Blessin' Earth -6ページ目

人は必ず

数日前、親戚のおじさんが亡くなった。末期のガンで、肺炎を患ったことが直接的な原因になった。

おじさんは会社の経営者だったので、会社のことと家のこと、死ぬまでにやらなければいけないことを着々と準備をしてたみたい。息を引き取る1日前に準備を完了し、見事に旅立った。

死ぬ間際は血を吐いたり苦しそうだったみたいだし、もともと気性も荒い人だったが、今まで見たことがないほど穏やかな顔をしてた。ほんといい顔だった。

会場があふれるほどの多くの人に見送られ、火葬場へ。2時間もしない内に、骨と灰だけになった。

あっという間だった。ほんとに。

旅立つ前に、嫁さんを連れて挨拶に行けてよかった。そしてあなたのような叔父がいてくれてよかった。ほんとによくやったね。すげえよまじで。あなたと同じ血を引いていることは、僕の誇りでもあります。僕は僕の道を、精いっぱい生き切るので、見守っててください。今までありがとう。そしてお疲れ様。まだまだ続くであろう旅が、素晴らしいものでありますように。また会いましょう。Blessed

しかし不思議だなぁ、ほんと。人はオギャーって生まれてきて、色んなことを経験して、最後は必ず死ぬ。誰もが最後は灰になる。カルシウムとか、それだけになる。地球によくある無機質な物質になる。
でもそれがその人かといえば、そうともいえるし、ただのカルシウムともいえる。宇宙のチリともいえる。
なにがその人かといえば、それは間違いなくその人の魂だと思う。目に見えない魂は、体が死んだ後も生き続けるものだと思う。だから死というものは、肉体を離れ、この物質界から解放され、次なる世界へ移行する、新たな旅立ちというものだと、僕は考えてる。
きっと旅立ちは悲しい顔で手を振るより、笑顔で「今までありがとねー」とか「いってらっしゃーい!また会おうねー!」とか、そういうのがいいと個人的には思ってる。

例外なく誰にとっても、死は人生のラストシーン。そしてそれがいつ訪れるのかは本当にわからない。
だからいつでもハッピーエンドにできるように、全てを大切にしたい。誰かとケンカすることがあっても、なるべく早く仲直りするべきだと思うし、大切な家族や友達には感謝の気持ちを伝えとかないとと思う。

いくら稼いだとか、どんな家に住んだとか、何を食べたとか、あんま重要じゃなくて、それより周りの人に、世界に、どれだけ役に立ったとか、喜んでもらえたとか、そうゆうのが大事だなぁと思う。

そんなことを思った昨日でした。

今を大切に生きよう。ほんとに今しかないのだから。

みんな、ありがとう!!!

風心・福岡正信

・・・・・・風心・・・・・・

人類文明の遠心的な発達は 極限に達した
このまま膨張し崩壊してゆくか
反転して求心的に収縮するか
滅亡か 復活か 岐路に立つ人間
足元の大地は崩れ始め 天も暗くなった

 肉体の崩壊が 医学の混乱をまねき
 精神の分裂が 教育の混迷となり
 社会の不安が 道徳の荒廃につながる

これで よいのか
人々は苦慮して 泣き笑い
何をしてよいのか わからないまま右往左往する
それでもなお
ただ一途に人間の智恵を信じ
何かを為すことによって
矛盾を解決できるだろうと期待する

馬鹿な動物は 馬鹿なことを知らないから馬鹿をしない
利口な人間は 馬鹿馬鹿しいと知りながら馬鹿をする

終末の近いのを知って
未来の夢をみる

地球の汚染を嘆くもの
人間の智恵を誇示するもの
みんな人間を 愛しているのだが
誰が 自然を守護し
誰が人間を 混乱に陥れてるのかがわからない

 鎮守の森は 植物生態学者や 百姓が造ったのではない
 人間を守るのは… 裁くものは誰か

瀬戸の海が 石油で汚染され
養殖ハマチが全滅した
漁夫は激怒したが 考えてみると
 
 魚をとる網が 石油製品(ナイロン)になり
 船を ガソリンで走らすようになって
 漁獲量が急増したが 翌年から
 魚が急減して 養殖漁業にきりかえた

その養殖ハマチが 石油で殺された
汚染がひどくなり 赤潮が発生した
 
 魚も ノリも死んだ 海も死んだ

瀬戸の魚の味をかえせと すし屋のおやじが先頭にたち 主婦たちが さわぎだし
工場に おしかけると
工場の排水より 農民の化学肥料や農薬が
河に流れこみ 赤潮の原因になっているのだ
なぜ百姓を責めないのかと 開きなおる
農民の所に行けば 汚水処理場の用地を提供するのが 先決だと はねつけられる

赤潮対策の名案を 学者にうかがうと
超短波の光線で プランクトンは簡単に殺せるという
プランクトンが死滅して 海底に堆積したら 何万年かの後には石油になる
なるほど 名案だが それまで人類は生きられない

いっそ瀬戸内海を ヘドロの海にして
プランクトンを培養して 石油の原料にしたら 石油不足も解消できる

そうなりゃ アラブの石油はいらぬ
大型タンカーを マレー沖に沈めたり
石油タンクの破損の心配もなくなる

こりゃ 名案だ… だがまてよ

大型タンカーが不用になれば
鉄が不用になり 製鉄所の電力需要が減る
すると原子力発電所の建設にも ひびが入る
それでは労働者は飯が食えない さて…
 
 科学者が追う はてしない夢
 することは まず こんな利口なことである
 ああ しんどい話になった

もう一度 最初をふりかえってみよう

問題は
人が 善いか 悪いかを考え
自然は 善だ いや悪だと争い始めた時から出発した
 
 自然は 善でも 悪でもない

自然は 弱肉強食の世界でも 共存共栄の世界でもないのに
勝手にきめつけたのが間違いの根だった

人間は 何もしなくても 楽しかったのに
何かをすれば 喜びが増すように思った

物に価値があるのではないのに
物を必要とする条件をつくっておいて
物に価値があるように錯覚した

すべては 自然を離れた人間の智恵の一人角力(ずもう)だ

無智 無価値 無為の自然に還る以外に
道はない

一切が空しいことを知れば 一切が蘇る

これが

田も耕さず 肥料もやらず 農薬も使わず 草もとらず

しかも驚異的に稔った

この一株の稲が教えてくれる緑の哲学なのだ

種を蒔いて わらをしく
それだけで 米はできた
それだけで この世は変わる

みどりの人間革命は わら一本から可能なのだ

誰でも 今すぐ やれることだから


昭和五十年盛夏


福岡正信

by「わら一本の革命」のあとがきより

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昔の暮らし

現代人があたりまえに思って暮らしている今の生活は、本当にあたりまえなのだろうか。

あたりまえすぎて今まで考えなかったけど、311以降考え出した人も多いと思う。


電気がある生活。石油がある生活。ガスがある生活。

基本的にエネルギーは必要不可欠。コンセントがなければ用無しになるものがほとんどだ。


もとを辿ればだいたいが石油。車はもちろん、スーパーに並ぶ野菜も石油がなければ存在しない。

身の回りの物の99%以上が、石油がなかったら存在しないものかもしれない。

それくらい僕たち現代人は石油に依存しきって暮らしている。

これってあたりまえなのだろうか。これが普通なのだろうか。


こういう話をすると「じゃあお前は電気も車もいらないのか」とか言われることがある。

そう言いたくなる気持ちもわからなくはないけど、使ってるからこそ考え直そうよって思ってる。


例えば僕の親が子供のころの時代。50年前はどうだっただろう。

もちろん今みたいにテレビはなかった。電話も黒電話。車も一家に一台なんてない。その代わり、近所に八百屋があって、魚屋があって、豆腐屋があって、親は自営業で、家と職場が一緒だったり。みんな自分ちの畑があって、そこそこ食べる分を作ってる家がほとんどで。

全国チェーンのコンビニや吉野家なんてもちろんない。セキスイハウスも無いから、地域に必ず大工さん、建具屋さん、加治屋さんなどの職人さんがいて。

大体の物も、お金も地域で回ってたんじゃないかと思う。エネルギーも今の10分の1以下か、もっともっと少ないくらいだと思う。

収入は少ないが、支出も少ない暮らし。


現代を見てみるとどうだろう。

たしかに便利、快適。24時間やってるコンビニやスーパーもあるから、夜中にお腹が減ればすぐに何か食べれる。暑ければクーラーがあるし、寒ければ暖房がある。家を建てたければナントカハウスに頼めば数か月でできてしまう。
僕自身も実家はオール電化だし、東京での生活が人生で一番長い。あたりまえに近代的な生活をしてきたし、疑問を感じることもなかった。

旅に出るようになってから、色んな生活をしてる人に出会うようになって、一般的な生活以外にも色んな生活があることを知った。色んな生き方があることも知った。

そして今、人口800人の過疎化した田舎町で百姓を始め、築百年の家に住んでいる。
この家に住んでからよく思うのが、昔の人はとっても理にかなった暮らしをしてたんだなぁと。

近くの山から採った木や廃材を薪にして、料理したり風呂を沸かしたり暖をとったり。

トイレはぼっとん便所で、醗酵させて堆肥にする。まさに畑の肥やしになって、自分たちが食べる野菜に生まれ変わる。

ゴミになるものはほとんどない。家だって木と土が原材料のほとんど。釘やガラス以外は全て土に還る。

助け合いなんて言葉も必要ないくらい、あたりまえにみんなが助け合い、暮らしてたんだと思う。

不便も知恵出して工夫して。自分でできることはなんでも自分でやって、自立して暮らしてたんだと思う。

そんな昔の暮らしから、学ぶことはめっちゃ多い。


昔の暮らしと現代の暮らし。昔からの知恵と、現代のテクノロジー。

いいとこ取りで、融合させたら、めっちゃいい暮らしができると思いませんか?

考えただけでもワクワクする。


最近の僕の中でキテるキーワードの一つが「いいとこ取り」。

たくさんある農法も、たくさんある宗教も、なんでもかんでも全てにおいて。

答えはひとつじゃないし、道はひとつじゃない。


そんなこんなで、おススメの本を紹介します。
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祝島にもヒントがいっぱい!