ガランリンの脇台詞 *わきぜりふ* -4ページ目

ガランリンの脇台詞 *わきぜりふ*

伽藍琳(ガランリン)のブログ

シンデレラのフェアリーゴッドマザー(魔法使い)も、東少オリジナルのキャラクター=マリオムという狂言回しの道化師も、人間ではない、実在しないキャラクターなんだけれども、「存在する」という意味では、実体のある人間の役をやる時となんら変わりないよなぁ…などと想いを廻らせてたら、ふと過去の色んな作品の稽古中に演出家に言われた言葉を思い出しました。

子供向けの芝居に関しても同じように通じる部分と、生きてきた年数のまだまだ少ない子供達にとって、彼らの、少ないけれどカラダいっぱいに詰まった記憶を刺激して想像力を触発させるために拡大表示すべき部分と、あると思う。でも、お芝居の根本は、大人向けだとか子供向けだとか、やっぱり関係ないよなぁ…と思いたいなぁ…。

迷った時に、いつも思い出すコトバたち。忘れないようにもう一度書いておこう^^


衣裳付き通しを終えて、劇場入りを前に、(鈴木)裕美さんが言った言葉。

「衣裳やカツラを付けて空間が大きくなっても、
表層を大きくしないで。

稽古場で創ってきた、人と人との間に起こっていること、
深層で起こっていることを大事に。」

「与えずに、思い出させる。」
「大技にして客席に飛ばさないで、自分の方に観客をつかみ寄せて。」

『回転木馬』の演出家ロバートが、毎日必ず言ってくれた言葉、

「present=存在して」ください。

栗山(民也)さんも同じことをおっしゃってた。
長崎の原爆を扱った芝居の稽古中だったのだけれども、

「演技じゃなくて存在して。
こういう芝居をするときは特に、演技なんかしたら、
何万人という浦上の死者に対して失礼だよ。
ただただ、そこに存在してください。」

「言葉を伝えようとしないで。客席に投げないでください。
舞台上で起きていること、
登場人物の間で交流されていることがものすごく芳醇であれば、
客はその中に入りたくてのめり込んで観ます。
言葉を客席に投げた途端に、客は引きます。」
http://garanlin.exblog.jp/9430831
『シンデレラ』リハーサル、気づけばあと稽古場では3日間のみ…!

シーンごとの稽古から、少しずつ繋がって来て、ランスルーもしてはいるものの、何だかまだ色んなことがストンと腹の底に落ちてこない。考えすぎてはいけないのだ!と、ウニウニする脳内不安をなかったことにしようと頑張るもう一人の自分と、子供向けだからと言って迎合しすぎてはいけない、子供だって、こちらからむやみやたらに手を伸ばさなくても、舞台上が魅力的でさえあれば向こうから来てくれる、と信じたい本当の私と。

これは10日位前にFBに書いたのだけれど、

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魔法使い、という役は目的は一つで不動なので演りやすいと思いきや、演りようは無限にあるので、キャラクター設定をちゃんとしないと支離滅裂になっちゃう…(> <)しかもこのホンでは、マリオムという、ストーリー全体の狂言回しである道化が変身して魔法使いになる、という設定なのですが、その行間がなかなか埋まってくれなくて、、、きっと、コレだ!というものが降りて来るのは初日直前になるのでしょうが、-----

うーん、本当に初日直前まで足掻きそうです。でも、舞台上ではせめて自由な心でいたい。ギリギリまで足掻いて、コレだ!を見つけたいと思います。


そしてこれもFBに書いたのだけど、

-----私が今回最も絡む役どころ、シンデレラ役の麻琴ちゃん、取り組み方や吸収する姿勢がとっても清々しくて、何より根性がある。すごいなぁと思います。モーニング娘にしてもAKBにしても、昨今の特にグループのアイドルさん達は、競争社会の中での切磋琢磨が日常茶飯事で、
鍛えられているのでしょうね、自分は今どの位の位置にいるとか、自分に何が足りなくて、でもこれは誰にも負けないセールスポイントだ、とかいうことをちゃんと分かった上でしっかり立っている感じがする。で、足りない部分をできるようにするための真摯な姿勢も備えていて、、、刺激を受けます。私もがんばらなきゃ~!って。-----

今日も稽古場で、麻琴ちゃんの、演出家のダメ出しに対する返事「はい」「わかりました」の音色にハッとする私。何てpureで美しい「はい」なんだ!私の「はい」には、言われたことに納得してないオーラがにじみ出てやしないか!? …こういうことに歳なんて関係ない、気づかされること沢山です。。。

7月19日~27日@三越劇場(22日は休演)です。その後には全国公演もあります。チケット、まだまだお取りできますので、ぜひお誘い合わせて観にいらしてくださいマセ♪
http://garanlin.syncl.jp/index.php?p=live&id=55477
(ガランが直接存じ上げているかた&そのかたからのご紹介の場合、ご優待価格でご手配させていただきます。上記URLよりお気軽にご連絡くださいね^^)



まずは来て♪とご連絡いただき言われるままに赴いたプロダクションミーティングは、今日からキックオフ!というとても大事な会議でした…!
すでに舞台美術家が具体的かつexcitingな装置草案を用意していてそのプレゼンがあったり、今日の最も重要な議題=キャスティングが行われたり、、、。ウェットスーツを着ないでいきなり太平洋のど真ん中に飛び込んだようなドキドキ感でいっぱいの一日でした。
みなさんこれまでに何度もタッグを組んで作品を世に出しているチームで、newcomerは私だけ。でも、とてもfairで温かな現場だということは、すぐに分かりました。台本もいただき、今日からが私のスタートです。

今年頭に色んなことを決心して動き出したのだけれど、腹をくくると、それまで手に入らなかったもの、諦めようと思ったものが、意外にも向こうからやってくる。今日、また新たな、とても嬉しいお話をいただき、普通なら決心が揺らぐところだけれど、今、何とか両方できないかと図太く構えている私がいます^^
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」!
(先週、米沢で初日の朝にフラリお詣りした上杉神社で、昔から心に留めてたコトバを偶然見つけて運命を感じた!笑)

明日はさらにドキドキなシンデ歌稽古だ…予習予習…。


昨夜観た『Lady Day』、本当に良かった!
幕開きの第一声から引き込まれて(第一声の歌詞がまたすごく素敵)、終盤、瞳子ちゃんがビリー・ホリディにしか見えない瞬間が何度もあった。心震えました。

人種差別が根底にある作品って、黒人の話なら黒人が演じないと絶対ダメ(黒塗りして演じても、流れる血が物語る説得力には敵わない)と思っていたけど、私、初めてかもしれません、黒塗りした俳優が演じる黒人のストーリーに、本気で惹きこまれたの。ビリーの言葉のみで語られる、彼らの、彼女の抱えてきた背景が、目の前に映像で見えるかのようでした。血を超えて、一人の人間としてビリーに共感したり心を寄せてみたり。それだけ深かった。すごかった。

黒く光る顔を映し出す照明がまた、哀しいほど美しかった。奇をてらわない、それでいて、生と死と、温もりと冷たさ両方を感じさせる装置も。

昨日は作詞家の亜子さんと観に行って、開演前に、「Jazz(とかBlues)を訳すの難しかったでしょ?」「でもJazzって日本語に訳した時点でもうJazzではなかったりするしね」なんて話もしていたのだけど、あれだけ有名な「奇妙な果実」も(日本語で聴いて)違和感を感じるどころか、歌の内容が初めて心にダイレクトに突き刺さってきて、伝わる言語で届けることって、大事なんだなぁ…と実感。英語で作られた歌は英語で歌ってこそ本来の良さが伝わる、なんて思っていたけど、これもまた時によりけり。日本語詞のおかげで、この曲の持つ力に改めて憑りつかれてしまった。メッセージを伝えるという意味で、Jazzであるかどうかは(私にとって)あまり重要じゃなくて、歌は、「歌う人が何を感じて歌ってるかなんだ」というビリーの言葉をまさに体感した夜でした。

東京公演は29日まで。まだ観てない人はぜひ!!

私もすごーくグッときた山形の子供達の素直な反応。雪ん子役の嶋田洲見ちゃんが書いてくれたのでシェアしちゃいます^^

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山形公演の『雪女』でのラストシーンでの一コマ。
〈山で雪女と出会ったことは、決して話してはいけない〉という雪女との約束を巳之吉が破ってしまうシーンで、子供達が口々に「言っちゃだめー!!だめだよー!!」と叫んでいました。その素直な反応になんだか、思わずウルっときてしまいましたわ(;_;)
すっかり物語に入りこんで、一生懸命に観てくれる子供達の頭をひとりひとりなでなでしてあげたいくらいでした(;_;)

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例えば『アルプスの少女ハイジ』でクララが立つシーンで、客席の子供達から、「頑張れ―!」って沢山の応援の声が来ることは多々あったのだけれど、『日本昔ばなし』のこのシーンでこういう風に、こんなに口々に、会場全体が「言っちゃダメ!」「ダメー!!」ってなることは、私が演じてきた中では初めてでした。
雪女は低学年には少し難しい(というか暗くて寂しい)話だと思っていたけど、みんな本当に、お話の中にのめりこんで良く観てくれていたことに、感動でした。
山形市の7000人の小学生、そして福島県棚倉町のお客様から、本当に沢山のものをいただきました^^心から感謝です。