださった方に聞かれたことシリーズ!

最も答えやすい質問No.1で、それ関連のネタも豊富だったのは

「真っ暗になってから人がいなくなったり、出てきてたり。どうなってるの?」


先ず、私は基本的に舞台にお客様を呼ぶとき、出来れば関係者は呼びたくないと考えている役者です。
日本の舞台は、役者に集客を求めるため、申し訳ないと思いつつも同業者に観に来ていただくことが多々あります。
でも、理想は同業者ではない方。
舞台関係者ではない一般の方に多く観ていただくのが一番だと考えています。
一般の方に多く観て頂いて、舞台の魅力、ライブの芝居が持つ魅力を知っていただきたい!
身内の中でのチケットの売買は、日本の舞台では当たり前です。
良くない風習です。
でも、それが仕方ないような状況が、悲しいかな現実です。
この話はまたどこか別の機会にでも…


舞台関係者ではないお客様には、暗転中の出来事が気になるようです。
答えはシンプル。
蓄光テープという、明かりを吸って暗い時に光ってくれるテープを使っています。
役者はこのテープを頼りにして、暗闇の中動いています。
舞台の袖と呼ばれるステージ両脇にある幕の奥には、暗闇の中からはけてきた役者のために表には漏れない明かりを設置していたりします。
小さな劇場では袖明かりと呼ばれる、小さな明かりを利用したり、少し大きめの舞台になると、LEDライトの細い管を床に這わせていたり。
舞台に向かって左(下手)と右(上手)で、赤と青のように色の違うLEDを這わせるのが一般的です。
真っ暗な中、役者は赤い方とか青い方とかを目指して去っているわけです。
舞台監督さんは小さなトーチ(懐中電灯)を持っていて、暗闇からはけてくる役者のために袖中で床に光を落としていてくれることもあります。
私も、舞台で袖明かりが少ない時には自前のミニトーチを持っています。
舞台上に明かりが漏れるのを防ぐため、ライト部分に青いセロファンを貼って使っています。

蓄光テープは、舞台が明るい時にその明かりを吸込み、真っ暗になった時に光ってくれ、舞台上に段差がある時にはその際や、障害物になるもの、舞台上の椅子や机といった道具やそれを置く位置、いわゆるバミリ等に貼って、事故を避けて役者が移動することや、道具の正しい移動を助けてくれています。

この蓄光テープですが、とても小さくカットしたものをポイントごとに貼るので、鳥目の人はあっても見えないことがあります。
そんな時にはどうしているか?
私の経験上、見える人に手を引いてもらっていました。
なので、舞台の暗闇の中では、万が一間違えで明かりが付いてしまったら、敵役同士が仲良さそうに手を繋いで歩いている姿が展開されていたりすることもあります。
過去には、役者が1列に並んだ状態で暗転になった後、全員手を繋いで仲良く一列にはけたなんてこともあります。
それが出来ない場合は、暗くなったらこの方向にどれくらい向いて何歩くらいとか、事前に記憶しています。
とにかく舞台袖の入口が見える角度まで移動することが必要です。
稽古でですが、それに失敗し、袖幕にくるまって暴れていた役者もいました。
袖幕は黒いのでそこに突進してしまうと、予想外に本物の闇を経験することになります。。。

自分一人で舞台の上でスポットを浴びているところからの暗転は、自分自身が明かりの方を見ていることもあり、暗くなった直後は蓄光テープが見えづらくなります。
照明さんによっては、このようなケースでは真っ暗にする前に一度照明の明るさを上げることもあるので(いわゆる目眩まし)、その場合はなおさらです。
お客様にかけた目眩ましは、その明かりを浴びている役者にもかかっています。
当然、暗くなった後目が慣れるまでに時間がかかり、蓄光テープも見えづらくなるんです。
その為、暗くなる前に横を向いている役者は、客に見えない方の目を閉じて、片目だけ暗さに目を慣らしていたりすることもあります。

便利な蓄光テープですが、貼りすぎると逆にどれを見て良いのか役者が迷う原因になったりします。
客席からも、暗転中にキラキラ光って見えるため、役者達はこの状態を『プラネタリウム』とか『星空』と呼んでいます。良くない意味で。
なお 暗い中では蓄光でなくとも白は目立つため、舞台の袖口の床には白いテープを貼ったりします。
暗い中でも真っ白な衣装の人は客席から移動が見えたりします。
一緒にはける役者が白い衣装を着ていたら、それだけでいい目印です。

さすがに目印があるからとはいえ暗闇は怖いので、舞台では本番前の場当たりという稽古で、転換稽古と呼ばれる稽古をします。
場面が変わるために真っ暗になる時の移動を確認する稽古です。
先ず明るい中で導線を確認し、その段階で蓄光テープのある場所を確認して、必要なところになければ舞台監督さんに貼ってもらってから、暗闇の中で動く稽古です。
場当たりでは、早替えなどもチェックされるため、はけてすぐ着替えのために楽屋に戻ったら、暗転で問題が生じていて、着替え直してやり直しなんてことも良くあります。
そのせいなのか、役者は着替えが早いです。

私が初めて演出した『サーカス物語』では、演出として、この真っ暗闇になる暗転は使用せず、ブル転と呼ばれる、暗いブルーの照明を真っ暗にすることに代える転換方法を用いました。
このように、真っ暗闇にならない舞台というのも存在はします。
私がこの時暗転を使用しなかったのは、物語の中で物語が劇中劇のように進行する作品だったため、転換までを演技して見せる演出にしたからです。
それ以外の理由でも、例えばお年を召した役者さんが多く安全のためにブル転にすることなどもあります。

しかし、真っ暗闇になる暗転のある舞台では、リハーサルでも本番でも、事故が起こりやすい状態だけに面白いことが沢山起こります。

リハーサルで、明かりがついたら人は正しい場所にいたのに、出てくる道具、テーブルとか椅子とかが、あさっての所にいたなんてことは稀にあります。
私が経験した中では、暗闇の中で分からなかったけど、暗い間に出ているはずのちゃぶ台が、明かりがついたら無かったということが、10代の頃出た舞台でありました。
明かりがついた時にあるべきものがなかったので、ちょっとフリーズしかけました。
他にも、先に書いた転換稽古中、暗闇の中でゴン!という音と「イテッ!」という声が聞こえて笑ってしまったとか、暗い中退場しなければいけなかった役者が、目印の蓄光テープを見誤って舞台から落ちる等、ハプニングは起こります。
舞台監督さんは暗視カメラでチェックしていますが、いなくなったから退場したと思って照明さんに次の場面の明かりを点ける指示を出し、明かりが付いたら舞台から落ちた役者さんが舞台によじ登ろうとしていたとか、珍しいケースではありますがありました。
次の場面に出演していた役者さんは、その場面にいないはずの人物が舞台に下からよじ登ってくる姿に、相当焦ったそうです。

私は若い頃鳥目気味だった為、暗転は恐怖でした。
今は意外と見えるようになり、なんとかやっていけています。
食べるものに気を使って、夜盲症の対策に努めました。
食べ物って大切ですね。

話は変わりますが、善光寺のお戒壇巡りに行った時、闇の中でも右手を壁に付けていれば大丈夫なのですが、完全に闇で、それ以降舞台の暗転をそこまで闇と感じなくなったと言うことがあります。
舞台前に見る夢の話みたいですが、まだ舞台の暗転の方が見える。みたいな(笑)
そんな経験ばっかりですね、私。

暗転と言えば、暗闇の中での事故で肋骨にヒビが入る怪我を本番中に経験したこともあります。
舞台というのは、意外にも危険と隣り合わせです。
その為、集中力が重要です。
そのせいか、結構ベテランの役者さんで若い頃はTVで活躍したなんて方が「舞台は怖い」というのも聞いたりしました。
やり直しの効かないライブと言うだけでも、スリル満点ですからね。

でも、舞台の人間としては、そのスリルこそが面白いと思ってしまいます。
毎回ドキドキしますが、だから面白いというところにハマると、舞台から抜け出せなくなります。
このライブならではのドキドキは、舞台を観るのが好きな人にもあるのではないでしょうか?
同じ舞台を複数回観た時「この間とここが違った」なんてのを見つけるのもライブの楽しみです。

今稽古している舞台、『ターニングポイント』はダブルキャスト構成なので、2つの組を見比べるというのも楽しいと思います。




http://confetti-web.com/turning-point2023

同じお芝居でも演じる人が変われば、随分と印象が変わるものです。
再演物でもあります。
同じ作品でも、ライブなので毎回どこかが微妙に違う、キャストが変われば更に変化がある。そんなふうに生きているLIVEの良さが、舞台にはあります。
客席の空気でも舞台は変化します。
観客は傍観者ではなく参加者にもなっている。
それが舞台の最大の魅力です。
舞台上の役者は客席の空気を常に感じていますので。


海外はロングランなので、キャストチェンジのたびに同じ作品を観に行くと言うのが楽しみでした。
お気に入りのキャストに出会うと、「次もこのヒトで観たい!」となるもので、そういう手紙を書いたこともあります。
オランダの舞台に出演していたカナダ人の俳優さんが素晴らしく、「次はいついつに行く予定ですが、未だその時のこの俳優さんは出ていますか?」という問い合わせの手紙を劇場に送ったら、その俳優さん本人から、『ミス・サイゴン』というミュージカルでしたが、オランダキャストのCDのジャケットに全キャストのサインを入れたものと返事が届き「君が来てくれたときにはまだ出ていなかったけど、CD出たので送ります。次来る予定だという時にも出ているので終わった後楽屋口に来てください。ぜひ会いましょう」と。
ビックリですよね。
オランダ人の友人の家に泊まって観に行っていたので、その次も2人で観に行って楽屋口まで行き、楽屋でお芝居の話しなど色々聞いたり、その俳優さんが「彼女は日本人だけど、今ロンドンで舞台の勉強をしていて、わざわざロンドンから来てくれたから見せてあげて」と終演後バックステージツアーまでしてくれました。

聞けば、オランダ語も満足に話せずホームシックになっていた時、劇場の人が「こんな手紙が来てたぞ」と励ますために私の手紙を見せてくれて元気が出たので、ぜひ会いたいと思ってくれたそうです。
彼はトゥイという役を演じていて、『ミス・サイゴン』のコンプリートレコーディング、各国の良いキャストを集めたCDでもトゥイ役を演じています。
『レ・ミゼラブル』のマリウス役でデビューし、歳を取ってからは『Cats』のオールドデュトロノミー役などを演じている、実力派の俳優さんです。 
わたしが観た中でのベストトゥイです。
興味のある方は、コンプリートレコーディングを聞いてみて下さい。

話はズレましたが、舞台という世界は、常に観客もそのピースの一つ。
観に行くと言うだけでなく、その空気に参加するという気持ちで来てもらって、喜ぶ役者はいても困る役者はいません。
一緒に同じ空気の中に参加して欲しいと、舞台役者はいつも思っています。
結構体験型エンタメなんですよ、舞台って。


お芝居なんてやっていると、観に来てくれた方から良く聞かれる質問というのがあります。

その中で返答に困る質問の筆頭が

「どうやってセリフ覚えてるの?」

かな、と個人的には思っています。

前に若い役者さんと話した時に、写真に撮るように台本を画像で覚えてると言う人がいましたが、これが出来る役者は実は少なくありません。
若くから芝居をしている人は、比較的強く意識はしなくても、セリフを覚えるのが得意だった人が多いように思います。
皆が皆、写真に撮るように画像として覚えているわけではないと思いますが、若い間に何かしら自分で「これは自分に向いている」と思う要素があって続けるのだと思うので、すぐにセリフが覚えられるというのもその要素になっている可能性があります。

私も、切羽詰まった時限定で、この「写真に撮るように」が出来ます。
これが出来るという役者にはこれまでに何人も会っていて、中には先輩で

「俺も出来るんだけど、台本が頭の中に見えてるのに読めない漢字があって困った事がある。だから、今はまずフリガナをふる」

なんて方も。
見ると写真に撮るように覚えてしまうけど、読めなかった、と。
これは切ない。。。

多く見るのは、自分のセリフにマーカーを引いている役者さんです。
私はしないのですが、集中力を高めるためにやっているのだと思います。
セリフを覚えるには集中力が必要ですし、集中力の高め方は人それぞれ。
私がマーカーを引かないのは、自分の台詞だけに集中してしまい、他の人のセリフやト書への集中力が削がれるからです。
全体的に集中したいので、結果として後で思い浮かべる時に台本の画像が浮かぶことは良くあります。


他の音が入ると集中出来ない人もいれば、雑音があった方が集中出来るという人もいます。
私はどちらでも平気で、むしろ自分の状態の方が重要なタイプですが、集中すると雑音があっても聞こえなくなるため、電車の中で台本を読むと乗り過ごしがちです。
それで何度も泣きました。。。

何度も何度も台本を読んで覚えると言う人もいますし、少い回数でものすごく集中して読んで覚えるという人もいます。
私はどちらかと言えば後者です。
その為、初回が一番読むのに時間が掛かります。

何度も言って覚えるという人もいれば、人に読んでもらって自分のセリフを耳から入れる事によって覚えやすくなると言う人も。
私は、役をスイッチして他の役の言ってることを自分で理解しつつ、自分のセリフを耳から入れると覚えやすいという経験をしたことがあるので、その気持ちは分かります。

しかし、物覚えというのは歳を取ると悪くなってくるもので、若い時にはそれなりに得意だったセリフを覚えるという行為も、だんだん時間が掛かるようになりました。

セリフを覚えるのが得意なら、さぞかし学校の暗記科目は得意だったろうと言われることもありますが、メチャクチ苦手でした。。。残念。。。
ダンサーが、運動神経良さそうに見えて意外と鈍臭かったりするのと似ています。
もちろん運動神経の良いダンサーもいますが、私は若い頃、球技は全滅ダンサーでした。
バスケットをやればゴールの板に当たって跳ね返ったボールを漫画の如く顔面で受け止め、テニスをすれば場外ホームラン連発はまだマシ。え?と驚かれるような見事な空振りを繰出す事も珍しくありません。
物を持った途端、持った物に集中してしまうため、居合を少しやった時にも苦労しました。


話は戻り、セリフには覚えやすいものと覚えにくいものがあります。
これはある程度どの役者にも共通していると思います。
もちろん、覚えやすいものと覚えにくいもののタイプは人それぞれなのですが。
多くの場合で、そのセリフが発せられる心理状態に自分を持っていくのが難しいものや、自分の解釈と演出の解釈に食い違いがあり、演出家の解釈を理解しかねている段階、つまり自分がそのセリフでやるべきだと思っていることと演出がやってほしがっていることとの間に隙間がある時に、セリフが入りづらくなる傾向があると思います。
セリフが難解であったり、その時の心理状況が自分の中でクリアにならない時にも、セリフが入りづらくなります。
自分との共通点がある役は、逆に相違点とのバランスで覚えにくいという人もいますし、自分とかけ離れすぎていて想像するのが難しい役だと覚えにくいという人もいます。


セリフ覚えと一言に言っても、役者はその覚えたセリフが的確なタイミングで的確な方法で表現出来るかというところまでを含めて言っているので、「覚えているのに出てこない」ということは稽古中には起こったりします。
例えば、複雑な動きを指示されて動きに集中力を多く割き過ぎてしまったり、セリフの表現に度重なるダメ出しを受けた結果、表現の仕方に集中力を割き過ぎてしまったりした場合などです。

一口にセリフと言っても、ただ暗記しているだけではないんです。

どうやって覚えるのかも人それぞれ。

敢えて言うなら、私は元々本を読んでいる時には頭の中に本の中の世界が出来上がっているので、読んだ本の内容自体をわりとよく覚えている方です。
台本を読む時にも、それに近いものがあります。
文字の羅列を覚えようとしても、さすがに難しいですし私も無理です。

現在稽古中の『ターニングポイント』は、元々私のセリフは多くありませんが、何度か同作品の演出家とのお仕事を経験しているので、読んだ時点でイメージが浮かびやすく、覚えるのはラクな方でした。
コメディと言うのはテンポや間が大切ですが、読んでいて「このテンポだろう」とかイメージが、読んだ時点である程度分かると、セリフそのものは比較的スルッと入ります。
テンポが早いやり取りもあると想定していたので、その想定で台本を呼んで覚えました。




稽古は順調に進行中で、コメディだけに稽古場も笑いに溢れています。
ぜひぜひ、楽しみに劇場まで起こし下さい✨

チケットはカンフェティにて好評発売中です!
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ご予約がまだの方は、ぜひ💕

今年の夏は絶賛稽古中です。

高校生の一夏での成長を描いた『ダンスレボリューション』のスピンオフ版、ダンレボでの主人公のママを中心にした、子育ての悩みや人生の選択など、大人ならではの「ホントのワタシ」をテーマにした『ターニングポイント』。





チケットはカンフェティにて。
ご予約時には「明石智水」をご選択下さいますよう、お願いいたします。

シングルキャストで全日程に出演しています。
そして、ちょいちょい踊ってます。

若者と一緒に振付の稽古は、楽しくて元気をもらえました。
でも、レッスン教えてから振付を受けに行って若い子とはしゃいだら、翌日結構身体に来ました(笑)
やっぱり歳には逆らえない。。。
若ぶってもアラフィフ。。。
若い子に「お母さんと同じ歳だぁ」と言われちゃいました。
いや、忘れてたわけじゃないんですけどね、そんな歳でした。。。

レッスン生で今回同舞台のハート版に出演するメンバーは、振付の時に、本来出演予定ではなかったダンスシーンに出たいと希望を伝えたところ、出られることに!
昨日一緒に振付を受けてきましたが、そのナンバーでは最年長ダンサーではないでしょうか。

ダンス経験は長くなくとも、体が利くというのは、役者には重要です。
仲代達矢さんなんて、齢90にして舞台で素敵に華麗なステップを披露されていました。
やっぱり体が利く方は見た目も若々しく見えます。
エネルギーもありますし。
体を動かしている人かどうかは、立ち姿で分かってしまうので、役者をやる人はダンスなり日舞なり、体を動かすトレーニングはしておいた方が良いです。
どちらも表現するという、演技に通じる要素もあるので、やっていた方が役の表現にも幅が出ます。
どんなにセリフがうまく言えても、木偶の坊では舞台では使えませんからね。


私は子どもの頃からバレエを習っていましたが、それとは関係なく元々体を動かすのが好きな方で、夏休みの宿題をそれで逃げたこともある程です。

中学生の時ですが、五教科全てで宿題が出て、
「やって来なかったら一教科につきグラウンド20週」
と言われたんです。
夏休みに入る前に。
この時点で💡💡💡です。
宿題一つもやりませんでした。
夏休み明け、宿題提出の場面で

「グラウンド100週走りまーす!」

私の他にも男子で同じ事した子はいましたが、女子では私一人でした。
バカみたいですが、本当にやりました。。。

その後30代に入ってから甲状腺に腫瘍(悪性じゃないっぽいです)が見つかるまで、体力にはとことん自信があったのですが、その後少し疲れやすくなり、甲状腺のせいにしてました。
でも、昨日若い子に

「お母さんと同じ歳だぁ」

を言われて考えを改めました。
普通に歳ですね💦

11月に生徒さんの発表を出来るかもしれない場があるかもしれないのと、来年はジャズとのコラボ公演もまたやりたいのとで、色々と準備をしていて、それをやりながら舞台の稽古で踊ってられるのは、まだまだ年齢にしては体力ある方ではないかとポジティブに捉えて、日々暑さニモマケズ頑張ってます!

皆さんは、良く見る夢ってありますか?
私はあります。
しかも舞台の本番前限定で見る夢が。

舞台前なら絶対に見るというわけではなく、不安の多い舞台の前に見ることが多い夢です。

どんな夢かというと、台本をまだ読んでもいないのに本番が始まるという夢です。
メチャクチャ怖いです。。。

毎回同じシチュエーションで、急遽の代役のような感じで稽古場のような広い場所にいて、まわりはみんな、それまでにしっかり稽古して全てを把握しているのですが、私だけ

「台本無くても行けるよね?」

と言われ、台本を渡されることもなく

「明日から本番です」

と。
私はなんとかして共演者に台本を見せてもらおうとするんですが、「もう覚えてるから持ってきていない」とか「台本無くても平気だよ」とか言われ、最後まで見ることが出来ない。
そして本番が始まるわけです。
セリフは疎か、稽古もしていないので出はけも分からない。
裏で色んな人に「私こっちからで良いんですか?」とか聞いて、舞台に出たら出たで台本通り演技する他の共演者の中、アドリブで合わせて、はけた後も「ここではけて良かったんですよね?こっちで良かったんですよね?」と聞くと「またすぐ出番だよ」とか言われる。
精神的に疲れ切って目を覚まして、実際にもうすぐ本番が来ようとしている不安の多い舞台に対して

「台本もらってて稽古してるだけマシだから、大丈夫」

と思うんです。


実は私、結構心配性で、例えば初めて行く場所なんか一時間くらい前に着くようにして、場所を確認してからお茶したり、舞台の稽古で。稽古場ジプシー(複数の稽古場を使い、稽古日によって場所が違う)の時なんか、その日の稽古場はどこか、前日に確認し、家を出る前に確認し、家を出た後電車に乗ったタイミングでも確認します。
電車に乗ってすぐのタイミングなら、万が一誤解していても修正可能なので。
稽古スケジュールも、制作から頂いたものをプリントアウトしているのに、他の予定と一緒に手帳にも書いているので、手帳を確認し、プリントアウトしたものを確認しを何度も繰り返してしまったりします。

今は自分の精神的な持って行き方が分かっているのであまりありませんが、10代の頃なんかは舞台に出る直前に、稽古で間違えたところが脳裏をよぎり

「もしかして間違うんじゃないか」

という不安にかられたりしていました。
それでも、初舞台の時から舞台に上がる時には

「考えても仕方ない。間違ったとしたってやるしかないんだ。何とかなる!」

と開き直り、舞台の上では直前までの不安はキレイに消えている。
そんなふうにやって来たので、緊張もするし不安もあるわけですが、舞台上ではそこまでではない。
でも、この夢の中では緊張しっぱなしです。


見ている間は気が気ではありません。
夢を見ている時に「これは夢」という意識はあるのですが、とはいえやはりドキドキします。
ですが、目が覚めた後

「台本もあって、稽古もしてきて、不安になることなんか何もないじゃないか」

と思えるので、疲れはするけれど、ネガティブな夢ではないのかもしれません。
元々は、不安が見せている夢なのでしょうが、その不安度合いが有り得ないレベルで夢になっているので、現実の不安の方が小さく感じられるという。

ちなみに不安の多い舞台というのは、例えばほぼ出ずっぱりで台詞も多く、稽古場でわりとギリギリまでミスがあったとか、演出家が舞台慣れしておらず演者に不安を与えているとか、演出の言うことが毎回違って混乱するとか、芝居以外の不安要素があって集中力が途切れやすいとか、イロイロと要素はあります。
でも、幕が開く日は決まっているので、そのへんの開き直りと言うか、気持ちの持って行きようは回数を重ねると自分で分かってきます。
夢で、現実より過酷な状況を夢に見るのも、不安の表れでありつつも、「これよりはマシ」と、どこかで自分の気持ちを持ち上げようとしているのかもしれません。

舞台の稽古が始まりました。
顔合わせ後、お稽古は歌稽古から始まりました。

今回はミュージカルなので。
↓↓↓

昔はキーボード持ってましたが、今はタブレットに入れたピアノアプリで音を取ってます。
便利な世の中になりました。

でも、なんだか未だにアプリのピアノに慣れず、軽いタッチで音は鳴るのに力入れて鍵盤を押さえちゃいます。
分かってるのにやっちゃう。。。

今回、自分の歌うコーラスパートが稽古まで分からないというのがあって、二声(主役のパートを入れると三声ですが)の部分を両方弾いてどちらも歌えるように音取りしていました。

ハモる部分の覚え方って人によって違うと思うんですが、私は自分の歌う音単体だけでなく、他のパートとの和音で覚えた方が入りやすいタイプ。
単音を拾った後に和音で覚えるんですが、こんな事をしてるため、好きでよく見ている『ハモリ我慢』で、メインメロディの方が釣られまくってるのに淡々と自分のパートを保ててるハモリの方々、尊敬します。
メインメロディを歌ってる人が派手にどこかに飛んていっちゃってる時は分かるんですが、少しズレた状態で、まるで移調したようにメロディラインを保って歌い続けてるところで正しい音を保つとか、私には絶対に無理。


私も若い頃は歌のレッスンを受けていたことがあるんですが、その中で最強に面白かった先生がいました。
その先生はミュージカルとクラシックを教えていましたが、ホワンとした緩めな感じのわりに生徒さんには劇団四季の、当時四季を観ていた人なら誰でも知ってるようなメインどころの俳優さんの四季入団前後を教えていたり、私が習っていた時には東京芸大の声楽科の方なんかも教えていました。

「劇団四季の○○くんって知ってる?いや〜、歌下手くそだったんだよね〜」

とか言ってましたが、四季を観てる人には有名な人過ぎて反応に困るという。。。

その先生のところでは毎年、発表会的にコンサートがあったんですが、元々が歌ではなくチェロの人だったせいか、伴奏がピアノだけではなく弦まで入った上に、弦の人にはN響の人までいたりして、クラシック曲でないミュージカルソングを歌う人には当たりが強くちょっと怖かったりしました。
そんなコンサートの楽屋で、当時芸大の大学院生だった方と私、後に劇団四季に行くことになった私と同じ年の子で

「今までに先生にやらされた一番おかしなこと」

という話で盛り上がったことがあります。

私の体験談は、

「右の鼻の穴からだけ息を吸って」

というものでした。
歌う前に息を吸った時に

「右の鼻の穴からだけ息が通ってない」

と止められ、そのセリフ。
左の鼻の穴を押さえようとしたら

「押さえちゃダメ」

ですって。。。
分かりますかね?
鼻の穴を塞ぐこと無く、右の鼻の穴からだけ息を吸うって言うリクエストの難しさ。
何度か繰り返した後

「よし、今入った!」

と歌わされ

「違い分かる?」

と聞かれましたが、全く分かりませんでした……

この「違い分かる?」には、右手の薬指パターンもありました。
歌ってる時に「なんか詰まってるな〜。手の指一本ずつほぐしてみて」と言われ、やったら右手の薬指で「そこだ!」と言われ、

「違い分かる?」

もうね、全然分からなかったです💦


なお、芸大の方の一番の面白体験は、その場で逆立ちさせられるというものだったそうです。

この芸大の方も面白い方で、テノールの歌手でしたが、「僕もミュージカルの歌を歌ってみたい!」と、ラ・マンチャの男の『The Impossible Dream』
を歌ったものの、「イタリアン語やドイツ語の歌詞なら慣れてるけど、英語は慣れてない」と最後まで歌詞覚えられず。。。
両手を広げて朗々と歌っていましたが、広げた両手の手のひらが自分の方を向くような広げ方で、手のひらにガッツリ歌詞書いてました。

この時の先生が本当に変わった人だと感じたのは、ある日いきなり歌を教えるのを辞めてしまったことです。

ある時、本当に突然に

「しきに興味あるんだよね」

と言い出し、

「四季?」

と思ったら、「指揮」でした。
「指揮の勉強するから歌はもう教えられない」
と……

確かにその少し前に、ピアノ伴奏をやめて生徒の歌を指揮し始めることはあったのですが。。。
ただ、先生の指揮は歌いやすく引っ張ってくれるものだったので、指揮者の重要性を感じる良い経験にはなりました。

本当に芸術家肌と言うんですかね、不思議な先生で、歌う時に伴奏を弾いてくれるんですが、前奏が終わって歌い出そうとした途端

「ダメだな。全然ノレてない」

とピアノが止まり

(え?まだ歌ってないのに)

と思っていたら

「あ、僕がね」

と自身のピアノへのダメ出しを始めてみたりと自由でした。

ロンドンにいた時にも、ここまで自由で不思議な先生には出会いませんでした。
イケボな笑い声が遠くから聞こえてきてすぐに「先生来た」と分かる先生はいましたが。

学校にいた時に最も面食らったのは、突然

「ドレミファソラシド ドシラソファミレドをクラシックとポップスで2種類歌って下さい」

と言われた時です。
今でもちゃんと出来る自信ありません。

歌って難しいですね。