幼児の頃から小学生くらいまで
祖母の御参りに、よくついていっていました。
祖母は優しくなかったし、愚痴を聴くだけの道中なので
「次はもう行かない」って思うのだけれど
懲りないというか、すぐ忘れてしまうので
誘われると、またついて行ってしまうということを繰り返していたのです。
よく行ったお寺で
四天王寺だったか成田山だったか
場所はよく覚えていないのですが
各干支の御守り本尊の像が並んでいる場所がありました。
祖母は、家族の御守り本尊にお参りするのですが
「里香の守り本尊は文殊菩薩やで。文殊さんに守られてるから賢いんや。」
と、毎回同じことを言ったのです。
文殊菩薩は知恵を司る仏さまなので
そう言ったのだと思います。
わたしはというと、
賢いかどうかと守り本尊が文殊菩薩ということには
因果関係はないし
だったら、キリスト教やイスラム教の人はどうなのか?
なんてことを思っていました。
けれども
祖母のこの説明を繰り返し聞くのは悪い気分ではなかったんです。
「わたしは賢い」
と刷り込まれていくような感じでしょうか?
その内容が本当だとは思っていなかったけれど
「里香は賢いんや」ということを
わたしは受けとって、自分の心の中に放り込んだんです。
それが本当なのかよりも
それから何を受け取ったのかということが
わたしの心に影響しているんですね。