新稀少堂日記 -938ページ目

第55回「四国八十八ヶ所 十五番札所 国分寺(こくぶんじ)」



 第55回は、「四国八十八ヶ所 十五番札所 国分寺(こくぶんじ)」です。前の札所から、わずか1kmのところに、国分寺があります。


 聖武天皇は、全国各地に国分寺の建立を命じました。今では、曹洞宗のお寺となっています。境内には、遺構があり、発掘現場のような様相を示しています。 また、高知県の二十九番札所国分寺もまた、八十八ヶ所の一寺です。


 着きました時には、境内の隅で中学生が遊んでいるだけで、閑散としていました。しばらくすると、バス観光の数十人が入ってきましたので、急に境内は人ごみで溢れかえりました。こじんまりとしたお寺です。


 早々に、礼拝を切り上げ、次の札所に向かいます。2kmの距離です。


 

 

第54回「四国八十八ヶ所 十四番札所 常楽寺(じょうらくじ)」



 第54回は、「四国八十八ヶ所 十四番札所 常楽寺(じょうらくじ)」です。この寺には、山門も仁王門もありません。不思議なたたずまいです。寺の名称と十四番札所である旨の石柱があるのみです。向かって左側は、池となっています。沼と言った方がいいかもしれません。泉鏡花ワールドを想起させます・・・・。


 境内も広くはありません。しかし、落ち着きはあります。正午過ぎに着いたのですが、雨が降り始めました。雷鳴も轟きます。幸いにも、次の札所に向かう頃には、雨もあがりました。この常楽寺で、昨日(6月8日)、十二番札所で出会いました徒歩でのお遍路さんに再会しました。


 十七番札所まで、相前後して同行します。若干の会話で、「40歳であり、関東から来ている、25日で回るのが目標である」とのことです。私も、「57歳であり、分割して徒歩で回る、高松から来ている」との旨を伝えました。彼は、なかなかタフです。下りとか、平地では、走って距離を伸ばします !!!!


 この寺を出たあたりから、徳島市のシンボル的存在である「眉山」が見え始めます。四国の県庁所在地には、市内のどこからも見えるシンボルってあります。高知では高知城、松山では松山城、高松では屋島(または紫雲山)と言ったところでしょうか。当然建物により死角となる場合もありますが、少し移動すれば見えます。地理把握に便利な存在です。


 十三番札所から十七番札所の「五ヶ所」は、すべて徳島市内にあります。次第に県庁(またはJR徳島駅)へ近づいていきます。

第53回「月収20万円と、秋葉原通り魔事件と、後期高齢者」

 第53回は、「月収20万円と、秋葉原通り魔事件」です。この事件を知りましたのは、四国八十八ヶ所の十二番札所焼山寺から下って、やっとついた旅館のテレビでのニュース番組でした。午後七時のNHKのニュースでした。


 既に事件から五日経過していますので、詳細が次第に分ってきます。しかし、事件の本質は、初動の段階で報道された「月収20万円」にあるのではないでしょうか。加藤容疑者は、派遣社員として、収入は月20万円でした。身分は、保証されていず、その職すら、いつ解雇されてもおかしくない状況でした。


 5月23日の日記(第26回)で、『・・・・辛坊治郎氏が「ニュースの要」で、75歳から80歳の老人たち(後期高齢者)の年金受領額について、取り上げていました。

 年間受領額が500万円以上の人たちが5%、300万円以上の人たちが55%、100万円以下の人たちが5%との分布になっているとの説明をしていました。私のサラリーマン経験からしまして、妥当な数字かと思います(100万円以下はもっと多いように思えますが)。支給額は、年金をはじめて受領する段階で決定されます。事情の変更で、減額されることはありません。いわば「既得権」です・・・・』と書いています。


加藤容疑者のここ数年の平均年収は、200万円に満たないと思われます。一方、後期高齢者の年金は、55%の人々が300万円を超えています。加藤容疑者の年収以上の年金を受領している人は、約70%はいるのではないでしょうか。


 現在の年金は、確定拠出型ですので、現役世代が支払わなければ成り立ちません。既に後期高齢者の受領した年金額は、彼らの現役時代に支払った金額の数倍に達しています。そんな彼らが、後期高齢者保健制度に対し、一円たりと支払わない、天引きさせないと主張する姿勢に、醜い老人の姿しか見えません。


 加藤容疑者の犯行は、是認できるものではありません。意味なく未来を奪われた被害者には、ただ冥福を祈ることしかできません。しかし、経済的には、数百万人の若者が同様の事態におかれているかと思います。10万人あたり、仮に100人が事件を模倣することを考えたら・・・・。そして、その100人のうち、たった一人でも事件を実行したら・・・。数十件の同種犯罪が起こりえます。


 実際、今年に入ってからも、土浦市の通り魔事件(金川容疑者)とか、岡山駅の突き落とし事件(少年)が、発生しています。犯人にしろ、通常の若者(10万人中の99,900人)にしろ、後期高齢者がどれほどの年金をもらっているかについては、ほとんど知らないと思います。しかし、彼らの潜在意識は、「どこか、社会のあり方がおかしい」と気付いていると思います。


 関西弁でいう「欲ドシイ」醜悪な老人たちが、より醜悪な「団塊世代」を産み育て、さらに「団塊ジュニア」を産み出して行く・・・・。負のスパイラルです。今後も、同種犯罪、模倣犯の発生が危惧されます。そして、政治は無力です。民主党は、自ら提出した法案(「後期高齢者保険制度廃止法案」)の審議すら、拒否しています・・・。

第52回「これがボクシングだ、ダブル・タイトルマッチ」

 本日、日本テレビ系列で、ダブル・タイトルマッチが放送されました。通常ダブル・タイトルマッチは、凡庸な試合が多いのですが、今日の試合は、いずれもKO(正確にはTKOですが)で決まる、痛快なファイトでした。


 スーパーフェザー級チャンピオン・バレロ(ベネズエラ)VSチャレンジャー嶋田雄大(ヨネクラ)は、7RD、バレロが嶋田からダウンを奪った段階で、審判が試合を止めました。バレロは、これまで、23戦23KO勝ちという驚異的な戦績の猛者でした。一方の嶋田選手は、36歳のチャレンジャーという、応援したくなる選手でした。残念ながら、TKO負けとは言え、御苦労様でした。


 次の試合は、バンタム級チャンピオン長谷川穂積(真正)VSチャレンジャー・ファッシオ(ベネズエラ)戦です。長谷川チャンピオンは、6度目の防衛線です。試合は、2RD、長谷川選手が挑戦者に二度目のダウンを奪った段階で、審判が試合を止めました。最近の日本人チャンピオンで、こんな痛快な勝ち方は見たことがありません。


 亀田兄弟は、現在メキシコで修行中のようですが、試合レベルを今夜のダブル・タイトルマッチまで、引き上げてもらいたいものです。ボクサーのパフォーマンスは、KO勝ちで、はかられるものです。最近の数試合につきましては、見ていまして、凡戦です。勝てばいいというものではありません。試合内容です。

 

第51回「四国八十八ヶ所 十三番札所 大日寺(だいにちじ)」



 第51回は、「四国八十八ヶ所 十三番札所 大日寺(だいにちじ)」です。午前11時過ぎに着きました。片側一車線の国道をはさんで、一宮神社と向かい合った形で建っています。こじんまりとした境内です。参拝者は私一人だけですので、落ち着いた雰囲気の中、「空」の認識世界に埋没していく自己を感じます・・・・。


 ガイドブックによれば、奥の院もあるそうです。境内が狭いのも納得がいきます。5kmほど離れた建治寺がそうですが、八十八ヶ所のルートには入っていませんので、今回はパスします。


 「五ヶ所まいり」の始まりです。次の札所までは、3km程度です。徳島市内に流れる川としては、吉野川が有名ですし大河ですが、鮎喰川も決して小さな川ではありません。十四番札所常楽寺への遍路道は、鮎喰川を北岸へとわたって行きます。


 遍路道の標識につきましては、今まで随所にあり、分岐点につきましては、必ずありました。その数が、少なくなってきたというのが実感です。しかし、地元の人に聞きますと、親切に教えてくれます。


(写真)一宮神社の敷地内からの撮影です。一宮神社は、阿波の総鎮守だったそうです。由緒ある神社です。


 

第50回「四国八十八ヶ所 遍路、点と線 その2(五ヶ所まいり)」



 第50回は、「四国八十八ヶ所 遍路、点と線 その2(五ヶ所まいり)」です。十二番札所から十三番までは、25km前後あります。これまでで、最大の移動距離です。これ以降では30km程度の移動は、随分ありますが、最初だけにかなり堪えます。昨日のダメージも残っています・・・。


 6月9日(月)、昨日お世話になった旅館で朝食をとった後、六時半過ぎには出発しました。随所に十三番までの距離と、既に参拝を終えた十二番までの距離が表示された旧建設省などの標識があります。加算しますと、札所間の距離となりますが、表示が随所で異なります。


 最短は21km、最長は29km。ですが、表示を見ますと安心感は出てきます。旅館を出まして一時間ほどは、森林の中を通る舗装道路です。森林のにおいが、強く感じられます。ずっと下りです。右膝に痛みを感じていますので、左脚に負担がかかっています・・・・。


 七時半過ぎ、神山町の中心地を通り抜けます。自転車通学の中学生・高校生が、「おはようございます」と、あいさつをかけてきます。学校・家庭教育によるものでしょうか。ジャケット・ネクタイに革靴のスタイルですので、どう見ましてもお遍路には見えないと思います。しかし、普段見かけない人が、遍路道を歩いているためでしょうか。


 これからは、遍路道というよりも、県道ルートを取りますので、いくつも移動ルートがあります。私は、「大桜トンネル越え」ルートをとることにしました。若干ショート・カットになると思います。このルートも、森林の中を下り続けるルートです。大桜(おざくら?)トンネルを抜けると、十三番札所大日寺まで約5kmです。


 大桜トンネルは、「天城越え」を想起させるようなトンネルです。何か、感じさせてくれます。そんなことを考えながら、トンネルを歩いていますと、後からトラックがやってきました。少しよけますと、そこはヘドロだらけの側溝でした。すぐに足を上げましたが、靴はヘドロだらけです・・・・。昨日の山道でも、靴を汚すことはなかったのですが。


 さらに歩いていますと、自転車に乗った老人が話しかけてきます。お遍路である旨を伝えますと、十分ほど立ち話をしました。御老人も、二度ほど徒歩での遍路体験があるそうです。そこで出ました話題が、「五ヶ所まいり」です。十三番札所までの距離は長いのですが、十三番から十七番までの五寺は近接しています。


 地元の人たちは、お大師さん(空海)の功徳を、「五ヶ所まいり」として体感しているようです。長くても3kmですので、小学生・老人の足でもさほどの負担になりません。私も、五ヶ所が近接していることは励みになります。あと、大日寺までわずかです。


(写真)正面中央が、大桜トンネルの入口ですです。手前を左折しますと、神山森林公園です。

第49回「四国八十八ヶ所 十二番札所 焼山寺(しょうさんじ)」



 第49回は、「四国八十八ヶ所 十二番札所 焼山寺(しょうさんじ)」です。12kmの遍路道も、あと2kmです。さらに、さらに登りが続きます。沢筋を下に見ながら、登り続けます。疲れはてています。休んでいますと、ひとりのお遍路さんがやってきます。わずかな会話の後、先に行ってもらいました。


 疲れた脚にムチ打ち、登り続けますと、急に視界が開けてきました。自動車道に出たのです。後は楽です。500mほどは未舗装ですが、右手に石灯籠の連なりが見えてきます。参道になっています。一間(1.8m)程度の間隔で、並んでいます。最近作られたものです。奉献者の住所と名前が記されています。全国各地にわたっています・・・。


 境内は、近代的です。雰囲気は、寺と言うよりも、神社に近いものが感じられます。午後五時を回っていますので、事務所などは閉め切っています。事前に電話をかけていたのですが、担当者不在と言うことで、宿坊の宿泊は断られました。


 早々に、参拝を終え、下りにかかります。これまでに、下りも随分あったのですが、かなり登ってきたようです。途中で出会いましたお遍路さんは、10kmほど離れた旅館を予約しているそうです。私は、県道沿いの民宿・旅館を見つけるべく、当ての無い歩行を続けます・・・・。


 山道ですので、曲がりくねった県道です。遍路道はショートカットする形で、何箇所かあります。一時間強歩いたところで、集落に出ました。おばちゃんと眼が合います。近くに旅館なり、民宿はないかと聞きますと、近くにあるとのことです。


 六時半を回っていますが、御主人に頼みますと、OKとのことです。助かりました。山間部ですので、日も暮れるのが早いのです。当然夕食は無理ですが、朝食は六時半に用意してくれるとのことです。七時前には、出発できます。十三番札所までは、25kmから30kmほどあります。


 部屋のテレビをつけますと、秋葉原の通り魔事件が報じられています・・・。これにつきましては、別途書きます。

第48回「四国八十八ヶ所 遍路、点と線 その1(遍路殺し)」

 第48回は、「四国八十八ヶ所 遍路、点と線 その1(遍路殺し)」です。四国八十八箇所の成立時期を何時に求めるかとすれば、江戸期と見るべきではないかと思います。それ以前にも、当然修験道としての修行の場であったと思います。


 当時のイメージを色濃く残しているのが、十二番札所焼山寺に至る遍路道です。お遍路さんが着る白装束は、死装束です。道中、斃れるとも良しとする考えです。焼山寺の御詠歌が、この道の過酷さを物語っています。「後の世を思えば恭敬焼山寺 死出や三途の難所あるとも」


 私自身、三途の川とか冥土を、この遍路道に見出すことはありませんが、過酷であることには異論がありません。一端、山中に入りましたら、12kmを突っきらなければなりません。アップダウンの連続です。江戸期の遍路は、不治の病の平癒を願った人も多いと思います。実際、このルートで命を縮めた人は、数多くいたと思います。


 第一番から十番までは、札所間の間隔は短く容易に回れます。最初から移動距離が長ければ、チャレンジしようとする人は、最初から出鼻を挫かれると思います。そこで、意図的に過酷なルートを、ここに持ってきたのではないでしょうか。「気を引き締めよ、心して修行に励め」との叱咤かと思います。


 道は、登山での尾根道を想像していただければ、御理解できると思います。踏み跡と、ステップを切った階段状の山道の連続です。最初の5kmは、激しい登りの連続です。実感としてピークから約半分ほど下ったところで、林道様の道路に出会います。このあたりまでは、さほどの疲れは感じません。


 そして、道を横切り、即登りとなります。次の舗装道路までも、約5kmです。やはり、最初は登りです。次第に息が切れてきます・・・・。登っても登っても、ピークは来ません。苛立ちと疲労感が募ってきます。そして、下りに差し掛かった頃には、膝の痛みを感じ始めました(最初の下りが、膝に負担をかけているものと思います)。


 なだらかな下りを進みますと、里に出ます。あと2kmです。ですが、これで終わった訳ではありません。最後の試練が待っています・・・・。宿泊施設は、焼山寺の宿坊以外では、かなり離れています。


 この遍路道は、「遍路殺し」と呼ばれています。後の行程にも、ダメージを残します。ピッタリの名前です。


 

第47回「四国八十八ヶ所 十一番札所 藤井寺(ふじいでら)」



 第47回は、「四国八十八ヶ所 十一番札所 藤井寺(ふじいでら)」です。6月8日(日)早朝、中断地点のJR徳島本線の駅に向かいました。十番から十一番の間は、約10kmですが、残りは3kmですので、比較的楽な気分で、藤井寺に着きました。


 落ち着いたひなびた寺です。懐の深い山岳のふもとにあります。八十八ヶ所の寺院は、ほとんど「××××じ」と寺を「じ」と読ませるのですが、藤井寺は、「てら」と読みます。落ち着きのある境内です。しかし、心は揺れています。


 八十八ヶ所の各寺院では、境内を出てすぐの場所に、前後の札所の行き先表示があります。藤井寺では、次の札所は、境内の中からが出発点です。自動車でしたら、40kmほどの迂回ルートを取るのですが、旧遍路道ルートでは、約12kmです。


 現在の遍路道は、ショートカット・コースか、国道・県道などを避けて脇道を通るパターンが多いと思います。十二番札所への遍路道は、四国八十八ヶ所成立時のイメージが色濃く残っていると思います。苦難の道です。

第46回「ホーキング、宇宙を語る」(啓蒙書)



 第46回は、「ホーキング、宇宙を語る」(啓蒙書)です。話すことも、自ら歩くことも不可能な物理学者が書いた、宇宙についてのお話です。


 ブラックホールは、なぜその存在が分るのか。巨大な質量を持つ宇宙は、どうして圧潰しないのか。宇宙は、膨張し続けるのか。ビッグバーン以前の世界は  ?????


マクロの世界「宇宙」について、1989年当時分っていたことをホーキング流に書いています。とかく、仮説だらけの世界です。一方、量子論をはじめ、ミクロ世界の物理学は、ほぼ解明されたと思います。しかし、分子生物学の世界は、端緒についたばかりです。


 韓国の学者が発見したとされるES細胞は、データの偽造があったことが分りました。そして、iPS細胞につきましては、特許問題は別にしまして、京都大学の山中教授が先鞭をつけました・・・・。


 しかし、大脳生理学の分野では、分らないことだらけです。夢はなぜみるのか。神経伝達物資の解明も、この十年ほどの間に、二転三転したようです。一方、天才アインシュタインも、「アインシュタイン係数」をめぐり、生涯にわたり、その意見を変えました・・・。宇宙の組成も、定説はありません。


 生きている間に、宇宙と、ミクロ・マクロ世界を認識する大脳の機能について、解明が進むことを期待します。ですが、十年・二十年のスパンでは、ほとんど解明されないのではないでしょうか。