75回目の終戦記念日

多くの犠牲の上に今の平和国家があることを私たちは忘れません。二度と戦争を起こさない不戦の誓いと喪われた尊い命に祈りを捧げます。

また唯一の被爆国として、我が国は核の恐ろしさと悲惨さを世界に訴えていく義務と責任があります。戦争を知らない私たち戦後世代もその想いを引き継いでまいります。

いまの日本は立憲主義、平和主義の危機に立たされています。憲法改悪を阻止し、憲法9条を守り大切にする覚悟が問われています。

今年の終戦の日に閣僚による靖国神社参拝がありました。許すわけにはいきません。改めて歴史と事実の認識が問われる節目の75年となりました。


以前は石和温泉(笛吹市)にあった梁川(やながわ)亭さんが、地元梁川にて、甲州街道沿いの長らく空き家になっていた空店舗を借り、改装して出店。

コロナ前は石和のお店に昼に夜に何度か伺った。店主さんは多門父の古い友人(後輩)。最初に伺ったときからウエルカムで、色紙を持ってきて「書いてくれますか?」って。まだ山梨ではバッチを付けていない私の書いたものを、さっそく店の見やすい場所に貼ってくれた。

移転した梁川のお店に伺うと、入って真正面の目立つところに、私が前の店で書いた色紙が!「多門先生にはおせわになったからなぁ。親父さん、元気?ひろゆきさんも頑張ってくれよ。」という言葉で、私の色紙をわざわざ誰もが見える場所に飾ってくれる意味がわかった。「この店、山梨の人も八王子の人もよく寄ってくれるんだ」と。

連日の雨で増水した桂川でしたが、美味い食事を食べながらの眺めは最高。四季を楽しめるお店がまた一軒増えた。






昨年、取材を受けました。

プロレスファンなら誰でも知る元全日本の小橋建太さん。
小橋さんには、以前、私のパーティで講演をしていただきました。

そのタイトルは「癌からの復活」でした。
 
取材中、プロレスリング・ノア八王子大会の話などで盛り上がりました。

http://bs-times.com/vol21/8.html

 




ショッパーに掲載(7/10号) 
    
八王子・日野を盛り上げよう!
    〜今こそ力を合わせて〜

一般社団法人デマンド・アンド・ケアの生活サポート事業部「がんばり屋さん」が、地域新聞「ショッパー」の八王子中央版、八王子北版、八王子南版、八王子西・高尾版、日野版に掲載され、計15万7000世帯に配布されました。

表面には牛渡万寿身生活サポート事業本部長の顔写真が、中面には職人さんの作業写真が載っています。

一般社団法人デマンド・アンド・ケア
http://www.demand-and-care.com/


生まれ育った八王子。子どもの頃は陣馬街道沿いに自宅があったので、子供会やサッカー少年団で行く山は高尾山より陣馬山の方が多かった。

この4年ほど、選挙のある前後を除き健康維持を兼ねて毎月山歩きをしている。「すてきな富士山絶景シリーズ山歩き」と題して、日本人なら誰でも大好きな富士山を眺められる山を選ぶ。月に二度のペースだ。うち1回は衆議院山梨2区でお世話になった山梨県内、そしてもう1回は八王子の山。


ただ、山登りといった大それたものではなく、日帰りの単なる山歩きだが、時に夜中から登って富士山頂上から上がるダイヤモンド富士を眺めたり、新雪が膝下まであるコースなどにも挑戦する。もしよかったら、Facebookページを見ていただきたい。

山を歩いていると、北アルプス、中央アルプス、南アルプスといったいわゆる日本アルプスなどの名前の他、甲州アルプスや鎌倉アルプスなど全国約50ヶ所あるご当地アルプスの名前を耳にする。また、日本百名山、山梨百名山、二百名山などについても話題に上ることが多い。選挙区外であるが、最近では甲府でも25名山が選定され、ご当地アルプスは各地に広がっている。

大学時代の一時期と、留学時代や秘書時代以外はいわゆる八王子っ子だった私でも、件の陣馬山や高尾山、そしてその周辺と縦走コースの途中にある山々以外には縁が薄かったが、ここ数年で数多くのステキな山が存在することに気付かされた。

先ずは、山歩きのメンバーや各方面の方々と共に、八王子のご当地アルプスとして「八王子アルプス」を命名した。昔からあるスーパーアルプスと似ていて覚えやすいと思う。

また次に、八王子名山プロジェクトを立ち上げた。まだその数をいくつにするのか決めていない。これは市内にある有名無名に限らず、素敵な山々を数多くの方々と一緒に歩き、選定して、地元八王子市民だけでなく、都内や近隣県の人に東京の西の玄関口である八王子には、高尾山に加えこんなステキな山が沢山あるんだということを周知していきたいと思う。

この八王子名山についてはおいおいお知らせし、選定や数についてもより多くの八王子loveの皆さんにご協力をいただきたいと考えている。






  
テレビ朝日 サタデーステーション
6月6日(土)20:54〜

私が代表理事をつとめる一般社団法人デマンド・アンド・ケアの事業のひとつに生活サポート「がんばり屋さん」があります。TV朝日で取り上げられました。

お客様の「困った。どこに電話したらいいの?」という時に連絡をいただきます。できないことはなくて、最後まで責任を持ってお手伝いさせていただいています。

本当にいろいろな依頼、案件をいただきます。え?っていうこともしょっちゅうです。これで皆さんがハッピーになればO.K.ですよね。

あ、私は「ひろゆきさんは来なくていいよ」って言われており(笑)、現場に行くことはありません。仕事の邪魔してはいけないですからね。

今は八王子が中心ですが、今後拡げてまいります。もしご協力いただける職人さんがいたら嬉しいです。

がんばり屋さん byデマンド・アンド・ケア

一般社団法人デマンド・アンド・ケア





ご存知ない方もいるかもしれない。僕は2003年から八王子市議会議員を二期つとめた。自民党市議として、市長選で推薦した現職市長の利権問題を議会で徹底的に追及し、真っ向から闘い、超党派の枠組みの一角を担った。それが原因で衆議院議員に叩かれ、離党もした。結果的に次の選挙で降ろすことはできたが、数多くの裏切りを味わったし、ありとあらゆる誹謗中傷を受けた。正直に言えば人間不信に陥り、外に出たくないことも何度もあった。それでも貫くことができたのは、これまで落選しても離れず一緒に闘ってくれた仲間たちや妻や家族がいたからだ。

 

僕は縁あって2016年、当時の民進党衆議院山梨2区の公募に声がかかった。落下傘候補だ。憲法9条を守るというのが政治信条であった故加藤紘一代議士なら、それも貫く元秘書である私の決断を、天国から評価してくれたことだろう。2017年の衆議選直前に党のゴタゴタがあり、僕は立憲民主党に拾われた。支援者や連合山梨の皆さんには助けられ、みんなが本気で政治を変えようと一緒に闘ってくれた。選挙では結果を残せてこれなかったが、僕は今も山梨県笛吹市の石和町というところに住んでいる。山梨では立憲民主党山梨県連の副代表として恩返しの最中だ。八王子では代表理事として一般社団法人を立ち上げて、いくつか事業を進めている。その1つが、仲良くしている山梨の農家と始めた、県内フルーツの都内や神奈川などへの流通だ。一昨年から。

 

石和温泉から八王子までは車で1時間。ちょうど、八王子から東京駅に行くようなものだ。いや、それよりも近い。誤解を恐れず言おう。石和に住んでいるからと言って八王子を離れたという感覚は僕にはない。どっちも地元だ。後継の妻は3期となり八王子市議として頑張ってくれているし、仲間や父の時代からの後援者、そして何よりも父自身が、僕がいつかまた、どこかで政治の場に戻るのを待ち、いろいろ話をしてくれている。

 

告白する。今年1月の八王子市長選挙に候補者として声がかかった。悩んだ末お断りした。まだ自分のなかで山梨に恩返ししきれていない気持ちが強いし、一緒に続けていることもある。そして、今じゃないと思ったからだ。

 

正直に言おう。実は自問自答し、昨年末までのしばらくの間、政治的発言と距離をとっていた。政治は生活だし、今の政治を変えたいという思いは自分のなかで変わらない。いや、以前より強くなっている。間違いに対しはっきりモノ言うスタイルが市議の時代からだけど、しかし政治的スタンスを明確にすれば敵を作り、時の政権政党と対峙すれば人が離れていく。

 

今冬の八王子市長選挙で、応援要請をいただき封印を解いた。理由は明確だ。今の国や山梨の政治はおかしくなっていて、そして八王子市政も同じ。僕のように、かつて自民党にいた者がはっきり言わなければならない時が来たからだ。精一杯応援した。

 

反省がある。応援した八王子市長選は負けてしまった。自分では一生懸命だったが、横断的な枠組みでは、もしかしたら、もう少し何かできたのではないか。それは山梨でも同じだ。新型コロナウイルス感染症が拡大し、この数か月、自己の見直しをする機会を持った。5月で48歳になった。認めたくはないがりっぱなオヤジだ。どの世代もそうで、将来に責任をもたなければならない。

今の政権、崩壊は時間の問題だ。が、しぶとい。先ずは一日も早くこの政権を終わらせる努力をしていこう。しかし、その後の枠組みが同じなら、何ら変わらない。そこも壊さなければならない。野党がしっかりしろ、というお叱りはその通りだ。耳が痛い。大きなことを言うつもりもないが、それでも自分にできることがあれば、努力と協力は惜しまないつもりだ。

余人をもって代えがたい、、、

今年1月に異例の定年延長をし、東京高検検事長を続投させた際の言葉が寂しく感じられてならない。昨夜この報道を聞いた際にブラックジョークとも思え、誠に信じ難く、そして、開いた口がふさがらなかった。半年延長後には検察トップの検事総長の椅子を手に入れるはずだった黒田氏とそれを目に余るほど堂々と進めていた安倍首相の今の心境は?

新型コロナ感染拡大対策が後手後手、国民や事業者への自粛と補償問題は遅々として進まず。アベノマスク、検察庁改正案の見送り、時を待たずして黒田検事長の賭け麻雀発覚。それも緊急事態宣言中の最中に、産経、朝日の2社の新聞記者たちと。辞職は当然だ。報道では1日と13日の2日間とあるが、おそらく常習化していただろう。産経新聞の用意したタクシーで帰宅したというのも笑ってしまった。

安倍総理に申し上げたい。
質問に対する答えは、「責任は自分にある、批判は真摯に受け止める」という毎度毎度を待っているのではなく、どう責任をとるんですか?と聞いているのですから、そこを答えなくちゃ。