ゼッタイマカーイ -2ページ目

ゼッタイマカーイ

僕の日常、皆の非日常。


「えー?今日で8月も終わりですか。」

「そーですね!」

国民的お昼の番組の一幕で知らされる夏の終わり

そう考えると家でじっとしているわけにもいかず

三茶へGO

かき氷を食べに行ってきました

明日から9月になってしまうわけで、

この暑さも完全に残暑というくくりになっちゃうわけで

夏っぽいことをするなら今日までかと!

別にまだ営業してるだろうし、

今日行こうが明日行こうが何か変わるわけでもないんだけど

気持ちの問題やの

なんかこーゆー節目にさしかかると、

~しなきゃ!!みたいな下らない衝動にかられたりして

無理してでも体にムチ打って実行してまうんよね

まぁ「暇だからでしょ?」って言われるのがオチだけど

その通りです

バイトやらにせわしなく生きてる日々だったら

「まぁいっか」ってなる気がする


というわけで、かき氷屋

いやーもうね。

リピーター決定。

失われつつある懐かしさがそこにはありました

それは客寄せのために作られたものではなくて

ありのままの懐かしさで

常連らしきプール帰りの親子連れもいらっしゃって

かき氷食ってんのに、なんかあったかいぞ?みたいなね

三茶はそんなあったかさが溢れてるんだよね~

歩けば歩くほど出てくる底が見えない街なんだなー

帰りは法政カメラ部の写真展寄ってみた

やっぱりすごいなぁ

同年代の色んな人のココロが詰まってた



明日で9月

退院してもう2週間

目まぐるしい程に日が過ぎていくのは

入院がいかに退屈だったかってことやね

時間の進む速さがまるで違う現実で

果たしてやってけるのかな


今日は節目

だからもう終わり

自分の愚痴や悩みを吐き出したり

弱みを見せたり

病を乗り越えた達成感に浸って自分に酔ったり

美化した言葉をつらつらと並べたり

終わりにしなきゃね

何回同じこと書いただろうか

最近の口癖:「ちょっと前まで」

情けない過去を嘆き続けるよりマシだけど

過去の栄光に浸るのもカッコ悪いね

まぁ決して栄光ではないか

復習して反芻してる感じだから悪いことじゃないけど

勝手にやってろって感じだよね

要は自分に言い聞かせたかったんだよね

最近では日常に戻りつつあって

思い出すのも時間がかかるようになってきた

そんな時はいつでもこれを読み返そう?


みんな日常の中でそれぞれの悩みを抱えながら

生きているわけで


勇気を伴う強い心で、他人に弱みを見せることができたけど

そこに依存し続けるのは、変化を恐れる弱い心だ

プライド捨てるのも案外プライドが要るけど

プライド捨て続けてたらそりゃなくなっちゃうよ

って話で

甘やかされた生活はとっくに終わった

いつまでも甘えてちゃイタイだけ

そんな世の中だって自分が一番わかってるつもり

もはやなんだって乗り越えられるんだから

もっともっと強くならなきゃ

がむしゃらに、散々見苦しいとこを見せてきたけど

これからは、

少しは生き方にカッコつけてもいいよね


忘れてしまってくれ

俺が病気だったことなんて

ハンデを背負うとはそうゆうことだから

しぶとく生きてみせるんだ

負けてたまるか



おし、

本当に終わり

最後のぐだぐだ日記まで読んでくれた人に感謝。

前の日記のタイトルがなんか卑猥ですいませんでした。


最後に、御唱和下さい。

ゼッタイマカーイ。

くぅ

24時間テレビのドラマ見てしまったんだけど

結構リアル。すぎて見てらんなかった。

んー

入院してた時も散歩とかしてると点滴カラカラ転がしてる小さい子とか見て

負けてらんねぇなぁって何度思わされたことかね

彼らは本当に最強の人類かと

今も想像を絶する闘いをしてる人はいるんだよね

負けてられぬ

それにしても24時間テレビ

テーマが「ありがとう」だか知らないけど

ありがとうを濫用すぎではないか?

アナウンサ「スタジオの徳光さーん!○○さんが只今到着しましたー!」

○○「どうもー。ありがとうございまーす。」

で、CMに入るみたいな

他にもAKBのかるーいありがとうとか

もはや何に対するありがとうなんだか


尊い言葉であってほしいな。

だからこそ人は、それを言うために照れて体がクネクネしたり

それが言えなくて、信じられないほど後悔したりしてるわけで

それを気軽に言えるのだから尊いことなのかもしれないけど

合言葉みたいに使うのはやめれ!って感じ

そりゃ難病の方とかの言葉は重みがあるし響くもんがあったけど


まぁ毎年恒例な感じで良かったと思います




昨日は柴又をはじめ葛飾区へ散歩

世に言う里帰りってやつ

なんでそんなに散歩するの?

って言われて答えに詰まったことがあったんだけど

今ならすんなり答えが出る

色々と制限はかかるわ、友達とも自由に遊べないわ、バイトもできないわ、

その状況下で、有り余る時間と向き合った時に

いかに一人で楽しく過ごすかって考えて色々試した結果、

散歩という画期的な一人アソビにたどり着いたわけで

もともと旅好きというのもあるし

行ったことのないところに行くのは刺激を受けるし

せっかく東京に住んでるからには満喫したいと思ったし

ラーメン屋とかカフェとかで美味いもん食いたいし

とか考えながら色んなとこ行ってたら

はまっちゃったよね

東京なんて目的地は無限にあるから本当に飽きない

さらに最近はデジイチという武器も加わったし!

「要は暇なんだね。」なんてまとめられたりするのがオチだけど

一回そうゆう状況になってみな?って話

引きこもるか散歩するかがインドアとアウトドアの分かれ道

あとはやっぱり

高校入学と同時にチャキチャキ都会の中野から

プリズンでお馴染みの葛飾区小菅村に左遷されたのでね

その劣等感から二子玉川やら自由が丘やらの人気タウンでも散歩してやろうじゃないかと

都会の飯田橋に引っ越した今では、

葛飾とかの下町っぽさにはキュンキュンしちゃうんだけどね


いやーでも、いざ里帰りしてみると…、

新しい官舎もできて、あの小菅村が凄まじく変わってしまっていて、

住んでた街があれだけ変わるとさすがにショックでした

だけど荒川の夕日はあの頃のままで。

「おかえり」と言われているようでした



帰ってからチチに撮った写真を見せるのがルーティーン

少し酔っ払ったチチのカメラに対する熱弁を聴いて

かなり幸せに感じる

しばらくはお見舞いに来る疲れた仕事帰りの父としか話してなかったからね

ハタチになってこの感覚に気付けて良かったなって


他にも御茶ノ水界隈とか東京タワーとか行ってみた

そこはちょっと前までは病室の窓からの景色でしかなかったわけで

自分もあの豆粒みたいな人になったんだなーって

日常っていう景色の構成員になったんだなーって

思ったのかどうかは知らないけど(多分後付け)

なんとも不思議な気分になってまうよね

というか、視点がまず15フロアダウンしてるから

面白いほどに見え方も違うからね

うーん不思議

日常という絵本の中に入ったみたい。

むしろ入院生活がおとぎ話と化してるのかも。

とか言えばポエマーになれるかもしれないけど

それはそれでトリハダもんだ



つーわけで

どどーんとひま

こりゃ参った

ひますぎるから、チャリを跨いで外に出てはみるけど

僅か10分で後悔してすぐに引き返す始末

お家では旅行の計画をこれでもかというほどに練り練り

それだけで楽しいのだから仕方ない


そんな毎日

colorful観に行きたい。

三茶のかき氷屋さんでかき氷食べたい。

誰か一緒にいってくれる人募集!ってね

募集するくらいなら俄然一人で行く派。

募集する人っていろんな意味でメンタル強いと思う

決して尊敬はしないけど。

それとは別に、この期間を利用して色んな人に会ってみたいや

フラれるの覚悟で色んな人誘ってみようかなっ

とりあえずヒマヒマ嘆く前にすべきことをやれって話だ

うし!

ほんじゃ

始まった

俺の夏!

もとい、ロッキンのテレビ放送

そして今日で終わった

いやーWOWOW様々

つうか神

まだ2週間しか経ってないのに4日連続で3時間放送なんて

15日間の無料お試し期間で全部見れちゃうやないかドキドキ

ダイジェスト版で一通りのアーティストは見れたんだけど

夏フェスってすごいんだなぁって

夏空の下、あれだけの観衆を前に歌うってのは

ライブとは違った特別なもんがあるだろうし

歌い手としては気持ちいいだろうなぁ

観客は色んなアーティスト見れるっていう楽しみと

あとは何より好きなアーティストが出てきた時の感動?

なんつうのかな、テレビでも、一通り見てて

ケツメとYUKIが出てきた時のぐぁーって感じ

アドレナリンだかドーパミンだか知らないけど

あれやっばぁ

そして色んなアーティストを見てきた分、

やっぱり好きだなーって改めて思うわけだ

会場を異様なまでに盛り上げるケツメのライブパフォーマンス

あれだけの観衆を引き込むYUKIの圧倒的世界観

ライブとは違うサブイボがぶわぁーて。

好きになってよかった

オンエアされたのは、ケツメが「お二人summer」、YUKIが「2人のストーリー」

もー異常に彼女欲しくなってしもうた

これは当たり前の感情だよね

それと「プリズム」はやっぱりやばいってば

他はね、氣志團とかサンボとかベボベとか世界の終わりとかカシマシとかKREVAがかっこよすぎた!

そしてサカナクションにはまってしもうた!

アイデンティティがぁ~♪

かっくいいー!


テレビ放送見てて思ってしまうのは、

この時病院でモルヒネ打ってたんだなーってことで笑

まるで異次元、別世界

ロッキンという皆既日食的なイベントに行けなかったけど

移植というビッグバン的な経験ができたわけで

自分の中で、色んなものがぶっ壊れて

色んなものが生まれた

なくてはならない出来事だったなぁと

夢にまで見たロッキン

どうしても行けなかったロッキン

それを考えただけで、全てが嫌になったロッキン

テレビで見れただけで、思いの外、満足してる

これで良かったんだなぁって

乗り越えられたからだけど

もうすでに自分の運命を愛することができてて

そんな日来ないと思ってたのにね

ここまで至ればきっと大丈夫

どんな試練でも乗り越えられるはずなの、理論的に

今だって病院のこと思い出して無性に切なかったりするけどね

まぁ別に大丈夫



入院直前に話を聞いてもらった人に

退院直後に話を聞いてもらった

自分の中でもそれはすごい意味のあることだなぁと

改めて振り返るいい機会になるかなぁと思って

実際本当によかった

入院前の現実にうちのめされていた自分が笑えた

笑えたんだよ

始まりと終わりを見てもらって、

「乗り越えた」って、「成長できた」って、

とにかく実感できたよね

あの頃あんなに思い詰めて悩みまくっていたことが

今じゃシンプルで楽に考えられる

「乗り越えられるっしょ」。

こんなにサッパリするとは

多分自信がみなぎってるんだろうな


振り返ってみてわかったこと

成長できたのは、入院した経験もでかいけど、

その中での人との出会いがなによりでかかった

人を信じられなくなったり、憎んでしまったりして、

人との関わりで、辛かったり、しんどいことがたくさんあったけど

結局人は人に救われるんだということだよね

むしろ人は人にしか救えないのかもしれない

故に生きることは素晴らしいのかもしれない


辛かった出来事は

人には忘れさせる

自分の胸にはしっかり刻む

そうやって生きていこうか

それこそロッキンとか見て、無意識に、間接的に振り返ったりはするけど

忘れていってしまうのは当然のこと

それが日常に戻るということなのだから

だからこそ意識的にも振り返りたいもんだよね


反省だの観察だのといったことは、体験のあとでなされるべきだ。そこからようやく智慧というものが生まれてくるのだから。

by久々ニーチェ

今はじっくりと、そうゆう期間

後期はじまるまでは!



海外で行きたいとこやっと見つかった!

モンゴルで果てしなく続く草原が見たいんだー

来年あたりにいきたい!

とりあえず、9月になったら北海道行ってきます!

待ってろ函館ー


ふんじゃ!