村木神社(知多郡東浦町) | ハニーちゃんがゆく!

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令和5年11月19日参拝

尾張森岡駅近くで見かけた常夜灯。

すぐ横に〝史跡旧村木村常夜灯跡〟の碑があるので古いものではなく復刻かなんかでしょうか。



そんなことより参拝当日は村木神社の新嘗祭!

お囃子募集の貼り紙もあったので新嘗祭なら見学できるかも?とほんの少しだけ期待しました。



場 村木神社は妙法寺の近くでした。

柱に刻まれた水野家のお名前ズラリ。
これ見てなんとなくお土地柄わかる?



あの〜、すごく静かなんですけど〜。

新嘗祭は終わっちゃったのかな?



「この字なんだっけ!」って考えちゃった。

|д゚) きっと村の字がかぶっちゃうから邨の方を採用したんですね。



おしゃれです✨



さてさて、

尾張森岡って村木砦古戦場跡だったのです。

何も知らないと学ぶことが多くて楽しい 😇

 

村木砦の戦いとは‥

今川方に村木砦を築かれてしまった緒川城主水野信元が織田信長に救援を要請、天文23年(1554)1月24日信長はこの時初めて鉄砲を使うなどして一日で村木砦を奪い取った。

信長が実戦で初めて鉄砲を使ったのは長篠じゃなくて村木砦だったのですね。

村木神社は織田信長が本陣を張った場所で、

村木砦跡地には戦歿者を弔うために建てられた八剱社が今も残されています。



それはさておき、三河には〝おまんと祭〟という駆け馬があって、永禄3年(1560)織田信長が桶狭間の戦いで今川義元に勝利した際に各地から清洲城へ馬を走らせたのが起源だとか。

村木神社のおまんと祭は特に規模が大きく、保存会を結成して積極的な伝承活動に取り組んでおられるそうです。

ここがおまんとの会場!



御祭神は建速須佐之男大神すなわち牛頭天王(津島社)

品陀和気命菊里比咩神足名椎の神手名椎の神天照皇大神‥の諸神。

津島社の創建は詳らかではありませんが、延徳3年(1491)修復の棟札が残されているそうです。



八幡社は永禄4年(1561)時の緒川地頭を務める水野下野守信元の代官清水八右衛門家重を本願として創建、以来2〜30年に一度上葺き替えされた記録が残されています。

大正2年4月に東方100mから現在地へ遷座し村木神社と改称されました。



大正2年に合祀された末社たち。

   >村神社、妙見社、白山社、山神社、源太夫社

隣には御嶽神社もありました。



近隣から移された神社も含めて創建年代は相当古いわけですが、中でも津島社のお祭りはみんなが大切に守り続けてきたとして、古くから村の総鎮守は津島社!ということになっているようです。



社務所で直会してる氏子さんがいたので「御朱印とかあるんですか〜?」とお聞きしたら、

「やってないんですよ、考えておきまーす♪」ってものすごく前向きなお答えが返ってきた。

いやいや‥、無いなら無いでいいんです手

しばらくして、もう二度と行けないような遠くの神社から届く「御朱印はじめました」のお知らせほど悲しいものはない。




◼️村木神社
愛知県知多郡東浦町森岡天王西27