まるおの雑記帳  - 加藤薫(日本語・日本文化論)のブログ - -2ページ目

小平の風に投稿しました。

日本語に関する記事を二本、勤め先の学科のブログ「小平の風」に投稿しましたので、遅ればせながら、紹介させていただきます。

一本は、「いまどきの日本語  ― 「ら抜き」と「さ入れ」 ―」で、何かと批判されることの多い「いまどきの日本語」を、日本語の歴史を振り返ることで「擁護」してみました。
※その論旨は、金田一春彦氏などがすでに述べていることで、私のオリジナルではありません。

もう一本は、「『敬語行動』をめぐる日韓比較 …浮かび上がる『相手(二人称)』と『集団』の重さ」です。
この記事は、近刊予定の『世間の学 VOL.3』(日本世間学会編)に掲載される、拙論文「世間論と日本語 ―世間論に符合する日本語の文法的特徴―」の一部を利用してまとめました。
論文が刊行されましたら、またこのブログで紹介したいと思っています。


<「小平の風」の過去記事>
・神戸・京都・奈良研修 ~伝統文化と欧米の文化~

・This is a pen. を日本語にできるか?

・「好きです」に面くらったフランス人の日本文化論 ―主体=「創造主」不在の文化―

・日本語とPTA ―「主体性と公共性」の希薄さをめぐって―

・日本世間学会

・「ネット」の力 ― 仙台市教育課題研究発表会に参加して

・世間学と日本語

・二つの『私』 ― 日本人に『私』はあるのか? ないのか?


ラジオ出演で語ったこと(補足と感想篇)

「ラジオ出演で語ったこと(打ち合わせ篇)」で触れておくべきことだったかもしれませんが、ディレクターさんとの事前の打ち合わせが一通り終わったところで、本名さんがPTA活動に熱心に取り組んでおられるという話があり、私の方から、本名さんのお立場からの率直なお考えも聞かせていただければと思うと申し上げていたのでした。
そんなこともあり、本名さんから「やってみたらよかったという声をよく聞くが…」という発言があったのかもしれません。

とは言え、PTA活動におけるこのような「食わず嫌い論」には、私は賛成できません。番組中にも述べましたが、ことPTAの場合、「公」の場所で語られることと本心は必ずしも一致しないと思います。委員・役員の深刻ななり手不足がそれを「証明」しているのではないでしょうか。
「やってみたらよかった」が本当ならば、次もやってみようと思うはずです。しかしながら、実際は、ほとんどの人がやりたがりません。
無理やり食べさせてみたものの、その後口をつけようとしないなら、いくら「食べてみたらおいしかったです!」と言ったところで、それは本心ではないと考えるべきだと思います。

10分という限られた放送時間ではこの辺りのことを十分に話せませんでした。また、PTAの会長も経験し、おやじの会の活動もしている本名さんに、従来のPTAを保護者懇談会とおやじの会的サークルに分離再編成することは可能か、ぶっちゃけて聞いてみたいとも思いました。
そのようなわけで、放送後の3/21(金)に、本名さんと個人的に意見交換・情報交換をさせていただきました。

お話をうかがって分かったのは、本名さんが本部役員や会長をされた学校は、国立大学の付属小学校だったということです。
それなら、負担感は公立一般と比べてずっと軽く、「やってみたら楽しかった」も本当の話なのかなと思いました。

そして、ご自身の関わったPTAについても、かなり細かいところまで話してくださいました。
本名さんが六年間本部役員をやって、五年生の時に会長をやったという話が本番でありましたが、それは、保護者が負担感なくPTA活動をするために、「できるひとはやろうよ」ということで、本名さんやその先輩方が考案したスタイルだとのことでした。
本名さんは地元の私立の小学校、中学校の出身だそうですが、その国立の付属の保護者にはその私立の出身者がけっこういて、その人脈がPTAを盛り立てている面があるように思うとのことでした。本名さんの前任会長は、本名さんの小学校の同級生だそうです。
私立や国立附属の中でも、特に恵まれたPTAであるように思いました。

本名さんがPTA活動に熱心に取り組んだのは、同窓生からすすめられたことに加え、上のお子さんの時は関わらなかったので、今度はやってみようと思ったこともあったそうです。
そんな本名さんは、保護者としての活動に目覚め、現在は、上のお子さんの大学(東京)の地元の保護者会活動にも取り組まれていて、来期は支部長を務める予定とか。


最後に、従来のPTAは、保護者懇談会とおやじの会的サークルに分離再編成するべきではとの私案に対する率直なご意見をうかがってみましたところ、ご賛同をいただけました。
本名さんの関わられたPTAは国立のPTAなので、公立のPTAの会長さんの見方とは違う可能性は十分にありますが、PTAとおやじの会に深く関わってこられた本名さんにご賛同いただけたことは心強く感じました。

今後は、公立学校のPTAの会長さんや本部役員経験者の方たちのご意見も聞いてみたいと思います。

ラジオ出演で語ったこと(本番篇)

本番でのやりとりを、以下に紹介します。
(できるだけ会話を忠実に再現するようにしましたが、あいづち等を省くなどの表現の調整はしています。)

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本名正憲氏(以下、本名) 卒業シーズンになりましてね、今日は親御さんのお話しなんですけども、学校を卒業して、例えば、小学校が終わって今度中学校。小学校でPTAの役員をなさった方など、ほっとした部分があるんじゃないかと思います。また、でも新しい学校に行くとそこにまたPTAなどの組織があって、何かいろいろやる、引き受けるということになるんじゃないかなと思います。
子どもを持つ親御さんは、学校のPTAの役員をやったり、行事に出席したり一度は活動に関わったことがあると思いますが、それぞれ思いがあるんじゃないかと思います。この時間は、PTAのあり方を研究している文化学園大学現代文化学部教授の加藤薫さんにお話しをうかがいます。
加藤さん、おはようございます。よろしくお願いします。

加藤 おはようございます。よろしくお願いします。

本名 負担の声はよく聞きますよね。むしろ、そうじゃない人の方が少ないんじゃないかと思いますけど、これ、どういうことが背景にあるんでしょう。

加藤 負担を感じている方は本当に多いと思うんですけど、少子化、子どもの数が以前に比べて半分くらいに減っているということがありますね。子どもの数が減れば当然親の数も減るわけで、それでいて、PTAの仕事というのは以前と較べて減っていないか、むしろ増えているところがありますので、負担が増えて当然と言えます。また、親の数が減っているだけじゃなくて、働きに出ているお母さんの数が以前に比べて非常に増えているということがあるので、単純に役員のなり手の数がすごく減っていると。ですから、一人一人の負担が増えてしまっているということになると思います。

本名 そうですか。もちろんお母さんが働いているケースはあるんですけど、やはり、少子化というのは大きいわけですよね。

加藤 そうですね。もう半分くらいに減っているという、そして学校の数はそれほど減っていませんよね。

本名 そうですね。

加藤 ということは、一人の人がいろいろなことをやらなくてはいけなくなっていると。

本名 学校の生徒さんの数が減っても減ったなりに、今度はきめ細かくいろいろなことをやるということになってくるので、仕事が増えたりしますよね。

加藤 はい。地域との連携をやっていきましょうとか、防犯活動をやりましょうとか、今、いろいろなことをPTAはやっていますからね。

本名 そうですね。
加藤先生ご自身もPTAの役員をやったことがあるそうですね。

加藤 もう10年くらい前の話ですけども、2年間、けっこうみっちりと、地域環境改善委員なんていうのをやっておりました。

本名 それ、引き受けてみて、どうでした?

加藤 他に引き受ける人がいなくて、事情のある人に押し付けられそうになったので、「それでは私が」ということで手を挙げたんですが、まあ、それなりに意義は感じましたけれども、なくても困るものではないなと思いました。そして、一緒に仕事をしているお母さんが追い詰められて、体調を崩して入院するなんて人が出たりしてですね、
本名 ええっ!)
これはもうとんでもない世界だなと思ったことが、(日本文化論の一側面としてPTAを)研究するきっかけになっております。

本名 ああ、そうですか。
その研究のお話しで言いますと、もちろんうまく行っている例というのもあるわけですよね?

加藤 ほとんどのPTAでは基本的には押し付けですね。入会を意志の確認をしないでさせてしまう。会員にしてしまう。で、仕事もクラスから5人出せという形で、誰も手を挙げないときにはくじ引きで押し付けると。

本名 よく聞きますね。

加藤 どうしてもできないんだったら、診断書を出せという学校もありますね。
(いっぽう)ごく少数ですが、最近ですね、自由参加ということを原則にして、入会は強制しません、活動も強制しません、で、入らなくてもお子さんに不利益はないですよということをきちんとアナウンスをして、正々堂々と活動をするPTAがほんのわずかですけど出てきています。
広島の近く、岡山の市立西小学校のPTAが全国に先駆けてと言っていいと思うのですが、自由参加ということを打ち出して、やられています。

本名 あのう、自由参加だとちゃんと人が集まるのかな?という不安があると思うのですが。どうなんでしょう?

加藤 そこは確かに不安は不安で、だから改革に踏み切れないPTAが多いと思うのです。けれども、他に札幌でもやっているところがありますが、ふたを開けてみたら9割以上の方が参加している。95%とかですね。
その代わり、従来あった活動を減らしたりとか、手を挙げてくれる人の数に応じて活動を調整したりといった工夫はされておりますけれどもね。

本名 ああ、そうですか。
じゃあ、うまく行っているというケースの一つですね。

加藤 まあ全国的に片手くらいかなと、私なんかが把握しているのは。それくらいまだ本当に数が少ないんですけどね。

本名 私も下の娘がこの間小学校を卒業しましてですね。六年間ずっとPTAの役員をやりました。で、娘の五年時にはPTAの会長もやったんですね。
ただですね、これ、たいへんだと思いましたけれど正直、ただ、みなさんにできることはできるし、できないことはできないんで、仕事などもありますから。で、皆さんで助け合ってという形で、まあうまい具合に回してもらったといいますかね。私自身がどうこうというよりも。それはもちろん先生方のすごい協力もありましたし。そんな感じだったですね。
もちろん、その、お母さま方は大変な負担を感じられて、選ぶのはもう大変紛糾するというのはもうどこの学校とも同じような状況ではあるみたいです。ただ、実際されてみると、終わった後「やってよかったです」というふうに、この間も総会、あの役員会がありまして、そうやっておっしゃってくださるお母さま方が多いので、ちょっと救われた気がするんですね。これ、毎年のことなんです。

加藤 なるほど…。ただ、そういうふうに表にですね、そういう総会だとか、会長さんや校長先生の前でお母さま方が口にすることと、実際内々で抱えていて、母親同士の仲間で出てくる声というのは違う面があってですね。やってよかったという人もいれば、やってほんとうに傷ついた、意義が感じられなかったという人も同時にいるわけで…。
その両方を見ていく必要があるかなと。そして、嫌だという人がいるんだったら、その人は基本的には参加しなくてもいいようにするのが(あるべき姿だと考えます)。
PTAというのは法的に参加が義務付けられているわけではないので、ボーイスカウトとか婦人会と同じ位置づけですから、そこはそれぞれの選択を重視すべきかなと思います。

じゃあ、学校との関わりは何にもしなくてもいいのかと言えば、そんなことはなくて、ボランティアの協力の要請があればできる人は参加するとか、あるいは、基本は、担任の先生と保護者が学期の節目に、保護者懇談会とか学級懇談会とか呼ばれる集まりがありますね。その集まりにきちんと出席をして、担任の先生や保護者仲間としっかり情報交換、意見交換をしていく。ここのところをしっかりやっていくのが基本で、で、応用として、やる気のある人がいろんなイベントを実行したりするのがいいんじゃないかなと思っているんですけどね。

本名 なるほど。そうすると、従来の形のPTAの、いわゆる役割的なものはもう変わってきているし、ひょっとしたらその役割というものも終わったかもしれないというところがあるわけですね?

加藤 私はそう思っていますね。従来のPTAは、むしろ、おやじの会と呼ばれるものがありますね。
あれに、おふくろさんにも入ってもらってやればいいのではないか。ほんとに、おやじの会を見ていると楽しそうで、何かそれで傷ついたり、体を壊したりしている人はいませんね。
あれに、おふくろさんに入ってもらってどんどんやりたいことをやってもらって、一方で、(基本的な)学校とのコミュニケーションは保護者懇談会で、学級懇談会でしっかりしていくというのがいいんじゃないかなと。

本名 なるほど。ひとつやっぱり、おやじさんたちがですね、ここでやっぱり出番ですね。
実は私も上の娘のおやじの会にも入っていましたし、下の娘の小学校もおやじさんたちがよく飲む学校でね、そういう意味で確かにすごくコミュニケーションをうまくはかれたんじゃないかなという気はいたします。

加藤 そうですか。本名さんのお立場、すごくおもしろいと思うのですけれども、PTAをおやじの会的なものに切り替えていくというのは一つの可能性としてありますですかね?

本名 そこでそういう志向性を持ったリーダーがいたものですから…。

加藤 本名さん自身も(すでに)そういうふうにされていたのかもしれないですね。

本名 そうかもしれません。そういう流れを作る人がいて、そこからちょっと変わってきたところが、どうもPTAの歴史から見るとあるみたいですね。

加藤 おやじの会って、手を挙げた人がいるのに応じていろいろな活動を組んで、(つまり)まず個人のやる気が先にあってそれから仕事が考え出されると思うんですけども、PTAってどうも一般的に言えば、最初に仕事があって、個人をそこに巻き込んでいくというふうになっているので、その方向性を変えられればなと思っています。
そのモデルになるのがおやじの会かなと思っているのですけどね。

本名 そうですか。今日はぜひみなさんも参考にしていただきたいなというお話しでした。どうもありがとうございました。

加藤 ありがとうございました。

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補足と感想については、次のエントリで取り上げる予定です。

「PTA改革」への率直な疑問  ― 全員加入型PTAに「活動の任意性」の担保は可能か?

<嶺町小PTA改革についての疑問>
前エントリで、嶺町小のPTA改革について「任意性の担保の面で問題を感じる」と述べました。ブログ等で公開されている情報から判断すると、入会の面でも役員決めの面でも保護者一人一人の自由意思が十分に尊重されているようには思えないからです。

まず、入会についてですが、次に引用するように、全員加入を前提とした説明がなされています。

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「嶺町小学校PTOとは」
嶺町小学校では子供が入学、転入すると、保護者にはPTO(PTA)への加入をお願いしています。
(中略)
趣旨をご理解いただき、皆様のPTOへの入会をお願いいたします。

「2.会員」
嶺町小学校児童の父母、又はこれに代わる者(以下、保護者という)および常勤の教職員(以下、教職員という)です。
入会は本会の趣旨にご理解の上、本校の保護者、教職員の方はご加入ください。
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(「嶺町小学校 PTOのしおり(案)」より)
http://blog.goo.ne.jp/minemati-pta/e/a0ba206113188fe65018f5f46eebc552

「『お願い』だからいいだろう」という反論があるかもしれませんが、「給食費」や「教材費」等の支払い要請も、通常「お願い」という形でなされるので、その反論は成り立たないと考えます。
また、「嶺町小学校では」と「主語」が学校になっている点も気になります。

次に役員決めについてですが、以下に見る通り、初年度(平成26年度)限定とは言うものの、各クラスにボランティア選出の「ノルマ」が課せられています。これまでの強制型PTAとどこが違うのか理解に苦しむところです。
嶺町小PTA「平成25年度PTAだより 第11号」によれば、従来の委員会を廃止して作られた三つある「ボランティア部」(校外活動部、安全・防災部、夢マネー部)に関して、「自由参加の活動」と位置づける一方で、

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初年度は各クラスにつき各部1名以上選出します。
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としているのです。
http://blog.goo.ne.jp/minemati-pta/e/77cdf1ff78e7969207ea5622d4b5f321
つまり、各クラス3名以上の「ボランティア部員」を選出しなくてはならないということです。
「強制」でスタートする『ボランティア部』が真の「ボランティア」になることができるのでしょうか?
(追記)各クラスにノルマを課すという方針は、その後、変更されたとの申し入れが、嶺町小PTO団長の山本さんからありました。コメント2を参照ください。


<全員加入と「活動の任意性」の担保は両立するのか?>
実は、札幌の札苗小も、会則には、任意加入としながらも、「ただし、その目的や趣旨から、全ての保護者および教師の加入が望ましい」と明記されています。
http://satsunaepta.jimdo.com/新会則-組織図/
(もっとも、それは校長の強い意向を受けての苦渋の選択であったようです。
http://blog.livedoor.jp/moepapa516-pta/archives/53890893.html)
また、岡山の西小も「全保護者のPTA参加を!」と同趣旨の内容が謳われています。
http://www.city-okayama.ed.jp/~nishis/pta1/ptatop2.htm
つまり、改革を行っているとされているPTAにおいても、「全員加入」を志向しているわけです。無理強いはしないとしても。

私は、「原則全員加入」でも、役職の強要さえなければそれはそれで“あり”という立場に立ちます。そして、札苗小は、「活動の強要なし」の原則を守り通して1年の活動を終えられたようです。
これはもう本当に素晴らしいことだと思うと同時に、moepapaさんだからこそできたことであって、全国のPTAに応用するのは難しいのではないかとも思っていました。
実際、札苗小でも、今年度の行事に積極的に関わったグループから、来年からは「委員会制」を導入できないかとの提案がなされもしたようです。
http://blog.livedoor.jp/moepapa516-pta/archives/54054171.html

そんなことを考えていたところ、最近、moepapaさんから、拙ブログに以下のようなコメントをいただきました。
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「やるべき人」から「やりたい人」へ
おっしゃる通り、この発想がとても大切だと感じています。その一方で、組織の執行部として「ぜひともやりたい事」という企画が必ずあります。役員だけで出来るのであれば全く問題ありませんが、会員をボランティアとして集う必要がある場合に悩みます。「やりたい人」はどれだけいるのか?更に、その「やりたい人」はPTA内にいるのか、それとも地域の方々の中にいるのか?いなければ、役員内の「やりたい人」だけでやるか中止するか・・・その落としどころが現実にはとても難しいです。通学時の交通安全指導など、教師と地域のボランティアさんが子どもたちのために朝から旗振りをしてくれているのに、保護者がゼロでよいのか?「やりたい人」がいないという理由だけでバランスがとれるのか?悩みます(笑)
moepapa 2014-03-12 12:17:08
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http://ameblo.jp/maruo-jp/entry-11759943039.html
(コメント40)

あのmoepapaさんにして、「活動の任意性の担保」には苦労されていることがうかがわれました。

そんな折、上で述べたように、嶺町小PTAでは、改革を掲げつつ、入会と役員決めの双方において任意性を軽んじる動きがあることに気づきました。そのようなことから、PTAにおいて、一方で全員加入を志向しつつ、一方で活動の任意性を担保することは不可能に近いのではと思い至るようになりました。

「活動の任意性を担保する」、つまり、「役職の押し付けをなくす」ためには、従来の全員加入型モデルから脱却し、完全任意の「おやじの会」的サークルになる以外に道はないのではないか? というのが現時点での一応の結論です。
この問題に関しては、引き続き、考察を続けていきたいと思っています。

※moepapaさんからのコメントに対して、先に引用したエントリのコメント41で返答しています。合わせてご参照ください。


(追記)
不適切な表現を改めました。コメント3を参照ください。

ラジオ出演で語ったこと(打ち合わせ篇)

「本名正憲のおはようラジオ」のディレクターの方から事前に「主な質問内容」が送られてきて、本番前日に電話で打ち合わせをしました。
その打ち合わせの時に話したことをまとめておきたいと思います。
(< >が質問内容。)


<昨今、PTA活動に負担を感じている保護者が増えているようだが、その背景は…>
急激な少子化(保護者数の減少)+女性の社会進出(専業主婦の減少)で、役員のなり手が「激減」しているのにPTAの仕事は減っていない。むしろ「学社融合」等のかけ声のもと増えている。負担を感じる保護者が増えているのも当然。


<特に役員選びとなると、抵抗を感じる保護者も多いが…>
役員選びこそPTA問題の核心。
手を挙げる保護者がいて仕事が決まるのではなく、あらかじめ仕事の内容が決まっていて、それが保護者に割り当てられる。
一般常識では、「私はちょっと」で断れると思うが、その常識が通用しない。立候補や話し合いで決まらないときは、決まるまで何時間も拘束されたり、くじやじゃんけんで決めることになる。「免除」されるのは、代わりの人を見つけた場合か、ガンのような誰が聞いてもそれは無理というケース。
個人の選択、個人の自由を認めないシステムになってしまっている。この役職強要のシステムが、母親たちを追い詰め、PTA嫌いを生んでいる。


<一部にはPTA不要論も出ているが…>
PTAというのは「社会教育関係団体」のひとつ。ボーイスカウトとか婦人会・老人会と同じ位置づけのもの。つまり、本来、入会してもいいし、しなくてもいいもの。
例えば、ボーイスカウトは社会性を身につけられたり、体を鍛えられたり、様々なメリット・意義があるが、参加を強制されたりはしない。

ところが、現状、ほとんどの学校のPTAが全員加入体制になっていて、役員をするかしないかの「選択の自由」も奪われている状態。こんなPTAは「不要」だと私も強く思う。いや、「不要」どころか「あってはいけない」。
いっぽう、PTA活動に意義を感じる人が自らの意思で参画する、本来のPTAなら「不要」とは言えない。(本来のPTAに近いのは、むしろ「おやじの会」と言うべきではないか。)


<うまくいっているPTAはあるのか?>
近年、「自由参加」という本来の姿を守ってやっていこうというPTAがまだほんのわずかだが、現われている。
そのひとつは、岡山市の西小学校のPTA。
他には、札幌市の札苗小学校のPTA。ここは会長さんがブログ等を活用し、積極的に情報発信もされている。
東京の大田区の嶺町小のPTAも新しい試みを始めている。もっとも、任意性の担保という面で問題を感じている。
(注)この点については次のエントリで取り上げたいと思います。


<今後のPTAはどうあるべきか?>
自由参加の団体という本来の姿に立ち返って、やりたい人、意義を感じる人、余裕がある人が参加する「サークル」にしていく必要がある。親の「つとめ」として強要するのは絶対やめるべき。

その一方で、クラス担任を中心として保護者が年度や学期の節目に集まって、子どもたちについて情報交換や意見交換をする「学級懇談会」は、PTAとは独立させて運営していくことが必要。
いじめも、学級崩壊も「クラス」で起こる。担任と保護者、保護者と保護者が連携・協力するための場としての「学級懇談会」の適切な運営は必須である。「学級懇談会」への参加は、保護者の義務であり権利と言ってもいい。
(ところが、最も重要な年度初めの「懇談会」への出席が役員決めがあるため低調になったり、PTAを辞めた人が「懇談会」に出席しづらくなるというケースがある。現状の「PTA」はむしろ保護者と学校との連携の障壁となっている面があるのだ。)

「PTA」は、全員参加を原則とする「学級懇談会」(学校主催)と、「おやじの会」のような、完全任意のサークル活動とに分離再編成されるべきだ。


関連拙ブログ記事:
「日経新聞夕刊PTA関連記事にコメントが紹介されました」
「「横暴すぎるPTA役員決め」『AERA』(2014.3.3増大号)」


※「本番篇」は、現在取り寄せ中の録音資料が届き次第、まとめたいと思っています。

RCC中国放送「本名正憲のおはようラジオ」PTA特集(3/18)にコメント(追記あり)

明日、朝7:15頃からの10分くらいなのですが、RCC中国放送「本名正憲のおはようラジオ」(月曜~金曜 朝7:00~9:00)の中の「おはようフォーカス」というコーナーで、PTA問題が取り上げられることになり、電話出演することになりました。

PTA嫌いの背景、役員選びの理不尽、PTA不要論、改革の成功例、今後のあるべき姿等が話題になる予定です。

明日の朝のことですし広島県がエリアの放送なので、拙ブログの読者の方で聞いていただける方はいないかもしれませんが、お知らせしておきます。


追記(3/18)
今、終わりました。やはり、緊張しますね。
いずれまとめてみたいと思いますが、取り急ぎのご報告です。

パーソナリティの本名正憲さんは、ご自身、PTA会長を何年も経験され、おやじの会にも積極的に関わられている方でした。

本名さんからは執行部側の見方も提示されました(「うまくやれているPTAも多いのではないか。うちのPTAも保護者や先生方の協力のもと、うまく回っているように思う。確かに、役員決めは「大変!」ということは聞くけれども…。この前あった総会でも、最初はやりたくなかったけれどやってみたら良かったと言っていた。みんなそう言いますよ」)。
※もちろん私なりの反論はしました。

私のコメントの結論は、PTAは今後「おやじの会」をモデルに変わっていくべきではないかというものでした。
この考えについての本名さんのお考えは本番内では十分聞けませんでしたが、日を改めてうかがってみたいと思います。
PTA会長をされ、おやじの会にも積極的に関わられてきた本名さんの率直なお考えをぜひうかがってみたいと思っています。

数日ネット落ちします。

「横暴すぎるPTA役員決め」 『AERA』(2014.3.3増大号)

朝日新聞出版の週刊『AERA』でPTA問題が取り上げられました。記事のタイトルは、「横暴すぎるPTA役員決め」。

中吊り

切迫早産なのに役職を免除されなかったり、御主人が失業中でパートと3人の子どもの子育てで大変なお母さんに責任の重い仕事が押し付けられたりといった事例を取り上げ、PTAの理不尽に切り込んでいます。

記事のまとめのところで、「誰もが納得できる形で役員を選ぶことができるのか」と問いかけがあり、「問題は選出方法の公平性にあるのではなく、有無を言わせず会員にし、負担の重い役職を強要する体制そのものにある。PTAは、『できる人』ではなく『やりたい人』がやるべきであり、『やりたい人』がいなければやめてもいい。」という趣旨の拙コメントが紹介されました。
(日経の記事を紹介した前エントリ中の「1.PTA活動の相対化」の部分も参照ください)

「うちのPTAはそこまではひどくない」と思う学校関係者やPTA関係者がおられるかもしれませんが、記事の中でも触れられているように、「誰かがやらなくてはならない」体制のもとでは、十分に起こりうることであることに思いを致してほしいと思います。


編集後記によりますと、引き続きPTA問題に取り組んでいくとのことで、PTAについての意見や体験を募集しています。

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アエラ編集部
〒104-8011 東京都中央区築地5-3-2 朝日新聞出版 アエラ編集部
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e-mail aera@asahi.com
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<補記>
ちなみに、取材時には、入会の段階、役決めの段階における「強制」を黙認・容認するどころか、それに協力さえしている学校・教委の責任についても言及しました。

日経新聞夕刊PTA関連記事にコメントが紹介されました

日経新聞1月21日(火)の夕刊に、PTA関連記事(「PTA嫌い解消へ ボランティア制で『やりがい』」)が掲載されました。

記事は、任意加入の徹底やボランティア制の導入などの改革を試みるPTAの紹介が中心。
各校のPTA会長に取材をして、改革を思い至ったきっかけや改革を進める上での苦労、自由意思を大切にしつつも活動を進めていくための工夫等が紹介されています。

記事の末尾に紹介された拙コメントは、以下の通りです。

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「できる人」から「やりたい人」へ
 共働きの増加や介護でPTA活動をする余裕のある人が減っているのに、活動の規模は変わらない。保護者間で委員の押しつけ合いが起きるのも無理はなく、10年ほど前から一層深刻化している。
 PTAは「誰かがやらなくてはいけない」との意識が強い。だが、学校が主催する行事や地域の活動がすでにあり、PTAがしなければならない活動は何かを見つめ直す必要がある。
 入会を義務付ける法律はなく、ボーイスカウトや婦人会と同じ位置付けだ。「できる人」がやるのではなく「やりたい人」がやり、希望者がいなければやらない、という選択肢もあるのではないか。
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◎簡単な登録をすることで、月に10本まで無料で電子版の記事を読むことができるようです。


<取材時にお話ししたこと>
日経新聞の田中裕介記者( ― お子さんが来年小学校に入られるそうです)から取材の依頼があり、「変わりつつあるPTAの現状を紹介する記事を考えている。ついては、PTA改革の現状と今後の展望、改革における評価される点と課題について話を聞きたい」とのことでした。
また、実際にお目にかかったときには、改革に成功している学校はまだまだごく少数であること、改革に成功しているPTA会長はいずれも男性であることの背景には何があるのかも話題になりました。

年末に、千葉市教委事務局と意見交換したり(最近の拙ブログコメント欄で言及)、文科省主催のPTA関連フォーラム(2013.12.07)に参加したりなどして、年末年始、「改革は進んではいるものの、まだまだ解決への道は遠いよな・・」ともやもやとした思いを抱いていたところだったので、今回の取材は、そのもやもやを整理するよい機会になったと思っています。


<三つの課題>
ここでは、今後改革を進めていくために必要なものとして述べた、次の三つの点について触れておきたいと思います。


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1. PTA活動の相対化
2. 保護者会のPTAからの分離
3. 文科省・教委による責任ある対応
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1.PTA活動の相対化

法的位置づけからしても、PTA活動は「誰かによって必ず担われなければならないもの」ではない。有志がいてはじめて成立する活動である。
PTAを絶対化するのではなく、相対化することが必要だと思う。

「できる人が、できる時に、できることを」というスローガンは、PTAの強制性に対するアンチーテーゼとして意味を持ち大きな役割を果たしてきたが、その一方で、保護者を追い詰める側面があることを見逃してはいけないと思う。
このスローガンは、PTA活動を「誰かがやらなくてはならないもの」とする価値観と実は深いところで結びついているのではないか。

委員・役員の選出で問題になる、「診断書の提出」や、「皆の前でできない事情を申告させ、皆が認めた場合に限り役職を免除する」等の人権侵害的行為は、その人が「できる人」か「できない人」かの吟味をしていると言える。
悪名高きくじ引きも、「できるのにやらない人たち」の中から、「やってもらう人」を選んでいると言える。
「できない人に仕事を押し付けるのはよくない」とはPTAの現状に肯定的な人の口からも出てくる言葉だが、この言葉は「できる人はやるべきだ」との考え方と隣り合わせであることに注意したい。

「できる人」がやるのではなく「やりたい人(やる意思のある人)」がやる、逆に言えば、「有志がいなければやらないもの」へと価値観をスイッチするべきだと考える。
「できるかできないか」は個人の一存では決めにくい。いっぽう「やりたいかやりたくないか」は個人の一存で決められる。個人に決定権が与えられるべきである。

(札苗小と嶺町小の改革について)

札苗小PTAや嶺町小PTAの実践は本当にすばらしいと思う。しかし、PTA活動に参画することへの意義づけにやや行き過ぎを感じることがある。
例:「そうだ学校に行こう。子どもたちに笑顔を。大人たちに感動を!」(嶺町小)。

おやじの会のノリとしてなら分かるが、ふつうの保護者(特に母親たち)はすでに年に何回となく学校に足を運んでいる。次に引用するような、「学校とは静かにかかわりたい」とする保護者の立場も尊重されるべきではないか。

「私が学校に望んでいるのは、『安心して静かに学べる場』です。それすら危ぶまれているのに、町会とのつきあいのもちつきなどなくてもけっこうです。町ぐるみ運動会、バスハイクも歩こう会もラジオ体操も講演会もいりません。しっかりとした授業があり年1-2回の遠足があり、休み時間に子供達が仲良く遊べればいいのではないでしょうか。なぜそれ以上母親が時間をけずってPTAの仕事をしなければならないのかわかりません。」
(岩竹美加子「国家の装置としてのPTA」(『国立歴史民俗博物館研究報告・第132集』2006年)に引用されているある保護者の声)

また、保護者や地域が子どもたちのためにあれこれと世話を焼くことに対する批判的な立場もあることも考慮されるべきではないだろうか。
参照:拙ブログ<してあげたい病>


2.保護者会のPTAからの分離

PTA活動の相対化の一方で必要になるのが保護者会のPTAからの分離・独立である。ここで言う「保護者会」とは、学校主催の集会としての保護者懇談会を指す。

任意加入が徹底されれば、PTAには入会しない保護者も今後増えてくるものと予想される。PTAの会員・非会員に関わらず、学校と保護者、保護者と保護者が連携・協力できるような枠組み作りが必要だ。
従来のあり方はPTAへの全員参加が大前提になっていて、ここで言う「保護者会」と「PTA懇談会」との区分けがあいまいになっている。そこをきちんと区分けしていく必要がある。

PTAからの「保護者会」の分離・独立に関しては、元文部官僚の寺脇研氏の次の発言が参考になる。

寺脇 校長の立場としては、全員が加入している親の団体があるのはいろんな意味で便利ですよね。いろんなことがあった時に、インフルエンザどうしましょうかなんていう時だって相談できる。それはそれで別に作りゃあいいんですよ。
吉田 保護者会。
寺脇 それは保護者会。それこそ保護者にはいろんな諸連絡があるじゃないですか、今年の遠足はこうしますとか。いろんなことについて保護者の意見を聞くっていう意味での保護者会はあるわけですよ。今まであいまいに包括的にPTA 活動って言ってきたものの中に、保護者会的部分とその学校を良くするための社会運動的部分があるわけだからそこを整理しなければいけないんで、その保護者会的部分に参加すると困るとかそこが問題ってことはないわけでしょ。結局、社会活動的部分についてやりたくないとか、大変だとかいろんな要素が出てくるから問題なんじゃないの。

(「平成21 年度文部科学省『保護者を中心とした学校・家庭・地域連携強化及び活性化推進事業』PTA を活性化するための調査報告書」p.41)


3.文科省・教委による責任ある対応

教育行政には「退会を認めなければ違法だが、自動加入は容認される」という、「まっ黒じゃなければ構わない」とするスタンスが残念ながら認められる。
PTA執行部による抵抗や市議や有力校長による自動加入を容認する立場表明等、影響力の強い人々による現体制を守ろうとする動きもあり、困難を伴うことは理解できるが、法令遵守と人権尊重の観点から、教育行政には責任ある取り組みを求めたい。(注)

その点において、先進的な事例として注目されるのが、(学童保育についてのものだが)川越市教委による議会答弁(2013.06.19)。
そこでは、「保護者個人の自由意志による入会申し込み手続を実施することなどを要請」していることが明言されている。
参照:ブログ『とどくおもうⅡ』<ぷ~た資料998:教育委員会からの要請>


(注)

拙ブログの以下の記事参照。
・<神奈川県教委生涯学習課からの「自動加入」のPTAにおける違法性をめぐる回答書> (2011.01.04)
・<横浜市のPTA 任意加入周知の動き、失速> (2013.04.29)
・<PTAの入退会自由をめぐる千葉市陳情審査(考察編)>(2013.07.16)
・<「入退会自由なPTAを求めて」を聞いて(4) 校長先生との立ち話から考えた>(2012.01.07)
※地域の人材養成の観点から、全員加入を容認


追記1

「『できる人』から『やりたい人』へ」という考え方は、比較的最近思い至ったものです。その部分の「考察」は、家内から「『できる人ができる時にできることを』という言葉はどうもひっかかる。自分の場合は『あなたはできるはずなのに』という感じのプレッシャーで苦しんだ。」と言われ、それがきっかけでまとまったものです。

追記2

PTA活動は「やりたい人」がやるべきとの考え方は、カワバタさんやその他の方もすでに述べられています。
<“やりたい人がやるPTA”が学校共同体を強くする>
<ゆるく、自由に、そして有意義に「やりたい人がやるPTA」その1>


「非会員の子どもに記念品を渡さない」は認められるのか? 名古屋市教委と意見交換

先日、前エントリにコメントをくださったumicofさんのブログを訪ねてみると、びっくりするようなことが書かれていた。

いくつもあるのだが、そのうちでもっとも問題だと感じられたのが、市教委の対応だった。
umicofさんのブログから引用すると次のようなことを教委職員から言われたというのだ。

*****
名古屋市教育委員会に電話にて問い合わせしたところ、加入は任意であるとのことでした。
また文部科学省の見解と同一見解であるとのお答えでした。

しかし同教育員会に、PTA非加入より児童が義務教育時間内に差別的区別、扱いを受けるか質問しましたところ、PTAによる景品などが運動会、入学式、卒業式等で非加入児童にだけ配られないことがありうるとの見解がありました。
*****
http://ameblo.jp/hahawatsuyoku/entry-11642514845.html

この教委の言い分は、上記引用部分に続けてumicofさんが次のように述べている通り、どう考えてもおかしな話だと思います。

*****
PTAはあくまで一団体であり、公的機関ではありません。個人的に景品の配布が義務教育時間外ならば問題はないと思います。

しかし、運動会等は義務教育時間内においての行事であり、義務教育時間内において児童がそのような扱いをうけることは、差別、いじめにつながらないとは言い切れません。
*****

本当にこんな回答を教委がしたのか、これはぜひ確認したいと思い、名古屋市教委に聞いてみました。
生涯学習課社会教育係のT係長が応対してくれました。

問題の核心は↑に引用したumicofさんのコメントに語られている通りですが、以下の点について説明いたしました。

○PTAは互助会ではなく、全ての子どもたちのために活動する団体である。だから、保護者ではない教職員も会員になっていたり、学校の施設を借りられるなどの特別な便宜を受けられている。

○会員になったりならなかったりするのはあくまでも保護者であり、子どもは全員非会員である。

○よって、学校行事や授業の中で、会員の子どもか非会員の子どもかで扱いを変えたとしたら、それは「区別」ではなく「差別」であり、教育基本法にも触れる問題である。

○学校行事や授業中における配布物の適否については学校長が責任を持つべき問題であり、ことは「PTAの問題」にとどまらず、「学校・教委の問題」でもある。

以上のようなことを指摘しましたら、T係長はとてもよく理解してくれました。
そして、うれしいことに、「子どもに不利益が行くようなことはどうしても避けなくてはならない。子ども第一に考える必要がある。」とも。

umicofさんが問題にされている教委職員の発言については承知されていませんでした。しかし、部署の中で、「保護者が非会員になった時の不利益の一つとして、例えば運動会の景品がもらえなくなるということがあるかもしれない」といった話は出ていたそうです。だから、umicofさんへの発言はありえないものではないと思うと率直に認められました。
そして、umicofさんへは「おわびしたい」ともおっしゃいました。

私の方からは、担当部署の中で、今回の反省をぜひしっかりと共有してほしいとお願いしておきました。

以下、本筋から外れることですが、
① T係長とのやりとりの中で、名古屋市のPTA加入率は100%だとの話が出ました。もし本当なら、どのような加入のやり方をしているのか等、今後さらに確認したいと思いました。
② 話の途中で、T係長から「PTAというのは子どもたちの健全育成のために多くの人が力を合わせてやっていくものだ。(だから、全員加入が大前提ではないか)」との率直な立場が示されましたが、それについては、「だからと言って全員に網をかけて有無を言わせず入らせるのはおかしいのではないか」と申しましたら、納得いただけたように思います。


なお、千葉市教委は、今年の6月上旬に、「会員ではない保護者のお子さんが不利益を受けないよう、学校としても最大限の注意を払っていきたいと言っている」と述べています。
http://ameblo.jp/maruo-jp/entry-11470756394.html
(コメント54参照)
今日の電話では触れられませんでしたが、名古屋市教委にもぜひ参考にしてほしいと思います。

あともうひとつ、滋賀県栗東市の学童においては、
*****
現在、栗東市立学童保育所の保護者会に入っていない児童を区別するような事業の場合は、栗東市社会福祉協議会では断っているとの回答をもらっています。
*****
栗東市PTAと学童保護者会問題≪義勇兵≫のブログ 2013-10-20より
http://ameblo.jp/giyuhei/entry-11644422670.html

この点もぜひ全国の教委に参考にしてほしいです。


追記
非会員の子どもに関する問題を考える上で、岡山西小の先進的な取り組みは外せませんね。
平成23年の6月付けのPTAから保護者宛てに出された文書において、

***
なお、PTAに加入、未加入によりお子さんが不利益を被ることは一切ありません。
***

と明言されています。
(THINK!PTA!素晴らしい、PTAハンドブック・規約などのページ[009])
http://www.think-pta.com/PTA_kiyaku/kiyaku_nice.html

追記2
本文最後の方でも、千葉市教委の良心的な対応(口頭)について紹介しているが、文書による発言もあるので、紹介しておく。
市の回答として、文書にて以下のように明言されている。
*****
はじめに、「学校行事における外部任意団体からの贈与行為」についてですが、特定の外部任意団体に所属している保護者の児童生徒のみに物品を贈与することは適切ではないと考えております。
*****

(2013年7月31日)「千葉市・市民の声」回答内容より。
http://www.city.chiba.jp/shimin/shimin/kocho/shiminnokoe/h25/h25-131.html

PTA問題を卒論のテーマに

今年の4年生で、卒論のテーマとしてPTA問題をとりあげた学生がいます。
以前、台湾のPTAと日本のPTAの違いについて話を聞き、拙ブログで紹介した学生(Y.Iさん)です。卒論の題目は、「台湾と日本のPTA」。
拙記事:留学生に聞くPTA⑥ 日・台の保護者組織の対照的な姿 -日本のPTAは母親を苦しめる

そのY.Iさんが勤め先のブログである「小平の風」に「私の卒論のテーマ」と題して寄稿しました。

こちら、です。

その末尾の部分には、
*****
日本のPTAの全員入会制は良くないと思われがちですが、果たしてそれが本当に良くないことなのか、「PTAの入退会自由」は本当に良いことなのか。私はこのような観点からも改めて考えていきたいと思っています。そして、台湾の自由参加方式と日本の義務的全員参加方式のどちらが子どもたちにとって本当にためになるのかも考えたいと思っています。
*****
とあります。

Y.Iさんも、なにも日本型のPTAのあり方を積極的に肯定しているわけではなく、いわばゼロベースから考えていこうとする姿勢を表しているのだと思います。
私も、彼女に“あやかり”、日本のPTAについて肯定的な立場に立つ人の考えを改めて聞いてみようかと思いました。

そんなことで、先日、Y.Iさんといっしょに、かつて(30年から20年前)PTA活動に熱心に取り組まれ、「全員参加体制」に肯定的な考えを持つMさんと、Mさんのお知り合いの現役の保護者で、幼・小・中てPTA会長を務め、昨年度は、市P連の会長も務めたYさんにお話しを伺ってきました。

Y.Iさんには、いろいろな立場の方から話を伺い、自分なりの考えを深めていってほしいと思っています。
MさんとYさんから伺った話は、次のエントリでご報告できればと思います。


追記
エントリは立てず、追記の形でご報告することにしました。

<Mさんのお話し>
Mさんが「全員参加体制」に肯定的な理由としてあげられたのは、次の二点でした。ひとつは、当時、給食の民間委託の動きがあったもののそれを止めることができたのだが、それにはPTAによる運動も大きく寄与したこと(当時新聞でも取り上げられたそうです)。もうひとつは、クラスや学年単位で子どもたちのための様々な企画を立てて活動できたこと。
これらは「全員参加体制」ならでは可能だったように思う、と。

もっとも、Mさんも、「役職の強要」には問題を感じておられます。
ちなみに、MさんがPTAに関わった約30年前から20年前にかけての10年間のうち、後半の5年において「役職の強要」が起こり始めたように思う、とのことでした。

Mさんのお話しで意外だったのは、小学校でも中学校でも、最終学年に近づくほど役のなり手が増えたというお話。受験を意識した親心の結果ではなかったか、と。

<Yさんのお話し>
自動的・強制的な加入のあり方は問題とは思いませんか?との問いかけに対して、「本会は本校児童の保護者及び教職員によって構成される」といったPTAの規約を示しながら、「うちの学校では、規約で保護者は全員参加することになっているのです。・・もちろん、どうしても参加したくないという保護者を無理やり会員にすることはできないと思いますが…」。

市内のPTA及び市P連の活動内容についての質問に対して、Yさんは「うちの市のPTAがどのような活動をしているかについては、市の生涯学習に聞いてみてください。生涯学習課の方でなんでも把握されているので」とのこと。

ここからは私の感想だが、Yさんの、全員加入体制を“あり”だとするスタンスを支えているのは、PTAの規約の文言の存在と、それに加えて、PTA活動が学校・教委との一体的な連携によってなされている事実ではないかと思った。

“規約には保護者は全員参加するように書いてあるし、現にみんな参加しているし、先生も教委の人たちもそれに対して何も問題にしていない。問題なら責任ある立場にある校長先生や教委の人が黙っているわけがない”
といったところだろうか。
これは、一人の保護者のスタンスとして、ある意味、自然な反応なのかもしれないとも思われた・・。

PTA活動をしていて辛かったことはありますか?という質問に対しては、「後任選び」との答えが返ってきた。「『候補者』の中から会長、副会長等の本部役員を互選しようとするのだが、何時間たっても決まらず、みんな暗い顔をしているときは本当に辛かった。他の学校では、本部役員もくじで決めることがあるようだが、それはしたくないし…」

事情がある人に役職を押し付けるのは問題だと思わないか?との問いかけには、そういう場合は、先生に申し出てもらうようにしているとのこと。「先生からこの方は外してください。」と話があったときは、何も聞かず外していたそうだ。


なお、お二人はPTAへの私のスタンスを分かったうえであえてお話しを聞かせてくださいました。とは言え、その時点では拙ブログの内容も、PTAに対するメディアでの近年の扱いについてもご存じありませんでした。その意味で、今回ご紹介したのは、PTA批判を踏まえたうえでの「反論」ではなく、現場で活動されてきた方の率直なコメントという感じかと思っています。
ブログの読者の方々には、そういうものとしてお読みいただければと思います。

最後になりましたが、本当にお忙しいなかお時間を作っていただき(しかも、重い資料も持参で)、ご対応くださったMさんとYさんに改めてお礼申し上げたいと思います。