不思議な話 2016年沖縄旅行 | babyを亡くしたママのブログ

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09年8月3日息子は天使になりました。

病名は・・先天性心疾患『総肺静脈環流異常症』2ヶ月と17日一緒に生きた幸せを大切にして前を向いて明るく笑顔で生きていきます。1人でも多くの方に勇気&元気をプレゼント出来るようにブログをスタート♪

不思議な話というよりも
賢人のアピールには、生命力を感じる。
亡くなった我が子の生命力を感じるという表現は、非常に理解し難いものだと思う。
しかし、昨年の北海道旅行に続き、賢人は私達家族にまた男の子の身体を借りてアピールしてくれた。
自分は存在している。姿が見えないだけでそばにいる。賢人はそれを現実として見せてくれる。
亡くなった賢人を育てたい私と、賢人の死を受け入れ2倍生きる私に育てられたい賢人との強い絆が、信じ難い事実を残す。
では本題。
主人と子供たちは、リッツカールトンのプールで遊んでいる。
母と私はプールサイドのソファでリラックス。
我が家の子供たちと遊んでくれる3人姉妹弟がいた。
何やら主人と、末っ子の男の子が話して盛り上がっていた。
主人と末っ子の男の子が同じ誕生日だと判明。
つまり賢人と1日違い。
4歳の末っ子君は、人懐こい男の子。不思議なほど私に話しかける。
褒めて欲しいのか?色々私にお話をしてくれる。
それはまるで、賢人が亡くなった日に不思議な男の子K君との会話を彷彿とさせるものだった。
〜ご参考まで〜

プールサイドでの会話は続く。
『ねぇ。とっても美人なママ。僕大好きだなぁ。』
私は美人では無いが、たくさん褒めてくれる。
突然。。
『美人なママ!あのさ昔から知っているよね?僕はねずっと前から美人なママの事を知っているよ!あのね赤ちゃんの時から!僕はね赤ちゃんの時から知っているよ。美人なママも知っているでしょ?!』笑っている。

なんとも言えない気持ちが涙になる。
一瞬にして、賢人だと確信した。
賢人が彼の身体を借りている。
すぐにわかった。
母はプールサイドで顔を手で覆い泣いている。
『あれ?美人なママ泣いているの?僕が偉いから泣いてるの?』
『僕はね、24日しか読めないんだよ。』
もうダメだ。
涙が止まらない。
ママが泣いている私を不思議そうに見ながらも『この子24しか読めないんですよ』
男の子が続ける。
『そうだよ!僕は24読めるよ!24だけね』

『なんだか息子が珍しく色々お話をしてしまい申し訳ないです。どうしてこんなに話しているのだろう?』と苦笑い。

近くで、御子息とプール遊びをしていた中国出身の男性も唖然としながら様子を見ている。
さっきまで笑っていた私が今は泣いているのだから当然だ。
24しか読めない。
2009年7月24日再手術の日。
賢人は意識を無くし、目を開けた姿を見るのはそれが最後だった。
1年後の
2010年7月24日
レナは誕生した。まるで賢人がその日からやり直すように。。
賢人のアピール、生命力の強さ。
説明出来ない。

彼のママには詳細を説明。
事実に驚くばかり。

『美人なママ。離れたく無いなぁ。僕のお家に一緒に帰ろう。離れたく無いよ』

泣きながら彼を抱きしめてしまった。

生きたかった賢人。
助けたかった私達。
想いは変わらない。
想いは続く。

作り話でも無い。
だからあえて書いた。

亡くなった愛する誰かに会いたい時
姿が見えないだけだと思って欲しい。。
と私は願う。
身体は借り物。
気持ちは永遠。
繋がろうと思えばいつでも繋がる事が出来る。
見える物だけが全てでは無い。

リッツカールトン沖縄のプールサイドで私は賢人を抱き締めた。7歳になる賢人をしっかり抱き締めた。
私の想いを形にする賢人。
ずっとずっと何年過ぎても私は変わらない。私は誰にでも賢人の話をする。
賢人の人生は私が伝えるしか無いのだ。
たくさん笑い、たくさん泣き、人生を全うしたい。
人生は生きるのでは無く、
生かされている。
はき違えてはならないと自分に言い聞かせて毎日過ごす。もうすぐ賢人が亡くなって7年目の8月3日。
色々な想いが駆け巡る。