リュウセイグン -2ページ目

リュウセイグン

なんか色々趣味について書いています。

長文多し。

人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない
何かを得るためには同等な代価が必要になる




 (※ 以下ネタバレ)




上記は鋼の錬金術師のテーマとも言える「等価交換の原理」を現す言葉である。
劇場版『鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星』、本作に於いても犠牲……同等な対価が必要であった。
『アマルフィ 女神の報酬』 がそれである。
真保裕一氏が(恐らくあまりの出来映えから)脚本を降板した作品だ。


そんな黒歴史もある脚本家の型で、正直不安だった。
不安のあまり、駄作だったら


ハガルフィ(笑)


って別名を広め、真保氏は賢者の石送りだなー、と心に決意していたくらいだ。


でも面白かった!



真保さんマジホントすいませんでした!
ちゃんとハガレンとして面白かったです!

もちろんアラがないとは言えない、というよりちょくちょく気になる部分はある。
しかしながら本作の中心を貫く「ハガレンらしさ」に感銘を受けた。

この作品が面白いのは、


従来のハガレンらしさを踏まえつつ、


今までになかった要素を盛り込み、

更に本編の読み味を深める


点にある。この辺り、ファンムービーとしては出色ではないか。

従来のハガレンらしさで言えば、暗い設定と派手なバトルが挙げられる。
シチュエーションも本編を意識した場面が多く、僻地で暮らさなければならない人々、列車バトルや大規模錬金術、兄妹愛などが語られている。


あとヨキの親戚とかねwwwww
(正確には繋がりはないです、たぶん)



じゃあ、今までのハガレンで充分じゃん……という訳では決してないのが大したところ。



今回のメインテーマとして「虐げられた民」という少数民族の物語がある。
イシュヴァールと同じ? いや、違う。
イシュヴァールは基本的に過去の物語で散逸してしまった民族として語られていた。
しかし今度登場するミロスの民は、圧迫されながらもまだ滅んでおらず、生存しようとする人々として描かれている。
その中心者であり、ヒロインでもあるジュリアは言う。


「あなた達の国は強いからそんなことが言えるのよ!」



そう……ハガレンは弱さは持っているけれど、基本的に強者の物語なのだ。

強い国の強い権力と武力を持ったエリート
の物語。

そしてエド達は自分の為に賢者の石を必要としていたから使わないという選択をした。
でも、それが周りの人々を救う方法だったら? 他に有効な手立てがなかったら?

「たとえ正しくない力であっても、それを必要とする善良な人はいるかもしれない」

ここは本編でもあまり語られなかったテーマだ。
本編でも賢者の石で人を治すシーンはあるが、「弱者に於ける力の必要性」という部分にまでは達していない。ラスト近辺では民や大切な人間を救う為に賢者の石(ミロスの呼称では「鮮血の星」)が用いられるシーンが描かれている辺りも、面白い観点だと思う。

それとミステリ系の作家が脚本というのもあり、結構話が入り組んでいて謎解き場面も多かった。
個人的にはメルビンの正体が明かされた後、「え……こいつどうやって変装したの?」という疑問が浮かび、それが自己解決し、頭の中で仮面のキャラと繋がった時は「おぉ、なるほど!」と首肯した。

ミステリではわりかしある話なんだけど、ハガレンにそれを持ち込むとは! っていう。


で、本編の読み味については、この物語が間接的に本編終盤や印象的なシーンに繋がってくるため。


例えばテーブルシティに関する動乱はホムンクルス達の「血の紋を刻む」為の介入の可能性を想起させる(もっとも局地的に国境を越えている場所なのでどのレベルで関わりがあったかは不明)

他にも敵キャラ・味方キャラ含めて錬金術の力や賢者の石、そして真理に拘泥する……というのも後の展開を把握していると、彼らとエドとの問答が一段と深くなる。


またジュリアと兄・アシュレイの関係性も面白い。当初ジュリアはアシュレイとの間に距離を感じていた(まぁ偽者だから当たり前なんだが)しかし終盤で本物の兄と対立しながらも瀕死の彼を救う為に賢者の石を用いて自分の医療錬金術を最大限に増幅、真理の扉を開けて「左足」を持って行かれながらも彼を救う


まさしく、エルリック兄弟との対比だ。
そして再生する兄妹の絆を描くと共に、緊急時とは言え賢者の石を使って回復させるという「違い」もハッキリ描かれている(むしろエルリック兄弟にはそこまで切羽詰まった機会が訪れなかったのだが)
また、兄妹のその後の有り様も、エド達との違いが強く現れている。


そして先にも触れたが、この物語は「弱者にとっての力」を一つの主軸としている。
そしてエドは、ラストでジュリアを「大した奴」と認めつつも、力に頼る考え方は否定した。
ジュリアも、いつか分かったら答えを教えて欲しい(取意)と言って、二人の道は分かたれる。
今回の話だけでは、ちゃんと解決してないのだ!



しかしながらファンなら知っての通り、本編では


エドが最終的に真理の扉=力を捨てることで自分達の問題を解決
し、


「一を加えて次に渡す」という等価交換を越える法則を考え、

鋼の心
を持って新たな旅へと向かう。



この旅の途中、エドは間違いなくミロスに向かってジュリアに自分の到達した「答え」を伝えるだろう。

力は必要な時もあるが、それに拘るだけでは見えないものもある。

そしてジュリアもそれを受け入れるはずだ。

彼女が機械鎧を付けているのは、エドと同じ部分。

生身に戻った右腕ではなく、残したまま共に前へと進んでいる左足
なのだから。








あとがき(?)
という訳で、色々読み込める良い映画でした。
とは言え、ちょっと気になる部分があるのもまた事実。
パッと目に付くのを挙げると……

・テーブルシティ到着直後、銀時計を見せてないエドにアメストリス兵が敬語を使う

・エドの正確がややクレバーな印象に。一緒に歩いていた人が狼キメラに襲われて死ぬと、その人を誰かに任せる描写がないまま追うシーンに繋がる(省略の可能性アリ)

・自分が足止めした狼キメラが、そのままメルビンに殺されても冷静に話し出す(エドはエンヴィーの一部に銃を撃つ事すら出来なかった)

・鮮血の星(賢者の石)を食べて力を使おうとするジュリアに「星に喰われる」と警告するエド達。本編ではキンブリーが同じような事をしているが、賢者の石を食べても特に変化はない(まぁキンブリーだからかもしれんが)また体内にあるままで使っている描写もない。もしそういう設定があったとしても、この時点でエド達が知っているはずがない。

ウィンリィとマスタングとホークアイは一応出てくるが空気ウィンリィにはいつもの事だが……)

ここら辺は細かいところなのでまぁ好きに解釈してもいいかなと。


一番気になるのは

・ミロス錬金術の法則と来歴

パンフを見ると、驚いたことに東の賢者(おとうさま)がアメストリスに来る前から鮮血の星の伝承はあったらしい。
ハガレンではアメストリスとシンの錬金術・錬丹術は東の賢者と西の賢者(ホーエンハイム)が発展させたことになっている。
でも年表を見る限り、ミロスでは独自にあの錬金術大系を完成させた事になる。

よほどの天才がいたか、或いはこちらもおとうさまと同じ「始まりのホムンクルス」を作ってしまったのかもしれない。

聖地の「仕掛け」等を見る限り後者の方がありそうな話ではある。

仕掛けを作りながらも、(自分の体を作る為)本格的な発動をさせる前にうっかりフラスコを割られてお亡くなりになったのかもしれない。

術が非常に強力なのも特徴的だ。
多分、電子と空気中の水分を凝結させているのだろうが、かなりスケールがでかい。

ひょっとしたらアメストリスのように地下を流れる賢者の石に阻害されていないから強力なまま使えるのか(ただしこれでは国土錬成陣から外れている可能性が高い)或いはマグマが近い為に等価交換の基礎エネルギーである大地の力が利用しやすいのかもしれない。
劇中でも大地の力を用いるみたいなこと言ってたしね。


何はともあれ、色々と見えてくる面白い作品でした!
和製アニメの劇場版でこんだけ満足したのは久しぶりです。

等価交換の犠牲になってくれた『アマルフィ』に

ありがとう、そして、ありがとう!

諸君 私は宇宙人が好きだ
諸君 私は宇宙人が好きだ
諸君 私は宇宙人が大好きだ
 
オーソンが好きだ
エロヒムが好きだ
モスマンが好きだ
クアズガが好きだ
セミヤーゼが好きだ
バシャールが好きだ
ウンモ星人が好きだ
ラージノーズグレイが好きだ
フラットウッズ・モンスターが好きだ
 
介良で 甲府で
ソコロで ロズウェルで
ロサンゼルスで フォークビルで
ホプキンスビルで チェンニーナで
パプアニューギニアで ゴッドマン空軍基地で
 
この地上で行われる ありとあらゆる接近遭遇が大好きだ



恥の多い人生を送ってきました。

矢追純一の番組や本で震え上がり、

厨房のみぎり『ID4』の大統領演説で感動し、

シャマランの『サイン』がミステリーサークルについて、宇宙人的な意味で何らかの考察を加えてくれることを期待しながら劇場へ足を運ぶ。


それもこれも宇宙人愛の為せる業でございます。

そんな私のことですから、『スカイライン』の予告を観て、劇場へ足を運ばなければ!
と思ったのも無理はありますまい。

そんな訳で夜中に車を飛ばし、帰路が翌日近くになろうとも、この映画を観に行こうと考えた訳でございます。

そうして苦労した挙げ句、私は映画館から出て参りました。
恐らく満面の笑みを湛えておりましたことでしょう。
そして一言。

「あー、酷い映画だったぁ!」

ある種、爽快感すら感じさせる至福の瞬間でございました。

まずこの映画、主人公が人間のクズでございます。クズ人間作品を愛好する私にとって、これは思わぬ僥倖でございます。

よもや宇宙人映画であるのみならず、クズ人間映画でもあろうとは!

主人公ジャロッドは設定上、善良ということになっているらしく飛行機で他人の荷物下ろしを「手伝おうか?」と声を掛ける程のナイスガイでございます。
しかしながら彼女エレインの妊娠発覚時、第一声が

「Shit!」

これには流石の彼女もご立腹なされ

「最初の言葉がそれ!?」

と至極もっともな事を。
それに対し

「他になんて言えばいいんだ!」


と逆ギレ。
あたかも『彼女が孕んだ日にゃあ「クソッ!」っていうのが世界の常識だよね?』的な見事な返し。
我々のような凡愚には、そこに痺れ、憧れるゥ他にございません。

しかしながら、ディザスター映画・パニック映画に男女の不和は付き物。
これを非日常で解消するところに映画の王道があるのです。

映画の筋としては、NYに住むジャロとエレインが、ロスの友人テリーの誕生パーティに招かれ、その翌朝に宇宙人が来襲して逃げ回る……というよりむしろ引き籠もる映画でございます。

侵略のメインアイテムである青い白い光は、それを見ると人間は催眠状態に陥り、光に近付けば(#^ω^)ビキビキと体中に青筋が広がっていき、いきなり吸い込まれ、宇宙船の下から巻き上げられるという心理的にも生物的にも物理的にも謎の性質を持ちます。

まずこれを照射し、マザーシップで大雑把に人を巻き上げてからイカ大(仮)・イカ小(仮)・アーマードトルーパー的な何かで細やかに収穫するというものです。

とは言え、何故人間を収穫するのかについてはよく分かりません。
どういう用途に使われるかはある程度描かれるのですが、それで結局何を狙っているのかはサッパリ分かりません。

世の中は分からないことだらけでございます。

ともあれ、その宇宙人の攻撃があまりにも激しすぎるので一般人であるジャロとその愉快な仲間たちは延々とマンションに引き籠もります。

もちろんヤンチャなジャロとテリーは「2分で海へ行ける。それでテリーの持つクルーザーで海へ逃げれば助かる」何の根拠もなく主張し、

結果テリー本人とその愛人となんかそこら辺にいた他のモブ夫婦2名が死亡して結局部屋へ帰る


という作劇上は殆ど意味のない被害を被ります。

ただ、その中でマンション管理人がイカ小にランクルで突っ込んだらぶっ壊れ、管理人が仲間になったので、全く意味が無かったとは言えないかもしれません。まぁその後すぐ再起動しモブ旦那の脳をゲットして襲ってくるのですが。

この宇宙人、どういう技術力を持っているのか判然としません。

二日目になると、空軍とマザーシップ&イカ大達のドンパチが始まります。
ステルス戦闘機が墜落しそうになりながら、ミサイル一発を放ちます。
ここで観客の誰もが

「どーせ、バリアとかで弾かれちゃうんでしょ?」

と思ったはずでございます。
『ID4』でも『宇宙戦争』でも描かれた、いわば前振りのようなものだろうと。



大爆発




予想は外れます。
なんと直系数百メートルから数キロはあろうかというマザーシップはミサイル一発でお亡くなりになられ、ロサンゼルス市街にヘッドスライディングをお決めになられたのです。
なんという紙装甲。宇宙姉歯の陰謀かと思われたその時、外枠だけになったマザーシップとその破片が収束し、再生し始めました。
観客は一安心。



「俺らは開始早々のミサイル一発で沈む敵艦なんか見たくないんや! 全然攻撃が通じないで色々と引っ張っておきながら最後の抵抗でいきなりボロが出るマザーシップが見たいんや!」



心の声が聞こえるようです。まぁこの映画において、その願いは叶わないのですが。
どうやら先ほど車にぶつかって潰れたイカ小もさることながら、この宇宙人たちの設計思想は「防御」よりも「再生」に重きを置かれているように伺えます。



いちいち潰されるのもアレだし装甲厚くすれば?



などという指摘は恐らく宇宙の大海を知らぬ地球人的発想であり、こんな事ばかりチマチマ考えているから人類は未だに火星有人飛行も達成出来ないのです。

ともあれ、そんな宇宙人と地球人の戦いを尻目にジャロは逃げることを提案し続け、エレインや管理人に厭な顔をされます。しかし陸軍も到着したので得意の逆ギレ芸と泣き芸でエレインを懐柔し、屋上へ行きます。


一方、部屋には管理人と今は亡きテリーの正妻キャンディスが残ります。
キャンディスは据え付けの望遠鏡(本来は覗き用)で部屋の外を観察している間にウッカリ青い光で催眠状態に陥りイカ大に攫われます。


管理人もテリーの部屋にあった神風特攻隊の壁画をチラ見しながら、ガス栓を全開にして外壁を登ってきたATにガス爆発を仕掛けました。ちなみに一度ライターの火が着かず、爆発未遂。捕まりそうになりながらも他のライターを取って爆破……というシークエンスなのですが、

何故ライターが着花せずとも火花でガス爆発しなかったのか、或いは炎を起こしたければ何故コンロを点火しなかったのか
、は管理人亡き後、薮の中でございます。



ジャロとエレインも頼みのヘリが撃墜されたので大ピンチに陥ります。
エレインを逃がし、しんがりを守ろうとするも逆に後ろから襲われエレインに助けられるジャロ


しかし再起動したイカ小がエレインを襲い始めるや、(#^ω^)ビキビキの力が覚醒しイカ小にタックル。


マウントを取り、そこら辺にあるコンクリ片でイカ小をドッカンドッカン殴り始めます
更にコンクリ片を投げ捨ててパンチの連打。
惜しむらくは全て手打ち、全く力が入っているように見えない点でございましょうか。


ともあれこの辺りも『ID4』『サイン』に繋がる「宇宙人とタイマン」の系譜を見る思いでございます。


イカ小を撃退すれども状況は悪化の一途。
ガス爆発で特攻されたATも元気な姿をご披露され、管理人の噛ませ負け犬ぶりに花を添えます。
そしてマザーシップでジャロとエレインも吸引。

『千と千尋の神隠し』ラストに出てくる千尋とハク人間体が手を繋いで空を飛ぶシーンに酷似した構図でキス。
宇宙人に吸われながら恋人の唇を吸う、という何とも洒落の効いたシーンでございました。

宇宙船でエレインが気が付くと、他の人間はみんな脳味噌を取られておりました。
どうやら脳味噌を取って、イカ達に搭載している模様でございます。
ジャロも意識不明のまま御用となり、頭から上が無くなりました。
エレインもお腹の子供ともども大ピンチでございます。



その時、ジャロの脳髄を搭載された人型兵器に戦慄走る……!
……覚醒!自我の覚醒……!
急ぐ……! 急ぐ……!
エレインの元へ……!
エレインの触手プレイを拒否……!
断固拒否……!
圧倒的……!圧倒的生存本能……!日々怠惰な生活を送ってきたジャロット……!人の体を捨て、始めて使命に目醒める……!

(仮想ナレーション・立木文彦



エレインは、お腹の子供は俺が守る!


俺たちの戦いはこれからだ!


短い間でしたが、ご鑑賞ありがとうございました。
グレッグ・ストラウス監督の次回作にご期待下さい!


そんな訳で『スカイライン』、見事終劇でございます。
多分一人では二度とは見ない作品かと思いますが、

映画が好きな方ならば激怒するか大喜びするかの二択
でございますので、

そういう方々と観られるのも一興かと存じ上げます。

なお、本作についてはリアルでも見事なオチがついており、監督らが『世界侵略・ロサンゼルス決戦』 の話や、自分達が前述の作品に協力した際、制作費によって作られた素材を流用したのではないか……と取り沙汰されている次第でございます。この話が本当ならば、さすがジャロットのお父さん、面目躍如といったところでございましょう。
http://blog.movie.nifty.com/blog/2011/03/post-b959.html
映画から映画へ



『スーパー8』は僕がかなり前から期待していた作品だ。
怪獣や宇宙人をこよなく愛する僕にとって、エイブラムスとスピルバーグがタッグを組んだこの作品は最初の意味深な映像から既にワクワクするに充分だった。
そしてその期待にも応えてくれるだけの作品だったと思う。

主人公は母を亡くした少年ジョー、彼が映画を撮る過程で遭遇した事故が、町そのものを巻き込む大事件へと発展する……というお話。大筋としてはエイブラムズが関わったNYで怪獣が大暴れする『クローバーフィールド』と、スピルバーグが監督した名作『E.T.』をミックスしたような内容。

まずなんと言っても序盤の列車事故が圧巻。前の日にわざわざ『ET』も見直したし、予告なども観てきた僕は何が起こるかぐらい知っていた……ハズなのだが、予想の7倍くらいの規模の大事故。
あんまり凄すぎて、観ている途中で思わず笑ってしまった。

ドッカンドッカン大爆発し、駅舎もブッ壊れ、列車が散乱する中で逃げる少年たち。
正直助かったのが不思議なくらい(車もな)

そこから「何か」が出て町を襲う。
でも、コイツは殆ど姿を見せない。

この姿を見せないというのがポイントで、事前情報隠匿と並んで『クローバーフィールド』でも使われた手法だ。
もっと観たい! と怪獣好きとしては気になるところなのだけれど、一方で見せない事が効果的であることも分かってしまうので痛し痒し。スピルバーグ作品でも相手の姿を見せないことで緊張感を出す手法はよくやっている(『激突』『ジョーズ』等、『ET』でも追跡斑のオッサンは終盤まで顔を見せない)
こういうのは、見せてしまうと逆にチープになりかねない。

暗闇の中で、コッソリと、しかし怖く


モンスターを効果的に印象づけるポイントだ。
漸く明確に見えてくるのが終盤で車両を襲うシーン。
『ジュラシックパーク』のティラノサウルスに怯えた頃と同じ「怖いけど観たい」という興奮をもたらしてくれる。

ただし、本作では、ミステリー性や怪獣要素に目が向きがちだが、実際の所それは魅力の半分に過ぎない。

残りの半分は人間ドラマにこそある。
当記事は公開初日に書いているので、あまりネタバレをしないように言う。



これは「少年少女の成長物語」である。

また、「家族再生の物語」でもある。

同時に、「許しの物語」とも言える。

その中を、断片的ながらSUPER8が写し、貫いていると考えて頂きたい。
特に某シーンでは、【画面外の人】を忘れちゃいけない。
それを想定するかしないかではエラく印象が違うはずだ。



そして、この映画は「モンスター映画」である。「戦う映画」でもあると言っていい。

しかし、必ずしも「モンスターと戦う映画」ではない

「彼ら」は何と戦うのか、戦っているのか。そしてどうするのか。

本作には、結構目に付きやすい箇所がある。
それを問題点だと指摘されるのもやむなしかとは思う。

ただ、個人的には「彼ら」が最初は何をどう考え、どう行動し、最後にどう変化したか……と思いを致せば何となく理解出来るんじゃないかという気もする。

そしてラストシーン。

ここは久しぶりに「狡い!」と思ってしまう程に感動的。

僕的に感動出来る箇所は二つあって、一つ目は堪えたのだけど、二回目は無理だった。

スタッフロールまでサービス精神満点
泣いた後でクスクス笑えて歯切れも良い感じ。

子供と一緒に行くと、

映画館で『ジュラシックパーク』を観る度にジュースを零し
夜の暗がりにビビっていた僕


みたいな目に遭わせてしまうかもしれないが、それでも十年か二十年くらい経ってから


「あの時、『SUPER8』を観に行って良かった!」


と言って貰えるはずだ、多分ね
ふざけてんのはどっちだよ!


1話が世界観や人物紹介
2話がタイガー回だとすると、今回はバニー中心のコンビ回というところでしょうか。
3話目にして変身(?)しない異色回でありながら、それを逆用して緊張感を演出し、バディ物らしい展開に持っていく辺りは唸らされます。

虎徹はやっぱりヒーローの精神を持っているが故に疎んじられがちなのですね。
「HIRO TV」の連中が、虎徹の敬愛するミスターレジェンド像を素通りしていく所は象徴的。

「最初のヒーロー」などと呼ばれているので、恐らく彼の時代には番組そのものがなかったと目されます。
この社会は、20年前後くらいの間にヒーローの扱い方を変えてしまっているのですね。

一方、バーナビーは「HIRO TV」に適合するヒーローになるべくして生まれた存在と言えるでしょう。
素顔も素性もさらして(これには裏の意図がありそうですが)こまめにサインやファンサービスもしてあげる。
外面も良い。

まるっきりのアイドルで、虎徹としては違和感というか面白くない。

しかし、バーナビーも内在的には本当にアイドルヒーローなのかな? と思っちゃう部分が出てきたりする訳ですね。
スカイハイなんかは優等生キャラかと思ったら天然系だったり、折り紙サイクロンは本筋を違えていたりで、文字通りの愛されキャラなのですが、バーナビーは現実的な打算からそう振る舞っているような所が見受けられます。

爆弾騒ぎは案の定、虎徹のヒーローらしさが明確に出るシーン。
素早く爆弾の位置を特定し、スタッフにも怒りながら退去を命じる。

彼にとって人命が何より大事で、TVなんかどうでもいい
こういう格好良さが、そのうちもっと多くの人に受け入れられ物語としても生きてきそうな予感がします。


一方で彼の魅力は、ちゃんとビデオ撮影はしてあげるとこwwww
この妥協する姿勢や情けなさが、カッコ付き過ぎず、人間味を出すのにいい塩梅になっています。


バーナビーは爆弾解体をしますが、知識で身に付けてきたこととは違う。
自分達の命まで掛かっている。焦りも出る。


二者択一、上か下か。


ところがここで第三の選択をする虎徹、それを瞬時に悟るバーナビー

実地でこそ発揮出来る発想力、それを悟る感性。

虎徹は経験から先に動き、バーナビーは自身の中にある虎徹との共通性=勘でそれを把握。

二人の違いと共通性を爆弾事件一発で見せきるこの巧さ
そしてCパート、酒場に流れるTVでは虎徹が言わされた台詞を吐いていますが、結果的に心情の一部を代弁している。ここらもすっごく心憎い、良い構成です。

さて、バーナビーは両親を殺害されている模様ですが、その相手はウロボロスをシンボルとした集団の模様です。
今回の爆弾も新型だそうなので、恐らくそいつらが噛んでいる可能性大ですね。
彼は素顔&実名で相手を誘いだし復讐することが、ヒーローとしての動機の一端であるように推測されます。
ただしそれは暴力的な憎悪による復讐であってはならない。前にも言ったように、個人的な復讐心だけで動くのはヒーローではないからです。
そこはきっと虎徹がなんとかしてくれるでしょう。

さて来週はブルーローズの話。
T&Bコンビだけじゃなくて他のキャラも掘り下げてくれるようで、凄く楽しみです。
『キックアス』からの流れで、ちょうどいいから『TIGER&BUNNY』も書いちゃうぜ!



ここ数年、ハリウッドのヒーロー物も単なる子供向け作品から大人まで楽しめる作品になってきていた。
一方で日本だと特撮はまだしもアニメ界隈になるとちょっと「うーん」という感じで不完全燃焼な観が否めなかった。
そこに飛び込んでファイヤーエンブレムよろしく僕のモヤモヤを灰燼に帰してくれそうな作品が現れた。
それが



『TIGER&BUNNY』




だ。
ビックリするのがヒーローの体に実在企業のロゴが入ってる!
この作品を観てまずみんなが注目するのはここだろう。

ユーストリーム・ペプシネックス・カルビー・DMM・FMV・バンダイ・ソフトバンク・ドットアニメ

そして牛角www

こういう物語中に企業名を登場させたり商品を見せつける手法はプロダクト・プレイスメント と呼ばれるが、この作品は厳密に言えばちょっと違う。

『ヒーローTV』というTV番組の中の協賛企業……という名目で登場しているからで、いわばメタ・プロダクト・プレイスメントとでも言うべき性質のものだ。


「この中ではTV番組としてやってるからスポンサーが必要なんですよ」


という物語上の理由を立てて、堂々と現実の企業宣伝をしてしまおうという訳。
ここからもこの作品がメタ構造を意識していることが分かる。
『キックアス』もヒーロー作品が架空の娯楽作品として存在している前提で、それに憧れたヒーローというメタ要素を持っていたこととも繋がる。
近年に於いては、真っ当な意味でのヒーローものとは、ややキッチュになってしまったのかもしれない。
悲しいことでもあるが、同時にこういった作品を産み出す土壌として考えれば必ずしも悪くはない気もする。


そんな中で、主人公は鳴かず飛ばずのワイルドタイガー
ヒーローとしてはベテランだが、直情径行で跳ねっ返りのためにヒーロー順位も人気も低く、スポンサーも撤退。
新しい所にお抱えになる。
モノレールのレールを壊して苦言を呈されたり、今までのスーツが良くないので変えろと強要されたり、現代社会のサラリーマン的な哀愁が漂って、なんだか凄く身につまされるようなキャラクターだ。
新しい相棒のバーナビーとの折り合いも悪そうで、足を引っ張るような状態。

しかし考えてもみれば、ヒーローとは本来社会とは相容れない物なのだ。
なぜなら、現代社会は超人の存在を前提としない構造を持っているから。

全ての人々に平等な権利があり、平等にルールが敷かれる。
これが基本的な民主主義国家。

もちろん資産の差などはあるけど、凄い人でも一定のルールには従うというのが建前。
ところが、ヒーローとは社会が対処出来ない状況でなければ存在し得ない
社会が対処出来るなら、社会が対処すればいいんだから。

悪人が強すぎて捕まらないとか、
悪辣すぎて追い掛けられないとか、
事態が大きすぎて収束出来ないとか、

そういう事がなければヒーローなんて要らない
んである。
また悪人を捕まえるにしても、現代社会を模した世界観に於いてはヒーローにその権限を持たせる場合は少ない
社会が対処出来ないからとはいえ、ヒーローは勝手に悪人を捕まえ、時には裁いていることになる。

そう、ヒーローとは反社会性を内在しているものなのだ。

だから警察に追い掛けられたり、法的に抑制されているヒーローも居たりする。

翻って『TIGER&BUNNY』を観てみよう。

『ヒーローTV』に出演して、協賛企業名を載せて、ポイントを稼いで、人気取りして……

全っ然ヒーローらしくない。

スターやタレント、スポーツ選手ではあっても、これはヒーローではない。

また協賛企業がある、と言うことは金儲けをするという事でもある。
みんな、ではなく特定の人間が、だ。それは企業自体であり番組でありヒーロー自身もその範籌である可能性がある。

商売でやってる、
自分達の為にやってる、
喰う為にやってる


それがこの作品でのヒーローの一面だ。
『TIGER&BUNNY』のヒーローたちは首輪に繋がれた、社会に捕らわれたヒーローなんである。
もちろんキャラクターとしてはみんな魅力的だし、今後の活躍には期待出来そうだ。
僕なんて早くもファイヤーエンブレム・ロックバイソン・折り紙サイクロンのファンになっちゃった。
けど、ヒーロー的なヒーローであるかどうかはまたちょっと別の話。

で。

一方、自分の思うままに行動しようとするワイルドタイガーは、その中では浮いている

つまり彼は本来の純粋なヒーロー性を持ったままの男であり、それ故に『ヒーローTV』に上手く適合出来ないのだ。

これは第二話の内容からも分かる。

子供が犯人であろうとなかろうと「子供の危険」を第一に案じる。
自分の子供の発表会よりも人助けを優先させてしまう。
ネクストの少年に自省を促し得点にはならない自首をさせてしまう。
わざとピンチに陥ったふりをして少年の正しい行動、正しい力の使い方を促す。

これは全部利己主義では為し得ない行動だ。
そして彼がミスターレジェンドから教わった事でもあり、少年に伝えたことでもある。
ヒーローの魂は、受け継がれてこそ意味があるのだ。

以前、スパイダーマン2の記事 を書いた時に作中より引用した言葉がある。



子供達には、ヒーローが必要なの。
誰よりも勇敢で、自分を犠牲にしてまで、みんなのために手本になる人・・・
誰だってヒーローを愛してる。
人々は、その姿を見たがり、応援し、名前を呼び、そして何年も経った後で、語り継ぐでしょう。
『苦しくたってあきらめちゃいけない』と教えてくれたヒーローがいたことを。
誰の心の中にもヒーローがいるから正直に生きられる。
強くなれるし、気高くもなれる。そして最後には誇りを抱いて死ねる。



これがヒーローの生き様、ヒーローの存在意義だ。
ワイルドタイガーは、あの世界の中においても、この心を捨てていないヒーローなのだ(二話には『スパイダーマン』へのオマージュもある)

一話から面白かったものの、これを二話にして描いてくれた時点で、いよいよ期待は高まった。
バーナビーは、恐らく復讐心を抱いたヒーローで、その故に本名で行動していると思われる。
しかし『キック・アス』感想 でも書いたように、復讐者はヒーローではない
きっとバーナビーはケンカしながらもワイルドタイガーに触発されて、
真のヒーローの何たるかを知っていくはずだ。

そう考えると、楽しみで毎週が待ち遠しくなっちゃうよ。