『お茶』とともに、その14 | お試しブログ

『お茶』とともに、その14


中国には、
『夷(い)を以(もつ)て、夷(イ)を制す』
という言葉がありました。

その夷とは、鬼(おに)の事です。

中華の源(みなもと)→中原の夏(か)王朝を中心として、その中央から外れた4方には「東夷(い)・西戎(かい)・南蛮(ばん)・北狄(てき)」呼ばれる鬼が住んでいました。 *今の日本列島と朝鮮半島は、主に東夷に含まれています。

秦(しん)の始皇帝が、初めて中国島を統一したと云われています。

(・・? その秦国は、西戎=鬼の地から生まれています。

秦の始皇帝は、自身もでありましたが、世界を『統一』するため、本来の意味とは違う「世界の中心」という『中華思想』を引き継ぎました。それは、本来の意味とは違い、人民を「思想」ではなく⇔『統制』する手段に用いられる場合もありました。

初めて中国島を統一した『秦国』は、白黒はっきりさせる「白黒思想」が強すぎて、たったの15年で崩壊しました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11664652944.html

あれ以来、1つ宗教ではなく⇔複数宗教を併用しなければ、1つ体制を維持するは難しいと気づいたと思います。 *そのため、今でも中国は決して「一枚岩」ではありません。本当は、連なる邦(くに)であるけど⇔1つの国(くに)を演じています。そして今は、古い秩序→冊封体制=「世界の中心」から、新しい秩序安保体制=『世界の警察』に代替しています。

今のところ、表面上は、古い秩序は「中国」⇔新しい秩序は『米国』に見せています。

まだ、中国と米国は、 表面上=『国家間』の1つ体制しておらづ、水面下=『グループ間』でのみ通じています。国ではなく⇔組で通じる←闇の支配人が存在します。

闇の支配人はオバケ体を持たない→国を持たないオバケ見えません。彼らは、NWO (ニューワールドオーダー/新世界秩序)=ワン・ワールド体制を築きつつ、人口削減計画を建てています。

NWO の源(みなもと)→秦の始皇帝の悪政から逃げて来た人々が今も、日本列島と朝鮮半島、そして中国島にも住んでいます。

もマスコミではテレビ 実は水面下では通じる「正義」と『悪役』の劇場を見せる洗脳番組を流しています。


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本当の鬼は、一人1つ、耳を傾けづ、目をつむる。 自分自身の中にいます。

残念ながら、古代~現代まで、主に同じ東夷である日本列島と朝鮮半島では、相手が鬼で自分は違うという主張が続いています。

倭国、倭人という文字には、今の日本列島と朝鮮半島中国島に住む人々、国々という意味を持っていました。 *「倭」と『和』の意味が違っています。

実際に、古い文献に記される倭国=日本国と思い込みてんびん座自分の方が上だと主張する人々がたくさんいます。そうすると、ますます闇の支配人→NWO 体制を強化してしまいます。


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秦の始皇帝は、中央を目指し、金融システム→銅貨と冊封体制、中華思想をつくる。その時、もっとも中央を目指すことに反発していたのが「楚の国」の人々でありました。彼らは根強い道教思想を持っていました。

賑わう、貧しい、財産、貯金、購買、賃貸、質屋、経費などには「貝」が登場する。「銅貨」以前の「貨幣」は、貝(カイ)であった。銅貨が流通すると「貝殻」は価値を失う。それまで「貝が主」⇔「稲は従」の人々は、稲作適地を求めて各地へと引越しする←という「貝の道」がありました。

もとは、「楚」と「秦」は、同じく「西戒」の地でありました。秦は、中原の夏(カ)→中央を目指していました「楚」は中央に進む『秦』に反発していました。

稲作の民→「呉」は「越」に亡ぼされ⇔「越」は「楚」に滅ぼされていました。 http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11409411493.html そのため、「楚」の中には、稲作の水、太陽、蛇信仰を含む西戒の地には、「犬飼い、鵜飼い」の源(みなもと)→ さまざまな「龍信仰」が含まれていた。彼らは、着物に『しっぽ』をつけて、わたしたちの祖(おや)は犬だ‥http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11431099643.html ‥言っていました。彼らは、東西南北⇔吸収と分散をして行きました。

和服」を販売するお店は『呉服』になっているので、日本列島にも間違いなく、犬祖伝説が入って来ています。


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これまでの文章を見ると、秦の「国と人」を否定しているように見えます。しかし、秦の国の「誕生と崩壊」の前後に、秦の人といっしょに、犬の人、鵜の人など‥付随して来ています。

ミタメと方向、宗教と宗派、距離と時代など‥違うようにも見えますが、秦の人の後ろの人も来ています。



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前触れは長くなりましたが、
秦(しん)の国の誕生前後に、日本列島に亡命して来た人々の中には、徐福(じょふく)伝説のお話があります。

そして、秦(しん)の国の崩壊前後に、日本列島にやって来た人々の中には、秦氏(はたし)と呼ばれる人々のお話があります。

オカルト説によると、徐福と秦氏」の共通点は『原始・景教徒』である事と西戎=鬼の地から生まれている事です。彼らは、一人1つの地域から来たのではなく、西戎(かい)の他、南蛮(ばん)・北狄(てき)の人々も含めて東夷(い)と呼ばれる地域にやって来ました。

徐福伝説は、東西南北はば広くてんびん座秦氏は、山の後ろ→山背(やましろ)→山城国を主な拠点としていました。



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話が複雑になってきたので、『お茶』の話にまとめてみます。

江戸時代、インゲン豆の源(みなもと)→明の僧・隠元(いんげん)の万福寺/萬福寺(まんぷくじ)は、山城国の宇治にある黄檗(おうばく)宗でありました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11872398222.html


鎌倉時代、『お茶』を山城国の宇治に持ち込んだ 吉備国出身の僧・ 栄西(ようさい)の宗教は臨済宗といいました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11806961059.html


江戸時代・隠元(いんげん)の黄檗宗とてんびん座 鎌倉時代・栄西(ようさい)の臨済宗は、同じ「禅宗」という『お茶』に関する宗教でありました。そして、「時代と宗派」は違いますが、『足跡』が非常によく似ています。

栄西(ようさい)の出身地・吉備国の『百』と「かよう」と三原という地名も気になりますが、吉備国の特徴として、製鉄、製塩、陶磁器など‥焼き物(やちむん)の存在が思い浮かんできます。



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話はさらに複雑になってきたので、再び『お茶』の話にまとめてみます。

栄西(ようさい)は、『お茶』とともに、石臼(いしうす)を持ち込んでいました。http://s.ameblo.jp/yuukata/entry-11818307813.html


『お茶』→石臼→「抹茶」

『硫黄』→石臼→「火薬」

という関係になります。


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山城国の宇治市には、昭和の初めまで「宇治弾薬庫」という旧陸軍の火薬製造所がありました。



関係しているかは?

・嘉手納基地にも、「弾薬庫」地域があり、http://yado-umino.sakura.ne.jp/page124.html

なぜか ? 『山城と倉敷』という部落が含まれていました。



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このまま終わると ? 誤解を招いてしまいますが、一旦休止します。



この文章も、『お茶』とともに、










流しておいて‥












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