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目標

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行けると思うか

遠くて無理だと思うか

それを決めるのは自分自身だ。

自浄作用

病気で寝込むということは、一端リセットされるということである。

やばいなあと思いつつ、日常はどんどん過ぎて行くわけで、

止めようにも止められぬまま、時間が経過していく。

ここで方向転換しようとしても、なかなかうまくいかないものだ。

そういう時に、半ば強引に止められるのが、病気である。

死に至るような病気は別だけれど、

やがて回復する病気はそういう自浄作用のような役割を持っている。

そうやって、うまくリセットすることで、

結果的には延命しているのだと思う。

当たり前のことが、実は当たり前ではないということを、病に伏すと思い出す。

ついさっきまで普通に歩けていたことが、実は奇跡的なことだったりする。

そういうことにハッと気付くと、生きている事は面白いと思う。

こうやって回復してまた動けるようになると、チャンスをもらったのだと思う。

これからいくつかやりたいことがある。

こういう風に生きようというのを、まとめているところだ。

いくつになってもやり直せるが、今はやり直しという気持ちは無い。

今まで積み重ねて来たものの上に、今までよりも良いものを積み重ねていくつもりである。

リハーサルスタジオに入る

高音がまったく出なかった。

まあ、こんなものだろうと思った。

ギターはガンガン鳴ってくれた。

エピフォン・カジノ。

今も、これからもずっと、僕の相棒である。

このギターが、僕の一番の理解者かもしれない。

新曲が良かった。

うまくいきそうだ。

バンドの調子がずっと良いから、

曲を書くのも楽になった。

無理せず書けるようになった。

もうこんなおじさんになってナンだけれど、

今やっと、やりたいことをやれるようになっている。

楽しい。

嬉しい。

こうして演奏できることに、感謝。

身体が動くこと。

まだ、作れること。

また続きから、始めさせてもらいましょう。

うまくいかなかったら

仕事をするのはキツかった。

机に向かってPCでする仕事とは言え、咳も出て、息もあがる。

呼吸が苦しいから肩や背中も張り、ガチガチになった。

どうやら大丈夫そうだとなったのは、今日の朝だった。

気道の炎症がだいぶ落ち着いた。

病院で聴診器を当てて見てもらった。

喘鳴はほぼ、無くなっていた。

20代後半の頃、一度喘息の大発作で死にかけた。

タンが詰まって、息が止まった。

こういう風にして死ぬんだねー、と思った。

こりゃイカン、と思い、半ばヤケクソか本能か、

逆立ちみたいな感じに頭を垂れたら、ゴロっとタンが出て来た。

呼吸ができるようになって、助かった、と思った。

あの時から、僕の人生は前後二つに分かれた。

それ以前と以後では、ずいぶん考え方が変わった。

あれからもう、10年くらい経っているんだということを、

今回の病気で休んでいる時、ふと気付いた。

この10年は、いったい何だったのだろうか。

僕は歩んだ道に自分の死体を積み重ねて、

もうこんなことは終わりにしたいと思い続けて来た。

今も、終わりにしたいとは思っているけれど、

もう少し淡々と事実を受け入れるようになった。

起きたことは起きたことだから変えられない。

ここから、どうするか。何をするか。

反省は今日の後悔のためではない。明日の改善のためにある。

今日のひとつの変化が、明日の改善につながるのである。

今、変えられること。今止められること。そして、今やれること。

それをひとつから、始めること。

今日の自分と、明日の自分は違う。

そのことを、病気は教えてくれる。

昨日より、今日の方が、深く息を吸える。

その時、人は毎日違う自分になるのだということを感じる。

そうであるなら、より納得できる自分に明日会うために、

今日を変え続けるしかない。

生きている限り、途中経過なのである。

また息が吸えるということは、続きを始めて良いということだろう。

僕は自分を、幸運だと思う。

浮き沈み。

身体が動くというのはやっぱりありがたいことですね。

息がすぐあがってしまい、思うように動かない状態だと、

そのことをすごく感じます。

働けるって、嬉しいことだなあと思って。

PCも、これはありがたいなと思いました。

歌とか、身体が動かないとどうしようも無いですから。

でも、WEBは多少息が上がっていても、書けますからね。

もちろん、ほんとに重度の喘息発作があれば、

書くのも不可能ですが、

多少、座ってられる程度なら、書けるわけです。

これはありがたいなあ、と思いました。

今は表現できる場も増えています。

だけど、表現全体の質があがっているわけでは無いんですね。

こうやって今、手段があるということは両面あって、

いい面もあるけど、悪い面もある。

ここをどうやって生かすか。

もう一度、トライしていこうと思います。

浮いている時間があるのかいまいちわからないですが、

人生浮き沈みですね。

浮いていても沈んでいても、

常に変化する余地があるということだと思います。