これからの人生を闘い続けるために僕らに必要なこと 理学療法士かみにしか書けないブログ

これからの人生を闘い続けるために僕らに必要なこと 理学療法士かみにしか書けないブログ

理学療法士のかみです。元々は夢を持てない自分のために書いていました。今回タイトルをリニューアルして再出発します。僕にしか書けない、僕にしか見えない世界で闘い続けるために書きます。読者の皆さんの人生に何かヒントになることをお届けしていきます。(2020/2/13更新)

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この記事は医療情報を個人が発信するネット上から拾う人への提言である。

 

一応、仕事上医療に関わることをしているため、日頃から顧客からのYouTubeであのトレーニング動画を見て真似ている、ネットでは書かれているからそれをやってみたとかいう話は少なからず耳にする場面はある。もちろん、テレビは高齢者のお供であり、ラジオ体操をはじめ、NHKでの健康番組なんかはその情報次第で大きな影響を与えている。

 

これは一理あるのだが、一害あるのも確か。現場で働いている医療従事者、特に担当制の場合は、担当者との医療情報や怪我、病気に対する知識や見解に対して、信頼関係が築けていなければ、ほぼ間違いなくテレビやYouTube、ネット上での情報を優先的に取り入れようとする。

 

決して、それが悪いわけでない。もちろん、現場のスタッフや直接治療や指導をしてもらった方がいいとも言い切れない。自分の担当がスペシャルな人であるということはほとんどないからだ。一部、有名な人や名の知れた人にたまたま当たることがあるだろうが、それは本当にまれで、そのほとんどが名の知れない医療従事者たちである。

 

しかしながら、ここ最近面白い文献を読んだことで、僕がこの文章を書くのに拍車をかけた。『脳卒中のリハビリテーションに関するYouTube動画の質』と呼ばれる文献である。検索すれば誰でも読める文献なので、時間があれば少し読んでみてほしい。内容は簡潔にいえば、脳卒中のリハビリテーションに関するYouTubeの質は全体的に低いですよという話である。

 

個人的な発信の多くは外部へのアピールを含め、再生回数の増加、広告収入増を目的としているのか、簡潔にまとめられており、その情報の発信源やエビデンスと呼ばれる根拠を示すのには乏しいものが多い。

 

そもそも、誰にでも効果があるということに違和感を抱かないだろうか。人間が同じ人がいないのと同じで、治療方法というのは確かにある程度決められたものがあるの事実である。一般的に説明する手術方法は確かに同じように見える、指導するストレッチや筋トレだって確かに同じようなものがある。しかし、医療従事者は、その対象者であるあなたの状態を実際の目で見て、その治療方法をさらに細かくカスタマイズして提供している。性格、傷の深さ、メンタル面、栄養状態、挙げればキリがないかも知れないし、医療従事者の全員が全員そういうふうにできているとは言わない。

 

けれども、少なくとも一般的なネット情報から得られる情報を自分で判断できるような情報リテラシーを自分で持たなければならない時代は本格的になってきていると思う。ネットの情報は自分に合っているのか、疑う目を持つのである。

 

先ほど挙げた論文がこの先、その他のネット上における医療情報の質の真実を暴いてくれたら面白いなと個人的には思っています。

 

世の中には陰謀論と呼ばれているようなこともたくさんあり、もはや真実が分からなくなっている時代でもあります。信じるも信じないも自由だし、事実が隠されていることもまた事実でしょう。そして、正解も不正解もないと言われればそれまでではあるが、真実は結局自分の身体が示す結果のみが示すのです。

 

ぜひ、ネットから得られる医療情報はその質にこだわって見てみてほしいですね。


「待ってました!」

 

公式LINEから通知が来たとき思わず言っていた。

本日8月15日の正午12時からの1週間無料で配信されるという情報の通知だ。

 

え、何のことかって?

芸人アップダウンによる音楽劇の話だ。

ご存知ないだろうか、『桜の下で君と』という題名である。

 

アップダウンのお2人が風化する戦争体験を伝えるために想いを込めて創ってくださった作品だ。

元々、この音楽劇は僕も東京でLIVEを観る予定だったのだが、感染症の影響を受けて中止となってしまっていた。

しかし、今回1週間限定だが無料公開してくれることになったのだ。

 

音楽劇、それ自体を観るのは初めて。

どんなものだろうか、ワクワクする気持ちもあった。

その一方、戦争という悲しい出来事に直面するのを避けたい気持ちもあったのは紛れもない事実である。

 

ただ、アップダウンのお2人による音楽劇は、期待と不安を超えてきた。

僕らにどう生きるのか、戦争とは一体なんだったのか、その時代を生きた人たちは未来にいる僕たちにどんなことを伝えたかったのか、様々なことを考えさせるような時間だった。

 

ところでどこか聞いたことのあるような場面や展開だなと思っていた。

ご存知かどうか分からないが、有名な話だと思うが藤井中尉の話だった。

後で調べてみると、この音楽劇は藤井中尉と少年飛行兵の話とのこと。

 

 

僕もどこかの本か講演会でこの藤井中尉の話を聞いたことはあったが、音楽劇を通してその話を聞くとより当時の特攻兵たちの覚悟と忠誠心、家族や愛する人への想いが存分に伝わってくる。

 

もちろんアップダウンのお2人は芸人なので、劇の中でも現代と過去が同時に存在するようなボケもあったりして、それ自体もコントのように楽しめるシーンもある。

 

ただ、印象的なシーンがあった。

今にも特攻に行かねばならないということに対して葛藤している少年兵が言った言葉である。

 

『日本に幸せな未来は来るのでしょうか?』

そんなことを想い、家族や愛する人のために彼らは特攻として責務を果たしにいった。

75年がたった今の日本は彼らが望んだ幸せな未来となっているのだろうか。

 

その答えは一人ひとり異なるだろう。

ただ少なくとも、75年もの間に一度も戦争が起こらなかったということでは彼らが望んだ幸せな未来になっているはず。

 

しかし、一方で当時は起こりえなかったことも沢山起こってしまう日本にもなっている。

彼らが望んでいる日本はきっとそうではない。

 

もっと人を愛し、共に喜び、共に泣き、共に生きる。

生きるという退路を断たれた特攻兵の彼らが望んだ日本は、そんな当たり前のことだったのかも知れない。

この音楽劇を観て、僕なりに感じたことである。

 

『あなたが今生きている日本は幸せですか?』

75年前の彼らから、そんな手紙が届いたら、どう答えますか。

この1時間40分の音楽劇を通して、あなたなりの答えをどうぞ探しに行ってきてください。

 

 

 天狼院書店ライティングゼミ、メディアグランプリに掲載して頂きました📚
4ヶ月で全16回の課題の中、掲載は全部で6本🖋
今まで自分の書く文章を客観的に評価されることもなかったので、この結果は嬉しい限りです。しかも、今回は編集部の方から選出された編集部セレクトというのにも選ばれるというありがたいことに。

16回目最後の記事は、天狼院書店との出逢いとそれからの1年間、最後はこれを書くって決めてた内容です。改めて、池袋駅での偶然通りかかった出逢いに感謝です💡

天狼院書店ライティング・ゼミ、メディアグランプリにて今回も掲載して頂きました📚

今回は仕事で悩んだときの一言を題材に『完璧』をテーマに書きました🖋

それにしても、自分が評価していなくても、ほかの誰かから見ると評価されるんですね。

全く自分の評価が当てにならないことに気づきました笑

http://tenro-in.com/mediagp/139319
天狼院書店ライティング・ゼミ メディアグランプリに4回目の掲載をして頂きました📚

「僕らはただテレビや雑誌で見るアイドルたちをただ応援したいだけじゃない」

なぜ応援したくなるのかについて書きました🖋

締切に追われながら急いで書いたので、ダメかなと思いましたが、自分の評価と他者の評価は違うものです。


やることは分かっているのになかなか行動出来ない人いますよね。

 

心当たりがある人もいますよね。

 

きっと慎重なのだと思います。

 

即行動が出来ない人は、丁寧に自分の知識を身に付けてから動きます。

 

だからと言って、行動出来ないわけではないと思うんですよね。

 

知識をつけてからというように、スピードがゆっくりなだけです。

 

知識をつけることで行動できるのであれば、行動を早めたいなら、知識をつけるスピードを早めればいいんだと思います。

 

知識は体力です。

 

長い人生を駆け抜けていくためには体力が必要。

 

その体力の原動力となるのが、知識。

 

だったら知識を身に付けた人は、長い助走を取っているようなものです。

 

長い助走をつけていることで、スタートダッシュは物凄いスピードで走り切れるだろうし、長くも走れるんじゃないかな。

 

知識持ちも、行動が遅いからといって、周りの人と比較して嫌なキモチになる必要はない。

 

大きく飛躍するための体力をつけて、準備をして、虎視眈々と狙いを定めているんだ。


災害や事件など世間を賑わすことが起こる時、様々な情報が行き交う。

 

SNSでのフェイクニュースをはじめ、宗教まがいのもの。

 

特に健康を中心として生存を脅かすようなニュースがこの世の中にはありとあらゆるほど溢れている。

 

かつては書籍という形でしか情報を得ることがなかった時代は、こんなに情報の選択に悩む人はいなかっただろう。

 

もちろん、当時の書籍も出版社やその出版社とのしがらみなどもあり、売れる戦略通りに売れ、今でいうベストセラーと呼ばれるようなものものになったものも沢山あるだろう。

 

そして、その内容を信じていたのではないだろうか。

 

その全てがあたかも真実であるかのように。

 

現代人がいま目に見えているものを真実だというのと同じように。

 

あぁ、真実ってなんだ。

 

何が真実で、何がウソなのか分からない。

 

沢山の情報に触れると、ますますそんな思考になる。

 

でも、そんな自分に1つの考え方を授ける。

 

『いま目に見えているものを疑う力』

 

そう、疑う力だ。

 

今、僕らが見ていることには真実と嘘という2つの見方がある。

 

いや、厳密には2つ 【しか】 ないと思う。

 

ただ、僕らがいつも使うのは 『真実の目』 ばかり。

 

教科書だって、あたかもそれが間違いという真実の目で見てきたはずだ。

 

まぁその点では、それを教えてこなかったという先生や親たちにも責任があるとは思うのだが。

 

そんな 『真実の目』 ばかり使ってきた僕らが、同時に持っておかないといけないのが、さっきの 『疑う力』 なのだ。

 

これは本当にそうなのかな、

 

いや、なんか胡散臭い気がする、

 

うーん、じー (凝視)。

 

一度、ご自身のモノの見方を振り返ってみてください。

 

目の前に見えるものを、あたかもこれしかないと思うような真実にしていないか。

 

もし、そんな自分に心当たりがあるのであれば、

 

やるべきことは、 『知識』 を身に付けることだ。

 

むしろ、知識がないと何も始まらない。

 

瞬間的に目に入ってきて一次情報を、そのまんま調理せずに頂いてるようなものなのだ。

 

情報は自らの目で判断するしかない。。

 

自分の人生における、目の前に起きていることを他人の目で判断することはできないのだ。

 

真実は知識によって様々な形に作り替えられる。

 

この世の真実を知りたい。

 

そう思うのであれば、知識を身に付け、ゆるぎない意志を貫き通ることだ。

 

知識は真実の代弁者だ。