新稀少堂日記 -939ページ目

第45回「4400 フォーティ・フォー・ハンドレッド 第3シーズン」(ドラマ)



 第45回は、「4400 フォーティ・フォー・ハンドレッド 第3シーズン」(ドラマ)です。不思議な魅力に満ちた思考実験ドラマです。


 過去60年間に世界各地で失踪した4,400人が、彗星の現れた夜、突然一挙に戻ってきます。彼らは、その間の記憶を持たず、年もとっていなかった・・・。徐々に、彼らの一部に、各種の特殊能力が発現し始めます。それが、自らの破滅の原因になることもあれば、他人を救済することも・・・。


 しかし、彼らがどこから戻ってきたのが判明します。外宇宙ではなく、未来からだった。未来人は、破滅から回避するために、4,400人を過去から連れてきて、ある処理を施した上、元の時代に戻した。その処置とは、抗生物質を投与することです。これが、超能力の発現した理由だった・・・・。第2シーズンまでのストーリーです。


 4400解明のキーとなるリリーは、失踪前には妊娠しなかったのですが、戻って来た時には、妊娠していました。彼女は、間もなくイザベルを産みます。赤ちゃんでありながら、数々の奇跡を起こします。神の子か、それとも、悪魔の子か。その彼女が一瞬にして、成人女性となります。それと連動するかのように、リリーは50歳も一挙に年をとっています・・・。


 先の読めない展開です。第3シーズンは全12話ですが、これまでの主人公のリリーは、老齢の中、死んでいきます・・・・。政府は次第に4400に危機を感じ始めます。そのため、4400の一部は、テロリストと化していきます。4400のメンバー同士も、一枚岩ではありません。ストーリーは、どう展開していくのでしょうか。御自分の眼で御確認下さい。過去に例のないドラマです。

第44回「橋下改革と、役人のいじましさ」(時事問題)

 第44回は、「橋下改革と、役人のいじましさ」(時事問題)です。第28回の日記で、橋下改革につきまして、次のように書きました。「・・・・橋下知事の削減試案は、決して過激ではありません。負債の平均利息が2%としても、利払いだけで年間1,000億円必要です。・・・・・」


 今日、読売テレビ製作の「ミヤネ屋」で、橋下知事の府民へのメッセージを生中継していました。関東地区では、一時間ほどしか放送していませんので、ニュースでしか見られなかったと思います。


 1,100億円の削減は、「出血をとめる」という目的であり、5兆円にのぼる負債の削減にまではいかないとの認識を示しました。一方、府知事に対する抵抗勢力の代表は、府の職員であり、職員の利益代表であり、補助金を当てにしている市町村長であり、府議会の議員かと思います。


 大阪市長は、7億円の裏金を認め、3億円の返済する方向で考えている旨、表明しました。4億円につきましては、不問に付すとの表明でもあります。70数億円の補助金カットを、府知事が提案した訳ですが、補助金カットの先頭に立っている大阪市は、裏金問題に明確な、市民の納得のいく解決案を提示するべきです。


 府知事に反論していた教師も、専従の組合幹部も、テレビに映る限り、いじましさしか感じられません。さらに、長妻議員は、国家公務員のタクシー利用に当たり、ビール・つまみの提供とか、金券の供与を告発しています。長妻議員といえば、ミスター年金です。


 しかし、民主党代表の小沢氏が主張していた「国民年金(基礎年金)の全額税負担」は、あくまで弱者救済だけであり、国民全員に拡げるものではないと、主張しています。昨年の参院選挙での主張と、微妙に異なる発言です。年金の明確なビジョンを提示するのが、民主党に対する期待です。財務省役人(他の省庁の役人も同じでしょう)のいじましいビールたかりを追求することは、些事に属することです。


 財務省役人及び家族が、ご近所さんに肩身の狭い思いをするのは、稀なことではありません。奥さん、お子さん、お父さんのいじましさに負けないで下さい。普通のお父さんであれば、恥ずかしさで一杯のはずですが、そこがお役人です・・・・・。何度も繰り返します。

第43回「家畜人ヤプー」(小説)



 第43回は、「家畜人ヤプー」(小説)です。ブログディンナムとか、フウイヌムという固有名詞を聞きまして、すぐ分る人は少ないと思います。「ガリヴァー旅行記」に登場する国名です。有名なところでは、リリパット(小人国)とか、ラピュタですが、後者は宮崎駿監督の「天空の城 ラピュタ」として広く知られています・・・・。


 プロデグディンナムは、巨人国です。そして、馬が支配する国がフウイヌムです。支配されるのは、卑しい人間であるヤフーです。


 「家畜人ヤプー」が書かれましたのは、進駐軍支配の傷がいえていない頃です。白人へのコンプレックスが残っています。それが、結晶しましたのが、この作品です。当初発表されましたのは、SM雑誌のようです。単行本化されましたのは、1970年です。当時、覆面作家であった沼正三氏は、三島由紀夫氏ではないのかとの憶測が流れていました。


 主人公の麟一郎は、恋人のクララとUFOと遭遇します。その空飛ぶ円盤は、宇宙帝国「イース」のものでした。イースは、女権が優位な帝国であり、共通言語は英語。日本人は、家畜となっています。両脚羊(食材としての人間)としてだけでなく、改造され生体家具としても使われていた・・・・。


 麟一郎とクララは、帝国へと連れて行かれます。麟一郎に待ち受けるおぞましい運命とは、・・・・。この小説の面白さは、イースで使われる多くの普通名詞が、日本語を語源にしているところです。強引な牽強付会(こじつけ)には笑えますが、日本語に対する知識・ユーモアには、感動さえ感じます・・・・。


 究極のコンプレックス小説であり、M小説ですが、作者の知的側面に驚嘆させられる作品でもあります。それが、三島由紀夫氏が著者ではないかとの憶測を呼んだ一因かと思います。

第42回「アダムスフアミリー2」(映画)



 第42回は、「アダムスフアミリー2」(映画)です。優れた本とは、どのような本でしょうか。私の定義は、何度読み直しても、飽きることなく、何年に一度は必ず再読する本です。では、優れた映画とは、・・・・。何度観直しても、感動とか、面白さを感じる映画だと思っています。


 本にしろ、映画にしろ、評論家の批評とか、賞を受賞したとか、販売部数(または観客動員数)などに、とかく影響されやすいものです。やはり、自分の眼を信じられないことには。さびしいものがあります。


 また、媒体としてのDVDにしろ、本にしろ、優れた作品の中に、廃盤・廃版作品が随分多いのです。このアダムスファミリーのPART1は、随分前に廃盤となっています。傑作コメディです。ベースはホラーですが、コメディの要素が大きく上回っています。家族で観ましても十分楽しめます。


 PART2では、アダムス家に赤ちゃんが生まれます。お姉さん(クリスティーナ・リッチ)とお兄ちゃんは、赤ちゃんを邪魔者扱いします。ついに、サマー・キャンプに出されます・・・・。


 アメリカ人の好きなサマー・キャンプの陽気さ。日本人には付いていけないノリです。極めて不自然なノリです。この映画は、その点を突いています。ああいう健全性って、どこか変だ・・・。アダムス家の子ども2人は、サマー・キャンプについていけません。そして、こわいこわい2人の逆襲が始まります・・・・。笑えます。


 しかし、家では大事件が、・・・・。という展開です。公開当時、驚愕のストーリーでした。PART3以降も制作されても不思議でない作品だけに、二作で打ち切られたのが残念です。ツイン・パック販売を企画して欲しい映画です。

 


第41回「四国八十八ヶ所 吉野川北岸から南岸へ」

 第41回は、「四国八十八ヶ所 吉野川北岸から南岸へ」です。一番札所から十番札所までは、吉野川北岸に位置します。十一番から十七番までは、吉野川の南岸に配置されています。十番札所の切幡寺を出発し、吉野川を横断するのが目的です。そして、十一番札所に近いところで、JRに乗り徳島経由で帰る予定です。


 吉野川に至るまでは水田地帯と市街地です。遍路道は市街を曲がりながら続いています。しかし、随所に遍路道の表示が出ていますので、道に迷うことはありません。やがて、高い堤防に突き当たります。階段を上り、そして下りますと、やがて潜水橋(沈下橋)が見えてきます。橋を渡りますと、そこは大きな島と言っていいほどの中洲となっています。農地が広がっています。


 舗装された道を歩き続けます。足の筋肉に、ハリを感じます。座って休める箇所もありませんので、歩き続けます。そして、さらなる潜水橋が見えてきます。結構長い橋です。水量も豊富ですし、流れも速いようです。そして、再度堤防を上がりますと、吉野川の南岸です。


 最寄りのJRに行きます。次回再開の場所は、この駅からです。6月6日(金)か、7日(土)を予定しています。十二番への道、さらに十三番、お遍路にとって、最初に出会う辛いルートです・・・・。

第40回「四国八十八ヶ所 十番札所 切幡寺(きりはたじ)」



 第40回は、「四国八十八ヶ所 十番札所 切幡寺(きりはたじ)」です。4kmほど歩くと、札所の門前町にたどり着きます。道は登りとなっています。数件の旅館・民宿が並んでいます。更に登り続けますと、徳島自動車道の高架の下をくぐります。更に登り続けます。何時しか、高架より高い位置に来ていることに気付きます。


 自動車の退避カ箇所となっている木陰で一服します。汗が引いていくのが感じられます。わずかに歩きますと、札所の山門が見えます。一対の仁王像が出入り口の両側に建っています。門は新しく改修されたようです。


 境内を奥に向かって歩きますと、階段に突き当たります。333段と表示されています・・・・。これが辛いのです。既に随分歩いてきましたので、堪(こた)えるのです。踊り場で一度立ち止まった後、さらに登り続けます。本堂のエリアにたどり着きます。


 乗用車なら、ここまで来られますが、バスは無理なようです。ただ、傾斜はかなりあるようです。般若心経を読経していますと、50人ほどの団体が階段を下りてきます。大塔が更に上にあるのです。グループの方がおりきるのを待って、大塔に向かって登りました(段数としてはわずかです)。


 ここまでの登りが、よく分ります。吉野川とそれに連なる平野が一望できます。連続して、お遍路するのであれば、門前の旅館に一泊すると思いますが、今回は十番札所までと考えていましたので、さらに歩きます。十一番札所まで10kmです。十一番までは行きませんが、次回のため極力近づいておきたいからです。

第39回「四国八十八ヶ所 九番札所 法輪寺(ほうりんじ)」



 第39回は、「四国八十八ヶ所 九番札所 法輪寺(ほうりんじ)」です。八番札所から3km歩きますと、法輪寺です。既に一台の観光バスが止まっています。本堂前で、引率する僧侶の先導で、一団のグループが般若心経を唱和しています。個人で来ている方は十人程度でしょうか。


 人が少なくなるまで、門前の茶店でかき氷を食べました・・・・。暑さが癒されます。札所間の距離を表示している地図があります。十番から十一番札所まで10km、十一番から十二番札所まで約30km、十二番から十三番まで32km。十番札所から十三番札所までが、八十八ヶ所めぐりの最初の難関であることが明示されています。


 気を取り直し、般若心経を読経し、山門を出ました・・・・。暑さには若干慣れましたが、脚に疲れを感じ始めてます。田植えの終わった水田を横目に、日光をさえぎるものの無い道を歩きます。


 「生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで死の終わりに冥し(くらし)」とは、空海の死に臨んでの言葉だそうです。究極の自殺である「即身成仏」された大師のお言葉としては、意外です・・・。真言密教に、人生を捧げつくした大師の実感でしょうか。

第38回「四国八十八ヶ所 八番札所 熊谷寺(くまたにじ)」



 第38回は、「四国八十八ヶ所 八番札所 熊谷寺(くまたにじ)」です。前の札所から、4kmです。出発しましたのは、午前11時です。遍路道は、徳島自動車道(高速道路)と並行しつつ、続いています。この近辺は、御所カントリーとか、Jクラシックとか、四国の名門ゴルフ場があります。


 熱中症対策として、御所温泉で、アイスクリームとペットボトル入りのお茶を買い、30分ほど休憩しました。ベンチに座って、アイスクリームを食べていますと、何組かの徒歩でのお遍路さんが通り過ぎて行きます・・・・。気を取り直して、歩きますと八番札所熊谷寺です。「くまがい」ではなく、「くまたに」です(写真は多宝塔です)。


 境内は比較的広く、スピーカーで御詠歌が流れています。森の一部として、境内があるというのが実感です。暑いのですが、昨日ほどのダメージはありません。ただ、右足にマメができています。とりあえずつぶして、バンドエイドを貼っておきました。ただ、次第に脚に痛みを感じつつあります・・・・。


 「摂取不捨の御誓願を信じ、同行二人の信仰に励む」は、三信条の一つですが、私自身には程遠い信条かと思います。ですが、遍路の道は続きます・・・・。


 

第37回「四国八十八ヶ所 七番札所 十楽寺(じゅうらくじ)」



 第37回は、「四国八十八ヶ所 七番札所 十楽寺(じゅうらくじ)」です。前の札所からは、1kmですので、なんなく、たどり着きます。


 霊山、極楽、金泉、大日、地蔵、安楽、十楽と続きますと、日常会話ではヒイテしまいますが、寺院の名前であれば、ナルホドと思います。ありがたい名詞の連続です。写真に撮りますと、山門の構えが、六番札所に似ています。一礼し、境内に入ります。


 「名は体を現す」と言われます。十楽寺の名のとおり、十の楽しみ(御利益)を体現する寺かと思います。境内には、やはり「地蔵」と「水子地蔵」が奉(まつ)られています。人の業でしょうか・・・・。


 般若心経を読経し、次の札所まで4km。次第に暑くなりますが、暑さには慣れつつあります・・・。

第36回「四国八十八ヶ所 六番札所 安楽寺(あんらくじ)」

 第36回は、「四国八十八ヶ所 六番札所 安楽寺(あんらくじ)」です。5月27日(火)8時過ぎ、ホテルをチェックアウトしました。昨日、路線バスで徳島に向かいましたが、そのバス停が目的地です。バスは、四番、五番札所の前を通過します。昨日のおさらいのようで、懐かしさを感じます。


 降りたバス停から、2kmほどで安楽寺です。宿坊もあり、寺ではありますが、近代性を感じます。本尊は薬師如来です。午前10時頃ですので、清涼さを感じながら、般若心経を読経します。昨日はほとんど見かけなかった数人のお遍路さんがいます。


 「・・・五蘊はみな空と照見し、一切の苦厄を度す・・・」。五蘊とは、後に出てくる「色受想行識」です。代表として「色」をあげ、「色即是空 空即是色」とつながり、「受想行識」もまた、かくの如し。と、続いていきます・・・・。


 このあたりから、徒歩で遍路している人をちらほら見かけるようになります。暑くなる前に、七番札所に向かいました。