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〜まったり療養&リハビリしたい〜ME/CFS(慢性疲労症候群)

このブログは、ももえんの療養&リハビリの様子をつづっていきます(´・ω・`)

慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(CFS/ME)とうまくつきあえるようになりたいなぁ。


下書き書いたままアップできてなかった…





台風、すごかったですね
家がどうにかなってしまいそうなくらい
風がキツくて

被害に遭われた所は本当に大変だったと思う

暑いと何もできなくなるので
初盆は7月に終えたのだけど

8月のお盆には姉の友人や親戚などお参りが何件かあるので
その前にお墓参りにもやっと行けて
3ヶ月ぶりか

本当は毎月行くことを目標にしているけどなかなか難しい

日々無気力に過ごしている
めまいやしんどさでなかなか動けず
母の送迎係をするだけで精一杯

母は元気。
カラ元気なのかな

私も表向きそうだけど、苦しさは常にある
なんか色々考えて
やはり私が、この家に生まれてこなければ
よかったんじゃないかと思ったりする

私が生まれてこなければ
両親は私のお世話に囚われることもなかったし
お金もエネルギーもかかったわりに
私は家の手伝いもできずに
親にも姉兄にも負担をかけた

親にも姉にもヒドい言葉を浴びせた
こんな身体で生き延びて何になるのだろう

別に死のうとか思わんけど
いつでも人生が終わるのはウェルカムだ

でもその前に家にモノが多すぎるので
整理しなければならん

このまま放置したら死ぬに死にきれん
なのに体が動かないので
片付けが一向に進まない

自分の部屋の掃除ですら3ヶ月経ってやっとできた
蒸し暑い中じゅうたん敷きっぱなしはさすがに無いだろうて

ニャンもいるのに掃除も間に合わないって
生き物飼う資格ないのは
分かってるんだけど




もうすぐ姉の初盆なのだけど
準備は進んでいない。

モノが多すぎて廊下とか階段も狭くなって、どうにかせねばと思っているけど、ホントに1日でできる量は知れてる。

モノを1つ、右から左に移動したらそれで日が暮れてる

毎日洗濯物も濡れたまま放置、夜になってやっと干せる
自分の部屋の掃除すらもう何ヶ月できいない。
歯の神経も抜いたまままた歯医者に行かなければいけないのに。

血圧が上90・下60の時もあり、昇圧剤を出してもらって少しはラクになった気はするものの、やはり起き上がれる時間が少ないので、やれることも限られている。



最近、母が背中が痛いと言い出してコブみたいな良性腫瘍が大きくなってきていて、
もしかしたら秋くらいに切らないといけないかもしれない
母に頼っている自分は、手術となればフォローはできるだろうかと今から不安



あと去年から姪っ子のトラブルがなかなか解決せず、どんどん泥沼化してるのを見るに見かねて、
色々と心配して調べたり間に入って何かできないかと右往左往していた。
しかし自分が動くことで逆に迷惑をかけることになってしまい、もう一人の姉に怒られ
もう何もするなとまで言われ、自己嫌悪。

自分の不甲斐なさを改めて再認識。
できることをやったつもりになっていたけど、事の重大さにパニックになっていた

幼子を抱えた姪っ子に、これでもかというほどの不運がふりかかっている。
警察に相談したり、弁護士に頼むことになったそうなので、あとは問題が解決することを見守るしかない。

こうして否応なく無力で役立たずな自分をまた痛感するハメになったのだが、ホントに私は何のために生きてるのかわからなくなる

ホントに生きてる意味ねぇなと思う
早く○ねないかな。

まぁこれまで自分の時間が取れなかった分、もう人のことに費やさなくてもいい、自分のことだけ考えていればいい、ということかもしれないが。。

自分のやりたいことといえば、
家の片付けと身体を立て直すことと

死んだ姉のことを思うとまた自責の念しかないので、
姉が当時抱えていた大変さとか生きづらさ、姉とどう対峙すればよかったのか、などどう考えても答えが出ないことで悲しくなるので、姉との関係性を見つめ直すためと懺悔のためもあって

近くのお世話になった精神病院で、統合失調症の人の、傾聴ボランティアなどを
いつかしてみたいという気持ちがボンヤリとあるのだが

なかなか実現するに至らない

それ以外に生活費も厳しいので、少しでもバイトとかしなきゃいけないのだけど、定期的に出かけてどうのこうのはまだまだ先である。。


あと半年で40代に突入する。
父と姉が居なくなって、普段話す人と言えば母しか居ない。
いつ母も居なくなるかと思ったら、
特に孤独を感じるようになった。

よくゴミ屋敷のお掃除動画とかを見て
将来的に一人になったら自分もこうならないとは言い切れないなとか
思いながら見ている

虚無だ。


事件についての報道をチラ見していて
たぶんそうだろうなと思ってたけど

その記事を読んで
やっぱりそうだったと確信に至った

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今回の事件の約10年前

「両親がアパートの部屋に入ろうとすると「ここは盗聴されているから気をつけて」と注意を促し、盗聴を恐れて携帯電話の電源を切っていたと告白。

さらに「部屋の隅に監視カメラがある」とも言い、ショックを受けた両親は容疑者を実家に連れ帰り、大学も中退することに。

 〈両親は病院の受診を勧めたが、青木容疑者は「俺は正常だ」と拒否した。無理して受診させれば「親子の信頼が切れないか、心配だった」〉と母親は取材に答えている。

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ご両親はその後、長男が働ける場所として、
農園やアイスクリーム屋さんを作り

なんとか家族で
精一杯やってこられたみたい

でも心の何処かでいつか他者に向かうかもしれないことを危惧しておられたんではないか

その葛藤は痛いくらいわかる
本人も家族も悲劇である

こんなことになる前になんとかしなければならなかった、のだろうけど
それを社会が言うのは簡単である

姉のことを思っている
涙が止まらない




この前は啓発デーだったけど何もできなかった
日々過ぎていく。

最近、虫歯の治療さえ行けてなくて
気付いたら神経を抜かないといけなくなった
人生で初めて神経を抜いた

痛みに耐えてる時、姉もずっと歯の治療で苦しんでいたことを思い出してた

怖いという感情を極度に感じやすい姉が
歯科治療するにはかなりの覚悟が必要だった

顔面が腫れるまで悪化し
ずっと歯科も転々としていた

あまりにも転々としすぎるので、
「もうどこもやってくれるトコ無いよ」
と突き放すようなことを言ってしまった

もっと親身になって探してあげればよかった
色々思う

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豆さん、5月の誕生日おめでとう
今かなり大変な状況だと思うけど、大丈夫かな…

豆さんがいつもニャンのことを気にしてくれてるので書こうと思う

姉の在宅生活に活躍してくれたニャン

気付けばそばにいて
何も言わずに寄り添ってくれるニャンを
姉もいつしか可愛がるようになってた

そんなニャンが、最近調子を崩している

1か月前からあまり食べなくなって
ガリガリに痩せてきて
そのうちニャンが急に血の塊を吐いた 

ゼリー状というかレバー状というか
そんな血の塊を3日間吐き続けて
床も血だらけになって
どうなることかと思った

フラフラで立ち上がるのもおぼつかなくて
もう息絶えてしまうのかと思ってたけど
吐ききって抗生剤打ってもらったら
何故か回復した

悪いものが出たのかな

しかしその後は、失禁の日々
おしっことヨダレが出続ける
猫介護生活。。

ニャンが最初で最後の猫。
もうペットは飼わないと決めてる。
自分には無理。

だからこそ最期までちゃんとお世話しなければ…と思う




納骨のために体調整えてきたけど
終わったら終わったで抜け殻のよう


コメントありがとう

なかなか前向きにはいられなくて
傍から見たら歯がゆく見えてしまうかもしれないけど
時間が必要だなと思います



この前、姉が夢に出てきました

顔色はまだ良くなくて
白装束のようなものを着てた気がする

昔の家の間取りの場面で
私が小学校くらいの時代の。
ピアノが置いてあった

姉はよく帰ってきたら
1番に私のほっぺたを両手で覆って
ただいまって言ってた

ホントに幼い時は可愛がってくれてたんですよね
その時の仕草を夢の中でもしてくれてました