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永遠のホリデー(^O^)/

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IT系のちょっとした小技・テクニック
心理・精神(スピリチュアル)に関しての考察コラム
夢日記、ハーブや野菜などの園芸記録など

陰陽や健康関連のサイトを見ると
電気炊飯ジャー・電気毛布・電子レンジなど
「電気が作り出す熱」は基本的にNGとする傾向があります(;・∀・)

私自身、レンジを使う料理は単純にマズイ(と感じる)ので使いませんが
炊飯ジャーや電気毛布が本当に健康に良くないのかは「?」です。

電気毛布に関しては、少なくとも体温を上げる効果があります。
その「熱」の「質」は、火と電気で確かに違うと思いますが
「電気で体温を上げても逆に不健康」みたいな理屈は飛躍じゃないかな~と思います。

体温が下がることによる免疫能力のダウンや、体温を上げることのメリットは一般的に知られています。暖炉はよくて暖房はダメ・・・というのは納得できません。

とはいえ「火」温めるのに対して、電気で作り出した熱は「保持しにくい性質」があるとは思います。ガスストーブは部屋全体の空気を温めますが、電気ストーブは「当たっている時・当たっている部分」しか温めず、少しでも離れるとまたすぐに冷えてしまう性質があります。
これが「あくまで陽だけれど極陰性」と言われる所以かな~と思うんですね。

散りやすい・薄まりやすいというのは陰の性質なので
電気が作る「熱すやすく冷めやすい」性質の熱は確かに陰性の性質をもつ陽性になると思います。

だからといって、それが悪(間違い)だとは思いません。
電気熱は空気を変質させないので、一酸化炭素中毒のような危険性はありませんし
常に一定の温度を保てるという強みを活かせば「炊飯器で温泉卵・ローストビーフ」のような応用も可能です。

最終的に自分にとって「便利・気持ちいい・美味しい」などのメリットを得られれば良いのですから、柔軟に使い分ければよくて「電気=悪」のような極論は片手落ちな気がしてならないこの頃です。


よくお悩み掲示板などで
「相手と理論的・論理的会話が出来ない」という書き込みを見ます(主に男性⇒女性へ)
まず、この2つが混同されていること自体問題だと思ったので、2つの単語の違いを検証することにしました。

理論的とは?

「理屈としてこうなる」と論じること。
その時点で決定している、最も確実な法則を元にした計算・予測を説明すること。

重力時間などの物理法則をはじめ、国家法律のような社会ルール
完璧な直線のような概念上にしか存在しないものなど
基本的に《個人の意志では曲げられない法則》が理屈の基準になります。

理論=絶対ではない

理論は《基本的に絶対の法則》と書きましたが、よく映画に出てくる
「おい、本当に大丈夫なのか?」
「まぁ、理論上はね(ニッコリ」

このセリフが大概フラグとなっているように(笑)
理論的というのは、あくまで今の計算ではそうなるはず・・・という意味合いしかありません。

イレギュラーな事態が発生して条件が変わったり、新しい方程式が出現すれば
計算結果は当初の予定からどんどんズレていってしまいます。

常に変化&相互影響を起こす現実や生物に対して、一定の条件下を確保することは難しいもの。
《理論的な計算=絶対的》ではないのはこの為です。
「理論的には~、理論上は~」というセリフは、問答無用で納得すべきと神聖視される傾向がありますが
条件1つ変化すれば崩れてしまう程度のざっくりした見通しに過ぎません。

理論≠論理

ここまでで既に雰囲気が伝わったかと思いますが
理論・理論的とは重力や時間のような絶対的な法則そのもの(ただし確実ではない)であり
それらを使った説明・主張は理論ではなく論理・論理的な行為です。

つまり《理論的な主張》という言葉自体ニュアンスがおかしく《理論を元にした論理的主張》が正確な表現なので
「理論的に話しているのに!!」というセリフ自体、言葉の使い方が間違っています。

論理的とは?

「その人個人の理屈としてはこうなる」と論じること。
理論と違って物理法則などの絶対的な基準ではなく、あくまで個人的な基準を元にした判断への説明です。

《あの店はいつも混んでいる⇒あの店は美味しいに違いない!》
《今までこのやり方で失敗していない⇒これからも同じやり方で大丈夫!》

このような大雑把な認識も、自分の中で筋が通ってさえいれば立派な個人の理屈になります。

そこに根拠があるかないかは関係なく、あくまで《自分が信じている法則性》なので
《ジンクス・主義・マイルール・経験則》なども個人の理屈に含まれます。
ついでにいえば、思い込み・思い入れ・偏見・先入観なども個人の理屈になってしまうんですね・・・

論理的に=オレ的には

このように《論理的主張》とは
「自分にとって都合がいい(であろう)法則性の為に(根拠はなくても)自分なりの理屈があると主張する」ことです。なんだかとってもジャイアニズムに溢れていますが、実際はその程度の意味しかもっていません。

「論理的な~ 論理的に~」というと、いかにも利口&聡明で世間一般の総意を語っているようにとられますが
実際には、主観に基づく自己判断の内容を詳しく説明しているに過ぎないのです。

論理的≠正しい

「自分の理屈は100%正しく、その論理は他人に受け入れられるべきである」という思考は
《相手の理屈・論理・都合》を無視していますので、一方的で暴力的な性質です。

どれだけ自分にとって論理的であろうが
その理屈が《相手にとって不快・不利益な結果をもたらす》のであれば当然受け入れられません。
相手には相手なりの主張・理屈がある為です。

「論理的なことを言っているのだから従え!!」と相手を責めるのはお門違いな言い分です。
繰り返しますが《論理的な発言=自己主張の詳細説明》でしかありませんので
論理的主張自体を理由に相手を服従させようとするのは「説明したんだからいいだろ!!」というのと変わりないのです。

相手があなたの論理に従う理由はどこにもない

「なんとなく、たくさん説明できる方が偉いっぽい。お前も同じくらい説明できないなら従え」
こんな脅しはただの無理強いなので、相手を納得させられるハズもなくトラブルとなる危険性があります。
自分はちゃんと説明にしたのに、相手が勝手に怒りだした・・・と想っている人は《説明をしたこと自体》に満足しているだけで《相手を納得させよう》としていない事に気づいていません。言いたいことだけを言っても物事が解決しないのは、重要なのが言葉の数や論理の美しさではないからです。

話し合いが進まない理由は?

男女間の口論にありがちな
「理論的(論理的)に話してるのに何で解らない!お前は感情的でちゃんと話しを聞かないから進まない!!」
といったイライラが発生するのは
双方の目的が不明瞭または食い違っている為に、お互いの考えが噛み合っていないことが根本原因です。
(それ故に感情的になっているので、感情的になっている部分を責めても無意味)

論理的な話し合いとは、目的を達成する為の計算式を組み上げる作業。
片方は目的が定まっているが、もう片方が定まらないまま話しを進めようとしても
そもそも辿り着くべきゴールが設定されていない為、一緒に迷子になるだけなのです。

交渉は準備が済んでから

ビジネスとは違い、個人的な関係における話し合いでは
お互いの利益に加えお互いの感情という非常に曖昧な基準を満たす為の交渉をしなくてはなりません。
感情的とは自分の求める結論が明確に出来ない為、交渉内容が未だ定まらない状態です。
だからこそ先走った論理を振りかざす前に、まずはお互いの目的を明確にする交渉前準備を行わなければ
どれだけ的確な理論を用いた論理を展開しようが、一方的な要求としか取られません。

「もう、そうじゃない!わかんない!どうしてあなたはいつも一方的なの!コッチの話しも聞いて!!」
「じゃあ話してみろよ!!」
「そ、それは・・・・・・」
「なんだ、話せないのか!? どうしていつもそう感情的なんだ!!」
「だって、だって・・・qあwせdrftgyふじこlp(大泣き)」

ありがちなゲンナリ展開ですね。
状況整理の済んでいない人に「どうしたいんだ!?」と結論を急いても、相手を余計パニックにしてしまうだけです。

人間は自分が本当に求めるものをいつも正確に理解しているワケでない

理論を含む論理的な主張話し合いの相性が悪いのは、この点を忘れている為です。

論理的な会話は、トラブル内容がまとまり終息させようとする段階で可能となります。
話し合いの順番としては《最後》にくるものなんですね。
本来は、そこに辿り着くまでの《交渉準備》ことが本当の話し合いとなります。

グチャグチャの部屋を片付けるにも、まずは何があってどれが必要・不要なのか?
お互いに確認して仕分ける必要があるのと同じですね。
勝手に「あれは捨てて、これは取っておいて・・・」と作業を始めてしまうと
ちょ、ちょっとタンマ~~~!!とストップがかけられますが、それは当然の反応なのです。

お互いの交渉(話し合い)準備を手伝う

まずは話し合う前に話しの内容を整理し、どれだけ把握出来ているかを確認する必要があります。

片方が把握しきっていない場合、相手の言い分を聞いた上で一緒に整理して
相手なりの論理を組み上げる手伝いをしなくては《対等な交渉》が行えません。

相手が理解していないのを良いことに自分の論理だけをまくしたてるのはアンフェア。
結果として相互満足が得られませんので、水掛け論ばかりの泥仕合になったり
強引に決着をつけたせいで、カタチをかえ何度も同じ口論をくり返してしまう・・・・といった事態を招きます。

いかがでしたでしょうか?


論理的な発言&主張は《主張を通す理由を説明すること》なので、以下の効果を得やすく好まれる傾向にあります。
・どうして&何故そうなるのか? 結論までの過程を説明出来るので相手を納得させやすい
・相互理解を円滑にする
・詳細を語るので誤解を防ぐ
・判断基準を明確にするので判断に困りにくい

しかし、決して《論理的である=正しい》ではなく
自分にとって正しいと思う理屈の説明が論理的な発言になるだけ。それ以上でも以下でもないのです。
ここを勘違いして、論理的であることを理由に自分の都合を正当化するのは
言い返せないことで立場が弱い相手を脅し、自分の言い分だけを通すというパワハラになってしまいます。
《言い返せない方が悪い》というのは《殴られて殴り返せないのが悪い》というのと同じ、ただの暴力です。
相手の意志を無視して一方的に主張を押しつける行為は、例え手を出していなくとも、口を出す暴力になりえます。

・無自覚に言葉を武器に相手を支配&服従させようとしていないか?
・その理屈は本当にお互いの為を想っているのか?
・本当は自分の言い分を通したいだけではないのか?

「話し合いが上手くいかない」という方にご参考になれば幸いです!!

いや~すっかりご無沙汰でした!!
永遠のホリデーサイトを立ち上げるのに全力を使ったのか
その後「書きたい欲」」が一気に萎み、ネタばかり増えつつ
ちっとも筆をとれない日々が続き年越ししてしまいました・・・
しかし!!自己合い最重視なので無理はしないのですヽ(´▽`)/
ここで「頑張らなきゃ」なんて無理に更新すれば、その後本当にイヤになってしまいますからね。
お腹いっぱいの時は食べない。これ当たり前の対応♪そして充電は済んだので更新を再開します☆

さて、前置きはここまで

みなさん《占い》って何だと想いますか?


未来を予測・予知・予言するもの?
「未来・過去はこうだったのだから、こうしなさい」と指示するもの?

違います!!!!!

(いや、中にはそういうスタイルの占い師もいますけどね・・・)
それは占いの本質じゃないんです。

予知とは《個人的な予測》を強く主張したモノなので
確率・可能性の提示である以上
推測・憶測または統計データからの計算に過ぎません。
自作自演・出来レースでもない限り、すべては「~と思うよ」ってレベルの仮説。
だから《株価》とか《ギャンブル結果》とか《天災の起こるタイミング》とか、当たらないでしょう(笑)
それは占いの本分じゃないからなんですよ。

加えて《他人の行動やあり方を指示する》のも占いの本分ではありません。
それは宗教であって、混同すると占い=プチカルトになってしまいます。これもありがちですがね・・・
じゃ、占いって何の為にあるんでしょう?

占いの本分・当たるとは?


《当たるも八卦・当たらぬも八卦》という占いの本質。
なんだよ、どっちだよ!!って想いませんか?

何故、占いは当たったり当たらなかったりするのか・・・
その鍵は《当たる》というのが《何に対してなのか》によって変わる為です。

当たる=思い当たる

カウンセリングと占いの決定的な違いは以下の点です。
・クライアント自身から提示された材料をふまえて話しをする
・クライアントと全く無関係な視点から話しをはじめる

例えばタロットカードのような《偶然性》を用いる占いは
シャッフルして出たカードの絵柄・位置・意味合いをクライアントに見せます。
あくまで偶然なので、クライアントの意図は無視した結果です。
しかし、関係があるかもしれないという前提でカードの意味と時間軸を照らし合わせると・・・
不思議と《思い当たることがある》のです。

それは、とうに昔に忘れた《抑圧感情のキッカケ》であったり
複合感情・隠された本音などを浮き彫りにします。
何故「今」がこうなったのか?

占いは過去・未来ではなく現在を知る為に使うもの


占いに来る人というのは《現在の自分》に不満・不安・葛藤を抱えています。
現在が不安定だからこそ、過去や未来を気にしている。

占いとは《今が何故、今となったのか》を納得・肯定する為に使う道具なんです。
不満・不安・葛藤の原因が思い当たらない為に悩む人が「そういえば・そうだったカモ!」を得るきっかけを作るもの。

心の内のサーチライトがグルグル迷う中・・・
その角度を思いもよらぬ方向へグイ!っと曲げて
「まさか、そんなところに!?」を与えられる唯一の道具。
それは《あくまで偶然である》という切り口だからこそ炙り出せるんです。

カウンセリングはあくまで本人のサーチライトを尊重するスタイルなので
複雑に埋もれた(隠された)原因を表面化するのは難しい・・・
しかし、占いはクライアントの意図も占い師の意図も無視した《偶然》という答えを提示するので
「流石に関係ないだろう」と見過ごしている事に強くスポットを当てられる。それこそが最大の強みなんです。

現実=自分自身

永遠のホリデーでは《現実=本人の心の様相そのもの》だという見方が前提です。
(ここは固有振動数の話しになるので、詳しくは「愛の定義シリーズ」を御覧ください)

現実に不安・不満を抱く原因は全て《自己愛の抑圧》が根っこですので
まずは《我慢している本音・押し殺されたままの感情・見ないフリをしている自分の側面》と対峙する必要があります。

しかし、何重にも隠された自己愛はおいそれと掘り起こせません。
本人も埋めた場所を忘れてしまっている(無意識に封印している)為です。

ここで「不確かな証言内容」を元にプロファイリングして
失せ物を探すのも一手ですが、なかなか難しいものがありますよね。
要素や情報を整理するだけで見つかるレベルなら、自分で見つけられる場合が殆どですし
クライアントの証言が《本当ではない》可能性も高い為です。

しかし、占いは一方的にキーワードを突きつけるのみなので
《自分を騙す、セルフ詐欺》が作用しません。
強く抑圧されすぎて原因を忘れきっている・・・
その状態を逆手にとって、無意識に避けていた方向へと目を向けさせることが出来るから
気づいた時には《思い当たっている》という、セルフ詐欺師の騙し打ちが可能なのです。

すべては自己愛へと帰結する


人が幸せを得るために心を寄せるべきは《今》です。
今を肯定するには、抑圧感情と向き合う為に過去へ思いを馳せなくてはならない。
凍結された気持ちを開放し、認識を更新する必要があるからです。

しかし、自ら封印したパンドラの箱を開けるのは勇気がいりますし
基本的には「パンドラの箱などない!!」と否定してしまいます。
(否定してきた先にクライアントの現在があるのを認めない)
だから占いという《狂言回し・トリック・スター》が活躍するんですよ。

言い方は悪くなりますが「そんなものは関係ない」とタカをくくって油断しているからこそ
ハッと気づいた時にはパンドラの箱を見つけてしまっている(見つけることが出来る)というお膳立てが可能なんです。

逆引き辞書のようにキーワードだけを注視して、あみだくじを反対になぞっていくと・・・
指先はいつの間にか《最初の原因》へとたどり着いている。
それは無作為なキーワードを提示出来る、占いの性質あればこそなんですね。

本当に本当に関係ないカードが出てしまったら?
占いは《はずれる》ことになります。しかし不思議とそうならないんですね~
これも固有振動数の共鳴の成せる技でしょう。面白いですね~

占いが「はずれる・はずす」のはどんな時?


「知る」というのは、良し悪しです。
知ったからといって幸せになれるワケではない。

まだ知りたくない、心の準備ができていない人にとって
真実とは時に苦痛なだけです・・・

占いがどれだけキーワードを提示しても
その先にある《隠された自分》と対峙できる勇気がなければ《思い当たらないフリ》をしてしまいます。
何も思い当たることがない=はずれ ということ。

もしくは、占い師自身が占いの本分を忘れ
自分に都合のいいように拡大解釈したストーリーをクライアントに押しつけたり
「絶対こう!!」と言い切って支配・コントロールしようというとすると
自己愛を受け入れるお膳立てになりませんので《はずれる》可能性が高いです。

万が一まぐれ当たりしたとしても・・・
本来《自分の手・スピード・タイミングで掘り起こすべきだったこと》を横取りしてしまうコトになるので
突如真実を暴かれ拒絶反応を起こしたクライアントが、さらに厳重に抑圧感情を封印してしまうケースもあります。
それでは本末転倒ですね・・・

占い結果がどうなのかは、あくまでクライアント自身が決めることなので
占い師はあくまで《舞台材料を出すだけの黒子》でいい、それ以上踏み込むとやり過ぎ。
黒子はあくまで黒子。出しゃばって演出家や仕切り屋を気取るのは分不相応な行為なのですよ。
(ここを勘違いしている人がと、占い師&クライアント双方とても多いと思います)

《占い》とは、自己愛を見失った人へその原因を探り当てる為のキッカケを与えられる道具。
それ以上でもそれ以下でもないのです。

ユウキ食品 味玉(ウェイユー)化学調味料無添加

中華系の調味料には珍しい旨味調味料無添加のコチラの商品!!
原産国は《日本》なのですが、原料それぞれの産地までは不明だったので・・・
ユウキ食品さんに問い合わせたところ以下の回答をいただきましたヽ(´▽`)/

2015/01/30現在
<化学調味料無添加味玉>
動植物油脂(日本、マレーシア)、食塩(日本)、鶏エキス(日本)、豚エキス(日本)、澱粉分解物(日本)、酵母エキス(日本)、野菜パウダー(日本)、ねぎ(中国)、生姜(中国)、にんにく(中国)、香辛料(マレーシア)

ふ~む、3点中国素材が入ってますね・・・惜しい(・ω・)
高くなってもいいので、全国産原料の品も出して欲しいです~~とリクエストしたところ「製品開発担当へ申し伝えさせていただきます。」とのご返答いただけました☆

すべて国産原料になったら買ってみたいと思います♪
前からずっと憧れだった
土鍋炊飯~~~~ヽ(´▽`)/

遂にデビューしました☆
ネットの説明を読んでもイマイチ火加減などが難しそうで・・・
失敗したら目も当てられないので、尻込みしてたんだけど
Facebookの土鍋の広告見たら、いてもたってもいられずwww

最初買おうと思った土鍋は売り切れで、悪いレビューをよく見たら「吹きこぼれがすごい」と書いてあったので、「吹きこぼれない」をメインに土鍋検索。

華月 大黒 2重蓋 土鍋(2合)

 米をあらかじめ浸して水さえ吸わせておけば、中火一定で15分ほど炊けば完成
電気釜の早炊きより早いし、なんといっても美味しい!!! 
お米一粒一粒に弾力があるし、冷めてもしっとりツヤツヤさらに旨味が凝縮されます 
(この冷やご飯でおむすびを作ると最高) 

タイマーできっちり時間をはかったり、ミリ単位で水加減を測らなくても 
「グワラグワラ」と沸騰音がしなくなって 
蓋からポワーと出てる蒸気の匂いがお米の甘い香りから 
ちょっと香ばしくなったとこで火を止めればOK☆ 
ズボラな私でも今のとこ1度も失敗なしヽ(´▽`)/ 
※香ばしい匂いがしてから弱火して1~2分おくと「おこげ」が増えます

あとは15分くらい放置して蒸らしておけば勝手に出来上がってます 
(この間にお味噌汁を温めたり、料理を仕上げればムダなし) 

こんな簡単ならもっと早く買っておけばよかった~~・・・ 
炊飯器をなくしてみると、意外とキッチンの場所をくってたことに気付きます。 
食事の楽しみや健康もさることながら、お部屋もスッキリ☆ 

私はいつも1合~1.5合炊きがメインなので2合をチョイスしましたが
3合4合6合バージョンもありますよ~~~(・ω・)b



お米1粒1粒の存在感がすごいでしょ!!
これがいわゆる「米がたってる」ってやつかな~???

Facebookで「オバケの作り方」を書いてたら
タイムリーに「フクロウ男」ってHuluのドラマでそれの実践verが載ってたww
考えることはみな同じやね~~ん

我々はオバケ(透明な影響力)の複合体であり、オバケ製造機でもある。
オバケはネットを介してビューンと増えて、利益か被害を生んだ時実体化する
オバケの影響が弱々しい段階では「傾向」「可能性」といった水面下のジワジワに過ぎない。

でも、ジワるからこそ
「馴れ」「チリつも効果」で、気づかぬ内に大きな影響へと変貌していることがしばしば・・・(遅効性ウイルスはまず潜伏して一体化するもの)

気をつけなくてはならないのは、オバケの干渉によって
欲しくもないものを欲しいと思ったり、要らないものを抱え込んだり
心と頭がチグハグになってしまうこと

なにかが満たされない・・・うまくいかない・・・・
それは妖~~怪~~の~~~~↑↑せいなのね(;・∀・)

オバケを振り払う方法は3つ
第一に「自分の感情」に背かない・抑圧しない。
第二に「苦痛の解消」を快楽だと錯覚しない。
第三に「自己評価」を上げる。

上記3点はすべて本質的・根本的解決なので
複雑化している場合には効果が反映されるのに時間がかかるし
好転反応(膿出し)的に、一時的に状態が悪化することもある・・・
でも表面的な対症療法を繰り返すより確実れす☆

オバケに注意してくださいねヽ(´▽`)/
妖怪ウォッチが流行するのも「オバケは身近にいくらでもいる」ってことをキャッチーに伝えてるんだと思う。潜在意識へと・・・・
嘘も事実も、ネットではどんなウワサでも流れるけど
大衆が信じるものは「感情を動かすもの」なのよねん。

怒り・蔑み・悲しみ・喜び・期待・不安・・・なんでもね
感情が動きさえすれば、それは生きていくエネルギー(快楽)になる。

日常に不満を感じている人ほど、憂さ晴らしとして
刺激的なウワサ話に乗っかりやすいの。他人を攻撃する為にはキッカケが必要だから、いつも「悪いこと・悪いことをする人(敵)」を探してるの。(都合いいサンドバッグ)

喜びの共有よりは怒りの共有の方が多い。
その理由は、他人を間違っていると言えば間接的に自分は正しいと言えるから。自己肯定は何よりの快楽だけど、みんな素直に自分が良いと言えないもんだから、他人を悪いと言いたいのじゃ。

他人を巻き込みたいと思ったら、感情を揺さぶるようなセンセーショナルな出来事を広告すればいい。炎上マーケティングやね。

困ったさんなのは、マーケティング目的もないのに炎上が起こること。
突如注目を浴びてしまった一般人は、過度な注目がかなりの精神的負担になる。追い詰められて何をするか・・・・
ウワサ話は、間接的に人を死に追い込んでしまうことすらある。
(この場合、犯人は居ないので完全犯罪になってしまう)