国旗、日の丸の歴史 | 読書は心の栄養

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主に自分の最近読んだ本の忘備録

日の丸
日の丸、日本の国旗です。
この真中の赤い丸が日、つまり太陽を指しているのはご存知でしょう。

この旗を国旗とするようにしたのは江戸末期なのです。

ご存知のペリー来航時、日本には国を表す旗はありませんでした。
日本では船には旗は立てず、ペリーが船になぜアメリカ国旗を掲げているかわからなかったそうです。
翌年、ペリーは開国の返事をもらいにくる、といって去る際に、
「日本の船は旗がなく、どこの船かわからない。来年までに付けないと、不審船として撃ち落とす」
といったそうです。

そこで、徳川幕府は、国旗を決めよう、と決断するのです。
薩摩藩の島津斉彬は鹿児島の桜島から昇る太陽を見て、
「あの輝く太陽の光で、今の鎖国から夢を覚まささねば!
昔から日本人が大事にしてきた太陽のように、輝く未来を作らねば!」

と思い、この日の丸を提案します。

この日の丸の旗自体は昔から国民の間では慣れ親しんでいたようです。別に国旗として意識していたのではなく、朝日に感謝して使っていたのです。

これに対し、幕府の重臣たちはこの日の丸に反対し、
徳川家の祖先である新田家の旗である「大中黒」(白地に黒の一文字)を主張します。
おそらく、下のような旗です。

中黒


個人的な印象では、暗いですよね。国のイメージとしては

この2つの旗をどっちにするかの論争に決着を付けたのが
水戸藩の徳川斉昭公です。
「日の丸にする」
と断固決定したのです。

こうして、日本の国旗は日の丸と決定したのです。
もしかしたら、中黒の旗になってたかもしれません。

古来より、日本民族にとって、「太陽」は格別な存在です。
日本の神様である天照大御神という女神(伊勢神宮に祀られている)は太陽の神様ですし、
聖徳太子が随に送った手紙にある「日の出ずる国」と表したのでもわかります。

日本人は明治時代になるまで、国というものを意識したことのない民族でした。
でも、その代わりに太陽であったり、自然を大切にし、それを通じて無意識に国を意識していたのでしょう。
それが古来からこの日の丸の旗を大事にしてきた理由なのかもしれません。

今の日本は昔のように「国」というものに意識が希薄です。
さらには、太陽や自然をそれほど大切にしているとも思いません。
これでは、日の丸を大事にできないのは当然なのかもしれません。
国旗に嫌悪感を持つのもそこらへんからかもしれません。

国旗の歴史を知り、私たちの身の回りの自然や太陽の恵みに感謝することで
日の丸により親近感を感じたいものです。