Queen 27 | QUEEN考察

QUEEN考察

QUEEN好きの好き勝手です

 

Queenのフロントマン、フレディ・マーキュリーの特徴的な衣装に着目して考察してまいりましたが、第6弾となる今回で完結としたいと思っています。

少し長くなりますが、宜しくお付き合いのほどお願いします。



映画「ボヘミアン・ラプソディー」では物語の締めくくりとして、1985年のライブエイドでの伝説的パフォーマンスをもって完結しました。

Queenのおこなってきたライブには、他にも様々伝説的なライブがあります。

初期の名演とされる1974年のレインボー公演。
1975年のクリスマス・イヴに行われたハマースミス・オデオン公演。
1976年の日本武道館公演。
1979年のカンボジア難民救済コンサート。
1981年、ロック・モントリオール。
1986年のウェンブリー・スタジアム。

コアなファンなら1976年1月30日のボストン公演や1977年12月11日のテキサス公演もあるだろ!・・・と、素晴らしく盛り上がったライブは他にも沢山あります。

しかし、この映画で最も感動するのは、学生時代からなにかと衝突していた、フレディの父親ボミがフレディに言い聞かせていた「善き思い。善き言葉。善き行い」

これがライブ・エイドとして実践されることで、父親はフレディの選んだ道や生きざまに理解を示す場面でしょう。

この伏線が最も心を震わせられますね。

何度映画を見ても涙が流れるのはこういった伏線や、ライブ・エイドでの関係者の表情、観衆の反応などもあるでしょう。

実際のライブ・エイドでQueenの映像を見ても、圧巻であるとは感じても、涙が流れるような事はありませんから。(笑)


Queenとしては既に1979年のカンボジア難民救済コンサートに参加して、「善き行い」は果たされているのですが、こちらの会場となったハマースミス・オデオンは収容人数が5千人の屋内劇場。

ライブ・エイドのウェンブリー・スタジアムは10万人の収容が可能なうえに、米フィラデルフィアのJFKスタジアムとの二元開催。
全世界84カ国で衛星同時生中継。視聴者数は約15億人。

どちらも意義のあるイベントで、比べられるものではないのですが、規模を考えるとライブ・エイドのほうが圧倒的ですし、Queenのパフォーマンスとして語り継がれる伝説も実際に存在します。

自伝的要素の強い映画ではありますが、要所要所ではフィクションでもあり、脚本の妙だな、と感じますね。

実際、1982年発表のアルバム「ホット・スペース」は、シンセサイザーの大量導入やブラックミュージックに寄ったサウンドがファンの間で賛否を呼ぶことになりました。

「ブレイク・フリー」(自由への旅立ち)は、1984年のミュージック・ビデオで女装したメンバーの出演が不謹慎だと騒がれて、アメリカの音楽番組MTVで放送禁止に。

ちょうどこの頃にフレディ以外のメンバーもバンドを離れてソロや他のバンド活動をしたことから、解散の噂が囁かれ出しました。

映画では触れられなかった、こうした数々の試練があったわけですが、そのなかでもとりわけ衝撃的だったのは、南アフリカ公演をめぐる騒動でしょう。



1984年10月、Queenは南アフリカで9回の公演を敢行しました。

イギリスのミュージシャンズ・ユニオンは、人種隔離政策「アパルトヘイト」を打つ当時の南アフリカでの音楽活動を禁じていて、それを破ったアーティストには罰金を科し、ブラックリストに名前を載せることにしていました。

Queenとしては、南アフリカのファンにも自分たちの音楽を聴かせたいというミュージシャンとしての純粋な気持ちから実現させた公演だったのですが、Queenは「悪しき国の権力側に付くバンド」のレッテルを貼られ、国連のブラックリストにも記載されてしまいます。

同年に発表された「ブレイク・フリー」(自由への旅立ち)は、圧政に苦しむ南米やアフリカの国々の人たちにとって反権力精神の応援歌のようになっていて、この南アフリカ公演でも演奏されています。

それだけに、この出来事に対峙したメンバーの胸中を考えると言いがかり甚だしく、ファンとしても疑問符しかありませんでした。


ボブ・ゲルドフのライブ・エイド参加の誘いに、Queenは当初難色を示していました。

アルバム「ホット・スペース」で大コケし、ありもしないメンバー同士の軋轢をマスコミは面白おかしく書き立てる。
ダメ押しが南アフリカ・ライブでの誤解でした。

Queenは終わった。
Queenは過去のものと囁かれはじめていたのです。

そういった風評はメンバーの耳にも届き、「俺たちは必要とされてないのではないか?」という意識があったといいます。

そんな状況下でライヴ・エイドに参加した当時のことをブライアンはこう振り返っています。

「バンドにとって転換点で、新たな自信となり、お互いが考えていることをまた少しずつ理解するようになった。
いつの間にかバンド活動を楽しむということがどこかへ漏れ出してしまったところに、ライヴ・エイドがあの気持ちを取り戻させてくれた。
僕らは存在して、何かを成し遂げることができて、大きな力であり、その力をもう一度創作のために使わなければいけないってね。」

当時、Queenの4人は本当のところ、とても仲が良いといえる状態ではありませんでした。

アルバムが売れれば売れるほど。有名になればなるほど、小さな衝突が絶えなかったのです。

性格的に常に中立を保つジョン・ディーコンを除いた3人は、けっして自分の主義を曲げないからです。

加えてフレディは普段は大人しく、シャイで優しいのに、怒りが頂点に達すると、姿見鏡を投げつけたり、椅子や机を蹴り飛ばすなど手がつけられなくなる一面も持っていました。

ブライアンは気に入らないと揶揄したり皮肉をぶつけるし、ロジャーに至っては、本当にコーヒーメーカーを顔めがけて投げるような激情型だったそうです。

ただし、ブライアンが身体の一部のように大切に扱っていた自作のギター、「レッド・スペシャル」には誰も傷つけたり、物を投げつけるようなことはしませんでした。
どんなに喧嘩はしても、最低限のリスペクトはあったのですね。

こうした小競り合いが勃発しても、その場ではジョンはすぐには止めようとはしなかったそうです。

収まってから、一人一人個別にアドバイスを送っていたのだとか。

止めに入って怪我でもしたら大変ですものね。(笑)

それだけジョンがQueenを大切に思っていたということなのでしょう。

もちろん、そういった小競り合いはあったとしても、フレディやブライアン、ロジャーもジョンも、いざ曲を作ったり、ライブを行う時にはお互いを敬い、Queenであることの誇りは忘れていませんでした。

ライブ・エイド参加は薄れかけていたQueenであることの誇りを4人のメンバーが明確に思い出すきっかけになったのだと言えます。

参加を決めたメンバーたちは、20分という与えられた時間で何が出来るのか、スタジオを借りきって入念なリハーサルを行います。

メンバーは照明の効果が出ない陽が出ている時間のパフォーマンスを好まなかった上、多数のバンドが出演するため、自分たちのためのセッティングの時間もなく、持ち込める機材も限られることから、自分たちの求めるクオリティが出ないのではないかと不安に思っていました。

それでも彼らは、これは自分たちが優れたライヴ・バンドであると世界に見せつけるチャンスになるとも感じていました。

いざ出演時間を決める段になると、Queenは抜け目がありません。

彼らはイギリスでのゴールデン・タイムに近く、世界中に衛星放送もされる18時41分からの演奏を選んだのです。

夕暮れ時で、ある程度の照明効果も期待できる時間帯です。

Queenは完璧主義者の集まりでした。4人は演奏のタイミングやソロが完璧になるまでリハーサルを繰り返すのですが、なかなか納得のいく演奏にはなりません。

彼らはロンドンのキングズ・クロス駅に近い400席の小さな劇場を借り切り、3日間かけて、20分で収まる5曲のセット・リストを仕上げていきました。




そしてついにQueen伝説のライヴ・パフォーマンスの幕開けです。
大きく省略しますが、
フィル・コリンズからハワード・ジョーンズ。

デビィッド・ギルモアを率いて登場のブライアン・フェリー。

ポール・ヤングにU2。
ダイアー・ストレイツ。

そしていよいよQueenの出番です。




当時日本でも中継が行われ、深夜の時間帯に眠気と戦いながら視聴した音楽ファンは多いのではないでしょうか?。

Queenはコメディアンのグリフ・リース・ジョーンズとメル・スミスの紹介でウェンブリーのステージに上がりました。

ふたりは警官の格好をして、「ある女性から騒音の苦情が来ています。遠くベルギーから」とジョークを飛ばします。
そしてこう紹介しました。

「次のバンドは女王陛下!Queen!」




フレディはいつものように自信に満ちた様子で、舞台を駆け回ります。
トレードマークの口ひげにハードウォッシュ・ラングラー・ジーンズ、上には白のタンク・トップ。
右腕にはスタッドのついたリングという出で立ちで。

実のところ、ライブ・エイドはチャリティー・コンサートなので、ギャラは一切出ません。
なのでお金のかからない普段着に近い形で、とメンバー間で決められました。

フレディは会場を盛り上げるような素振りの後、おもむろにピアノの前に座ります。
そして見事としか言いようのない「Bohemian Rhapsody」のショート・ヴァージョンを演奏しました。



掴みは鮮烈でした。
ここで観衆はQueenはまだ死んでなんかないと受け止めるのです。

ああ、そうだ。
やっぱり自分はQueenが好きだったんだ、と思い出した瞬間だったのかもしれません。


次の曲は「Radio Ga Ga 」(レディオ・ガ・ガ)

フレディは立ち上がり、短く切ったマイクスタンドに装着されたマイクを受け取り、ステージを闊歩します。

観衆は既にフレディの虜です。


サビの部分で熱狂する観衆は歌の世界に巻き込まれていきます。

All we hear is
Radio ga ga!
Radio goo goo!
Radio ga ga!

全ての観衆が申し合わせたように両手を天に突き上げ、リズムを取ります。

テレビでは、時折フレディのバックからの映像が流され、大観衆のうねりが見てとれます。
圧巻の映像です。


完全に観衆の心を掴んだ「Radio Ga Ga 」が終わり、一拍置いた所で、ついに伝説が始まります。

フレディは10万ともいわれた観衆たちをゾクゾクさせるような「エーオ!」の即興コール&レスポンスに誘います。




このコール&レスポンスの最後の長いハイトーンボイス「エーーーーオ!」は、「世界に響き渡った声」と、各界から称賛されました。

そして「All Right !」で締めくくると、観衆もそれを返すのです。

当時生で見ていたほとんどの人が、もしかしたら自分はとんでもない伝説になるものを見ているのかも知れないと思ったことでしょう。

テレビの画面越しからでも、ゾクゾクするパフォーマンスでした。

フレディのコール&レスポンスはそれ以前にも様々なライブで行われていましたが、他のライブではもっと尺が長く、フレディは観衆との掛け合いを楽しむようにしていました。

ところがこのライブ・エイドでは時間も限られていたので、フレディは最短の時間で盛り上がるよう工夫したのでしょう。

それは全てフレディの思うままにコントロールされ、会場にいる10万人、裏方スタッフや機材トラックのドライバー、音響スタッフまで巻き込み、もしかすると15億の視聴者さえ取り込み、惹き付けたのです。

バンドメンバーであるブライアンやロジャーでさえ、「今まで生きて来て、あんなものは見たことがない」と溢すほどです。

フレディのコール&レスポンスは一瞬にして全ての聴衆を虜にしました。

そして曲は「Radio Ga Ga 」(レディオ・ガ・ガ)と同じアルバム「The Works」(ザ・ワークス)から「Hammer To Fall」(ハマー・トゥ・フォール)へ続きます。




コール&レスポンスで高揚した雰囲気そのまま、アップテンポなナンバーへ繋げる。
これが計算だとしたら、なんて凄まじいバンドなんだろう。

こういうQueenが聞きたかったんでしょ?と言わんばかりの演奏に皆釘付けです。

テレビの前にいてさえ、身体を揺らし、一緒に歌うしかないのです。

実際の映像を見るとよくわかりますが、ブライアンやジョンの動きも乗ってきます。


「Hammer To Fall」が終わると、バンド・ボーイからエレキギターを受け取ったフレディはおもむろに語りかけます。

「次の曲は、この会場にいる美しい人たちに捧げる。
来てくれてありがとう。
参加できたのは皆のおかげだ」

そう言い放つと、フレディ自身の曲「Crazy Little Thing Called Love 」(愛という名の欲望)をエネルギッシュかつエレガントに歌い上げた。



時折映り込むブライアンやジョン、ロジャーに至っても、皆満面の笑顔。

会場の群衆に歌うように誘うフレディに、大きく手を叩き応える群衆の姿は感動でしかない。

忘れないで欲しい。
この会場にいる観衆とは、全てがQueenを目当てに来ている訳ではないのです。

なのにこの一体感!

かつてインタビューでブライアンがこんな事を言っていました。

「フレディはすごい空間感覚を持っていて、それが非常に重要だったんだ。
ステージで人とやる時というのは、音楽的なコンタクトを持つことが必要なんだ。
あとは肉体的な化学反応が必要なんだよね。
自分がどこにいて、どこにエネルギーを向けるのかに気づくことなんだよね。
その点、フレディは素晴らしかったよ。すごく初期から掴んでいたんだよ」

魔法使いか?・・・


続く「We Will Rock You」(ウィ・ウィル・ロック・ユー)の短い演奏でも群衆は皆、拳を天に突き上げ、リズムに合わせて手をたたく。
そして興奮状態のままフィナーレとなる「We Are The Champions」 (伝説のチャンピオン)が演奏される。




この2曲の組み合わせはほとんどのライブでトリとして使われたお馴染みの組み合わせだ。
つまりこの2曲は、ライブの終わりを告げている。

「We Are The Champions」(伝説のチャンピオン)では10万人の観衆も、名残惜し気に大きくゆっくり横に両手を振る。


この時のフレディには、ただただ魅了されるばかりだ。


ブライアンは当時を振り返り、「人生であんなものを見たことはなかったし、計算してできるようなことじゃない。僕らの人生最良の日でした」と回想しました。

このライブ・エイドを画策したボブ・ゲルドフも
「演奏も最高で、サウンドも最高で、時間の使い方も無駄がなかった。
Queenは、あのイベントが世界に向けたジュークボックスだという事を完璧に理解していた。
ステージに上がって、次々とヒット曲を演奏してくれた。
フレディにぴったりのステージだったはずだ。全世界という名のね」
と、称賛の言葉を惜しみません。

「この野郎、話題をかっさらいやがって!」

フレディの友人でもある、有名なカリスマ的ロック・スター、エルトン・ジョンもそんなジョークを飛ばしながら地団駄を踏んだと伝えられます。

もちろん他のアーティストが盛り下がった訳ではありません。

映画では他のアーティストの盛り上がりがいまひとつのような描かれ方がされていましたが、この日のアーティストたち全てが素晴らしい演奏を繰り広げていました。

U2やデュラン・デュラン、ブラック・サバスなどは当時人気絶頂期でしたし、再結成のレッド・ツェッペリンにも歓声があがりました。



当時怒涛の勢いがあったフィル・コリンズはスティングやレッド・ツェッペリンとコラボし、ピアノやドラムを担当し、大変な盛り上がりを見せていました。
テレビでの出番が1番多かったのは間違いなくフィル・コリンズです。
ウェンブリーでソロのピアノで自身のヒット曲を連発した後、スティングとコラボ。
すぐさまコンコルドでアメリカの会場JFKスタジアムへ飛ぶさまも中継されたり、アメリカの会場では再結成のレッド・ツェッペリンをMCで呼び込むと、バックでドラムを叩き、大忙しでした。


(フィル・コリンズとスティング)

それぞれのアーティストの演奏中に他のアーティストが飛び込み、コラボするシーンも幾つかあって、それはライブ・エイドでしか見られない、夢の共演でもあったのです。

ただ、その中でもQueenのパフォーマンスが断トツだっただけなのです。

さらに付け加えるなら、Queenのライブ・エイドでのステージはこれで終わりではなかったという事でしょう。

映画では描かれていませんが、伝説的ステージの3時間後、フレディ・マーキュリーとブライアン・メイの二人だけで、すっかり陽の落ちたライブ・エイドのステージに再び立ちます。



披露された曲は一曲だけ。

「Is This the World We Created...?」(この世界は僕らが作ったの?)

邦題は「悲しい世界」

これは1984年アルバム「ザ・ワークス」のラストに収録された短いバラードで、アフリカの飢餓情勢を知ったフレディ・マーキュリーとブライアン・メイが作曲したメッセージソングです。

正にライブ・エイドのためにあった曲ともいえます。

Just think of all those hungry mouths we have to feed
多くの飢えた口に食べ物を与えなくてはならないことを考えてみて
Take a look at all the suffering we breed
自分たちが産んだ苦痛の全てを見てごらん
So many lonely faces scattered all around
本当に多くの孤独な顔が世界中に散らばっている
Searching for what they need
必要なものを捜し求めて

Is this the world we created, what did we do it for
これが俺たちが創った世界なのか、一体何のために俺たちは
Is this the world we invaded, against the law
これが俺たちが占領した世界なのか、法に反して
So it seems in the end
ということは 結局
Is this what we’re all living for today
このために、今日俺たち皆が生活しているのか
The world that we created
自分たちが創った世界

You know that everyday a helpless child is born
毎日無力な子供が産まれている
Who needs some loving care inside a happy home
幸せな家庭の中で、愛情に包まれることが必要な子供たち
Somewhere a wealthy man is sitting on his throne
どこかで裕福な男が王座に座って
Waiting for life to go by
ただ人生が過ぎいくのを待っている

Is this the world we created, we made it on our own
これが俺たちが創った世界なのか、自分たちで作った
Is this the world we devastated, right to the bone
これが俺たちが荒廃させた世界なのか、軸の中心まで
If there’s a God in the sky looking down
もし空に神がいて下を見ていたら
What can he think of what we’ve done
俺たちの成し遂げを見て彼は何を思うだろう
To the world that He created
彼が創ったこの世界に



メッセージ性の強い曲というのはQueenとしては珍しく、フレディやブライアンが貧しい国の飢餓情勢に胸を痛めていたことが伺えますね。

このステージでも称賛を浴び、ライブ・エイドの本質を表現したバンドと位置付けられました。


それから2ヶ月後、クイーンはアルバム『A Kind Of Magic』の制作に着手しました。
同作は600万枚を売り上げ、記録的なヨーロッパ・ツアーも行われました。

Queen最後の伝説的ツアー、「Magic Tour」(マジック・ツアー)

ツアータイトルも言い得て妙ですね。Queenは1985年のあの夏の日、まさに魔法(マジック)を見せたのですから。




同ツアーはスウェーデン/ストックホルムを皮切りに
オランダ/ライデン
フランス/パリ
ベルギー/ブリュッセル
オランダ/ライデン
西ドイツ/マンハイム
西ドイツ/ベルリン
西ドイツ/ミュンヘン
スイス/チューリッヒ
アイルランド/スレーン
イングランド/ニューカッスル
イングランド/ロンドン
イングランド/マンチェスター
西ドイツ/ケルン
オーストリア/ウィーン
ハンガリー/ブダペスト
フランス/フレジュス
スペイン/バルセロナ
スペイン/マドリード
スペイン/マルベーリャ
イングランド/スティーブニッジ

全26公演が行われました。
最終のイングランド・スティーブニッジ・ネブワース公演が、事実上Queenのオリジナル・メンバーでの最後の公演になります。

「ライヴ・マジック」
「クイーン・ライヴ!!ウェンブリー1986」
「ハンガリアン・ラプソディ~クイーン・ライヴ・イン・ブダペスト1986」がライヴ・アルバムや映像作品としてリリースされています。

中でもウェンブリーのライブDVDは圧巻です。
一夜目と二夜目を比べて観るのもお薦めです。

全く違う雰囲気と曲進行アレンジを見て取れます。
私の個人的見解では、やっぱりウェンブリー2日目が最高だと思っています。

コンサート開幕の瞬間。
「One Vision」(ワン・ヴィジョン)のイントロ開けに合わせて飛び出してくるフレディにゾクゾクさせられます。

曲選びから進行まで全てに納得の行く公演でした。


マジック・ツアー最終となったイギリス・ネブワース。
この公演が終わった楽屋での事。
フレディは他のメンバーに言い放ちます。

「もう無理だ!こんな事続けられない!」

少しずつHIV/AIDSの影響が出ていたのか、フレディは体力の限界を訴え、Queenはライブ・ツアーを休止する決断をします。

確かにハードだった。
疲れているだけだ。
落ち着けばまたやれる。
他のメンバーはそう考えていました。

しかし、事実上Queenのオリジナルメンバーでのコンサート活動はここで終わってしまったのです。

私自身もフレディ逝去のニュースを耳にするまで、きっとまたQueenは日本にやって来る。
そう信じて疑わなかったのです。