しちにんブログのブログ -352ページ目

ずっと反省会

妹がご飯作ってくれるのをワンワン言いながら待機していた、というのは、つまり台所が塞がっているという事なので、台所の作業定員は一人なので、私はつまみのないまま酒を飲んでいたのである
これは断固反対すべき不当な扱いであって、これに異議申し立てをする基本的人権は保証されているわけである
tabun
私はかわきもんで酒を飲まされるのはごめんなので、なんか調理に使うらしい鰹節をパクって、唐辛子をかけて、醤油をかけて、なんか薬味だかご飯にかけるのだかよくわからんものの塩気をあてて酒で麻痺した舌の感じをじりじりとやり過ごしていた。



なんかあれよね、「魚はあぶったイカで良い」って贅沢だなと子供心に私は思っていまして
骨の髄までバブル経済に腐された一部の女性が「結婚相手の最低年収は1000万~」とか言ってるのを各まとめサイトなんかで見ていたりしますとね、こうして八代亜紀の歌唱であるとかを思い出したりして、ああ価値観の違いというのを思ったり、ああ結婚と言うのも一つの売春稼業なのかとか古くさい事を考えてしまったり、発言小町とか読んでると体調がどんどん悪くなるので、もうね、どういったら良いかわかんないですけどね、私が産まれたのは海のない栃木と群馬の県境でね、海産物と言うものに我々は異常な執着と憧れとを抱いて育っていたのですよ。
どら猫の真似をして冷凍の魚を銜え、凍てつく冬の廊下をひた歩きよく乳母に叱られたものだったね。
捨てた故郷と 手酌酒。
恋と手首の 刀傷。



(~~~~イントロ~~~~)



もっと早く更新しようと思ったのに、「デカワンコ」の多部美華子ちゃんが可愛すぎて意識を失っていたのと、なんか家族全員デカワンコにはまりすぎてかーちゃんに前髪を超短くされて、気が変わってIEとか言う化石なんか使うからブラウザバックで全部書き込みが消えたりして泣いた、とりあえず今日中に更新するために焦って考える、話が途中になったらそのまま更新する、桔梗トローチをとるために二階に行く事も我慢してとりあえず急いで書きますけど、先ごろ一周したしちにんブログ(仮?)を読んでみたら、週末が近づくと同時にどうも話題が下半身に向かっていくということがわかりました。


さしたる必然性もなく若干連合弛緩ぎみな”「まんこ」ツイート”を密かに発するぴすどりさんの金曜日、経血と排卵のガトリングを呪詛のごとく繰り返すわたくしikagaの土曜日、なんかよくわかんないけど後門に異常な粘着を見せたガハクたんさん?の日曜日(アナニー、じゃなくてオニーサンのご成婚おめでとうございます)、といった下半身に隙のないフォーメーション。改めて、ぴすどり編集長の敏腕さに舌をマキマキ、「週末に更新されるブログをチェックするやつなんか、どうせ彼氏彼女のいない根暗な変態マイノリティのアナニー豚だろ?」というような、編集長が匂わせる言外のメッセージがビシビシと子宮に来て、下のお口が汚れます。


せっかく?なので、まあ下半身のよしみと言ってみるとなんかひどいんですけどね、ガハクたんさん?と私が土日いっぱいを掛けてどこかに行って、 行き先と言うのは井の頭公園でボートに乗ったり漫画喫茶で一言も喋らずそれぞれの読みたいマンガをひたすら読んだりして、あと、マンボー?マンブー?でそれぞれ別の個室に入って、携帯メールで連絡とりながら同じエロ動画を見て一分(一日の差が一分)違いでレビューとか書いてみたらどうですかね、そういう出来事とかを書いてみたらどうですかね、どうですかって行っても意味わかんないと思うんですけどね、私ガハクたんさんとはお話ししたことも全くないんですけどね、明日の分も後ろの話ししてるかどうかもまだわかんないのと、あとこのまま皆が皆平穏無事にブログが更新されて行くっていう事が続くって言うのは私は全然信じてないので、この「7人の中で殺し合いをしてもらいます」とか言われて、いかにして曜日を取り合うかみたいなことになるかなとか思っています。あじゃあじゃあじゃあじゃ






ただの人間には興味ありません。

「戦闘破壊学園ダンゲロス」を読んだものは私のところに来なさい。


有難うございました。
 


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全略

夏コミの話

ぴすどりです。

先日、友人と組んで夏コミに申込んだ。
ファミレスで何時間も何の本を作るか会議した中で出たいくつかの秀逸なアイデア。
結果的にボツになったものをこの場で供養と称して紹介。

ブルボン擬人化(略してブル本)
アルフォートとかルマンドとかプチチョコチップとか。
個人的にはホワイトロリータが描きたかった。

調理法擬人化
焼く、炒める、煮る、茹でる、さばく等々。
ゆがくたん描きたかった。

風邪の症状擬人化
熱、悪寒、咳、喉のイガイガ、嘔吐等々。
全体的にダークな仕上がりになりそうで素敵。


どれも素晴らしいが、下2つは一発ギャグすぎるということで断念。
ブル本は機会があれば、といった感じ。

ちなみに、個人誌として「ビール擬人化本」は冬にでも作れたらいいなと思ってる。
デリリウムとインドの青鬼が描きたい。


余談だが、二人のユニット(?)名も会議した結果、「モノクロ女子高生」になった。二人の好きなもの(単語)をそれぞれ出してくっつけよう、というやりかたで出来た名前。ちなみに二人とも男。ボツになったのでは「てんぷらポトフ」が好きだった。

十二の鍵学2:十二の鍵

○ 十二の鍵
 十二の鍵は錬金術が目指す"完全な存在"を創作行為によって到達しようとするため錬金術師と名乗る。というのが前回の内容でした。今回は、「十二の鍵」とそれにまつわる設定について書きます。
 十二の鍵という聞きなれぬ、ミステリアスな単語は、「ドイツ・エルフルトのベネディクト会修道院長、医師、錬金術師である」(出典:wikipedia"アンチモン")バシリウス・ウァレンティウスの著書『十二の鍵』から取られています。当初は語感で決めた名前ですが、この名からは様々なインスピレーションを得ることとなりました。

 1 十二の鍵は十二人であるか
 作家個人の名前に十二という数字が入っているからか、「十二の鍵は十二人の人格の総称で、イベントに出たりネットに書き込みをしているのはそのうちの一人だ」という指摘もありますが、これは違います。僕は一人で十二の鍵です。ただし、僕を真っ二つにすると六の鍵が二人となり、三枚下ろしにすると四の鍵が三人となり、八つ裂きにすると一半の鍵が八人となります。

 2 鍵の一族
 本来は『十二の鍵』の著者バシリウス・ウァレンティウスが僕の父ということになりますが、「一族の息子には平方根がかかる」という掟があるため、僕の父は12の二乗、つまり「144の鍵」という名を持ちます。さらに僕の祖父は144の二乗、つまり「20736の鍵」という名を持ちます(初期は12^3=1728の鍵であるとされたが、最新の研究により誤りであると認められた)。鍵の一族は始祖(どれだけ偉大な数をもつ錬金術師だったかは定かではない)から連綿と"完全な存在"を目指し悪戦苦闘を続けてきたのです。
 また、十二の鍵の息子は「√12の鍵」となるが、これは無理数となり表すことができません。つまり、僕が鍵の一族最後の錬金術師となるのです。

 3 結婚相手
 錬金術的発想をもってすれば、僕の未来さえはっきりとわかります。錬金術のいう結婚とは、硫黄と水銀より完全な存在である「塩」を生成することです。硫黄、水銀、塩は物質そのものの事ではなく、暗喩のようです。
 そこで、十二の鍵=男性性=硫黄とするならば、水銀=女性性=十二の錠、という結婚相手が導きだされます。言うまでもなく、鍵は男性を、鍵穴である錠は女性を表しています。よって、僕の錬金術的結婚相手は「十二の錠」さんです。たぶん僕は彼女のことを「お錠さん」と呼ぶでしょう。
 さて、錬金術的結婚では硫黄と水銀の化学反応からまったく別物の塩ができます。それはつまり、僕と十二の錠が結婚すると、僕は十二の鍵とはまったく別物の存在(しかしそれは完全な存在)になってしまうということです。十二の錠が果たして異性の人間なのか、あるいは何かの隠喩であるのか、正体はわかりませんが、少なくとも僕とシンメトリーな関係であり、僕を錬金術から解き放ち、まったく別の存在へと至らしめるものであることは確かです。
 あるいはそれは、十二の鍵という「生」に対する「死」なのかもしれません。


 本日はここまで。また次回。
十二の鍵 12keys
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運営している会社、と言うか、アメーバブログでは、

利用者の日記記事に対して、特定の御題を出し、
その御題に回答する記述をしてくれた利用者に
一点から五点までの評価値を贈呈
評価値を貯めると、細やかな提供品だかなんだかと交換できる

という様な、試みを行っている模様です。

発想もやってる事も良いと思います
利用者側は日記を書く取っ掛かりになりますし
運営側は利用者が盛り上がってくれれば御の字な訳ですし。

ただ、その内容が粗雑と言うか御粗末と言うか。

《万人向けかつ気軽に参加してもらいたい》
という意向と
《この仕事に割ける労力は実際問題あまり多くない》
という実情が組み合わさった結果なのでしょうが、
まあ肝心の、御題となる文面の、やっつけ仕事ぶりたるや。
(あ、ブリタルヤって書くと外来語っぽい、洋食かな)。

こんな文面を恥かしげも無く公開する様な企画に
(実践日本語講座・【どの口が言うか】)
あまり参加したくないなあ
と思うものの、目の前にある機能は極力活用すべきです。
…てか、日記の編集機能欄にでかでかと鎮座しやがってんですよこの機能。

そこで血を吐く思い
(日常)
で、この企画に参加しようと思いましたが…
当方、携帯電話の送信で記事を書いているので
果たしてこの記事は、きちんと企画参加の手続きが取れているかどうか
甚だ怪しいところなのです。
まあ取れていなかった場合、
アメーバブログは当方から逃げた
という、悪質な断定と喧伝を行い、悦に入るから全く問題は有りません。
あっ、王様は裸だ。


それにしても、この評価値ってのも何だかなあって話で、
こんな御題文面を恥かしげも無く公開しちゃう人に
高い評価をされても低い評価をされてもそもそも評価される事自体
非常に違和感だらけで。
あえて言うなら最低の評価であって欲しいかなあ。
評価が高ければ高い程、かえって不名誉な気配が。

ああ、あと、沢山ある御題の中からどれを選ぶかですが、
とりあえず、
アメーバブログ外の生活情報記事会社から
という体を取っている御題を選んでみました。


御題は自分の髪型に満足しているかどうかだそうです。
自分の髪型、満足してる? ブログネタ: 分の髪型、満足してる? 参加中
って貼り付けないとならない模様で更に暗澹。

と、ようやく回答の冒頭に辿り着いた時点で、
既に千文字程度が経過してしまっていますが、
長く苦痛なこの文章、この後もまだまだ続いてしまいますよ。

もうすぐ終るって伏線じゃなくて、本当にまだまだ続いてしまいますよ。
(明確な悪意)。


そういや髪型の話でしたね。

満足もへったくれもない。
以上ですね。
さて御題への回答が済んだ所で長く苦痛な話の続きを。

長く苦痛と言えば、当方日記開始早々、ぴすどりさんから本気で不快がられてまして、
何しろ当方、こうした文面を見ても判る通り、ろくな事をしない。

ぴすどりさんから
『気楽に楽しい事がしたいから企画を立ち上げたんですよ』
と聞いて、《気楽に楽しい》の部分を目一杯の拡大解釈。
・気楽に楽しいのなら、他人が勝手に無茶しても一々気にしたりなんかしないよね・
と、思い込み、悪意の塊をぶつけ続ける有様。

わざわざこの七人日記に対抗して、もう一つ七人日記を立ち上げた挙句
『あちらの日記はこれだけの閲覧数でしたよ』
みたいな便りを毎日送り付けた結果
ぴすどりさんから
《最高に気持ち悪い》
と本気で怒られる始末。



ぴすどり選手権の、気持ち悪い王座を見事獲得したという訳ですね。
当方が一番で、王様なのです。
成程、そりゃ王様のやる事ですから、我慢するしかありませんよね。


まいったか。
そして弁償はせぬぞ。
(けんけん猫間軒 著・梶原あや)



とまあ、当人が面白味のつもりで行った事でも、
他人様には到底受け入れ難い内容であり、
結果として、両者の間へ更に深刻な亀裂が入るなんて事は
甚だ遺憾ながら世に溢れていますよね
(当方の次回作に御期待下さい)。

髪型なんかも似た様な点は多い筈、
例えば当方は単なる丸刈りなんですよ、簡単だから。安いから、
でもまあ、この丸刈りってのが、ままならぬもの。
安いから丸刈り→そのまま伸びる
って流れは、社会的にも美観的にも大変よろしくないものとされている御様子で
特に社会的には、・丸刈り・という時点で
髪型一つ気を遣っていない
とされてしまう模様。当方の場合よりによって正解だし。

その日を暮らすだけの事すら身に余るしままならない
なんて生活水準だと
まあ髪型なんて気にするより先にやる事があって当然。
生活水準がそれほど酷くなくても、
頭髪にかける労力と金銭を他に回せるに越した事はない
という判断自体は、別に間違ってない。
他に回した結果、問題が発生しないなら
頭髪なんて個人の自由でしょうし。
…ところがこれが実に頻繁に問題発生するとくる。

さっきから話してる、
他人様からどう思われるか
って点は元より、
自分自身の手にも余りがち。
先述した様に当方は丸刈りなんですが
自分で丸刈りすればロハだと考えて丸刈ってみたら
こいつがまた、
『髪の毛で結われた縄は忍び道具として高額取引される程の強度を持つ』
という、落第忍者乱太郎で仕入れた知識を
望んでもいないのに体感させる見事な頑丈ぶり。

時給換算したら絶対理容店の方が安いってくらいの時間と労力をかけて丸刈ってみたら
僅かに残った頭髪部分が
僅かにしか残ってない癖に、見事な塹壕風景(多分ノモンハン)を堂々の落成。

散髪を済ませた後に隣の居酒屋で一杯引っ掛けるくらいの時給換算をドブへ叩き込み
泣く泣く頭を剃ってみたら、
今度は頭部の骨格がもろに露になって、
余計他人様へ違和感を与える結果に。丸刈りの時点で不信感与えてるってのに。

それでも意地でしばらくは自分で頭髪を刈っていたものの
あまりに時間と労力が勿体ないので理容店通いに移行。
しかしこれまた厄介なもので、丸刈り一つ取っても…と言うか
ことによると丸刈りだからこそ、理容師の腕が露骨に出る模様
『これに御金を出すなら自分で刈ってた方が…』
という場合も珍しくない。
・腕の良かった店に毎回通う・
という選択肢については
そもそも手間暇をかけない為に選んだ髪型なので
散髪の機会も
・出先で時間が余った際のついで・
と決まっていて、
出先に都合良く腕の良い店が無ければどうにもならず、
そして大抵、都合は良くない。

さらに、・安いし手間がかからない・という理由でこの髪型を選択した筈が、
丸刈りが丸刈りを維持出来る期間はせいぜい一か月程度。
二か月もすれば、常識人が鼻白む程度には荒れ放題だし
三か月ともなると、公衆の美観を損ねるとして
周囲の人間に無理矢理床屋へ強制収容される勢い。
実際、あまりの見た目の汚さから
仲間内に理容店へ連れて行かれた経験があるし。
病院に担ぎ込まれるならまだしも、担ぎ込まれた先が理容店とは…
…医者も廓も床屋だって物言い吐けば慰めにでもなるかな
(十四杯目の焼酎を呷り呻きながら)。

毎日手入れするか頻繁に散髪するか…つまり、
手間暇をかけるか金銭をかけるかしなけりゃ
丸刈りという選択肢すら選べないのが実情となると
もはや何の為に丸刈りにしているんだか。なのに、
何の為と言えばやはり・安いし手間がかからないから・。
お母さんに言われなくてもきちんと自分の身仕度ができる
おしゃれ貴族の方方なら話は別でしょうが、
お母さんが言っても言ってもこの子は満足に言い付けも守らないで
そんなんじゃろくな大人にならないに決まってるよ
と言う母親を見事に予言者の地位に押し上げた猛者達にとっちゃ、
髪型に限った事じゃないが、身仕度なんて夢のまた夢。
自分で身仕度すればする程、余計に見れたもんじゃなくなる上、
作業に掛かる手間も時間も必要以上という有様。
経験を積んだところで素養が無いもんだから、慣れるだの上達するだのなんて有り得ず
経験を積めば積む程どんどん技術が悪化するという破滅的実情。
となると当然、容姿に関しては極限まで切り捨てるのが適切な判断となる訳で、
・髪の維持費が問題なら髪を概念ごと削減すれば良い・
という思慮思考まで極限まで切り捨てた結論により、丸刈り一択が現状。
つまり丸刈りも十分高く付くが、他はもっと高く付くから。という暗澹たる理由ですね。
そりゃ満足してるもしてないもへったくれもないわな。


当たり前過ぎる話をわざわざ書きますが、
髪型だ容姿だに限らず、
…と言うか何事においても、
素養が無い者が行動を起こせば被害発生の素にしかならない訳で、
行動を起こさない事こそが被害を最小限に抑える対策となる事例は枚挙に暇なしです。
やらない方がマシ
というやつです。
やらないよりはマシ
という事例は、まず大前提として、素養があればこその代物です。
なんて当たり前過ぎる話をわざわざ書いたのは、
この、曜日替わり七人日記もまさに、そうした様相を呈しているから。

折角素晴らしい文章を書いている、六人の方は総じて
『書けない』
『苦手だ下手だ』
『こんなのでいいのか』
みたいな発言を盛り込んでしまった結果、
それが元で文章の出来栄えを損ねていて、大変勿体ない。
素養が、才気が、天稟が、
折角溢れているのだから
わざわざ気取らず普通に書けば、それが何より面白くなる筈なのに。
それに対して当方ときた日には、
一切の才能だの素養だのが皆無にも関わらず、
平気な顔して書き殴ること書き殴ること。
勿論書けば書く程日記全体への被害となるのに
一切の躊躇も思慮も思考すら無く目一杯身勝手に書き殴り続ける有様。
それどころか、ここぞとばかりに
携帯電話からの文字数制限一杯に書き殴っている始末。

この様に世の中、折角才能の有る方に限って、
わざわざ自分で自分の可能性を狭めたがる
わざわざ自分で自分の魅力を損ねたがる
という節が見えるものでして、
しかも素養の無い輩に限って、
事ある毎に前へ出たがる
という由々しき事態が相次いぐものでして。
ならばまず、この曜日替わり七人日記でも早急に、
こうした腐敗と自由と暴力の真っ直中を是正すべきではありませんか。

…と、声を上げてしまうと、

当然、当方が真っ先に粛清対象になる訳で、と言うか粛清対象が当方以外に存在しない訳なので
これからも絶対に声を上げる事無く黙っていようと思います。
こんな時間に誰か来たが居留守。
(平日日中に無職なので)。
これが、

・やらない方がまだマシ・

という見本例ですね。


かゆい所はごさいませんか
(機動隊が放水車で暴徒に)。



【中途半端に字数が余った(桝田省治ごっこ)】

今は丸刈りだけど、昔…と言うか高校出るまでは、
髪が伸びるままにしておいて、伸び過ぎたらある程度切る
という繰り返しでした。
手入れ一つされていないって点は同様。

当時から、頭髪が邪魔で邪魔で、とにかく短く切りたいと思っていたものの、どうにも
高校生以下の年齢で丸刈り
という概念に対して、
酷く凡庸で面白味の欠片も無い代物
という印象しか受けなかった為、伸びてる方がまだマシと判断。
高校卒業後即座に丸刈りにしたものの
それまで溜まりに溜まった、髪型に対する不快な気分は全く晴れぬまま。
…だったのですが、

扶桑社の投稿項
バカはサイレンで泣く
において要とされている企画の一つ(ただし現在凍結中)、
面リーグ(後に最終フェイス)
にて
(ちなみに企画内容は題名等からどうか御察し下さい)、
当方の、その小学生時の写真が掲載に。
元々の凄まじい不細工っぷりに加え、ただ伸ばし放題にされたその髪型ときて、
写真は完全に恐怖映像。
見事に勝ち抜き、また、選者からも
『時代は笑いから恐怖に』
と煽りを入れられる高評価。

過去をまた一つ精算できた。

また、ある意味髪型への満足とも言えるやも。

しかし髪型が元で起った問題事例は一つや二つどころか山の如しな上に、
折角一時期送っていたバカはサイレンで泣くへの投稿も
多種多様な生活的困窮が原因で、ろくに送らなくなって
かなりの年月が経過。
むしろ負債を大幅に増やしている始末であり最悪。

ハッピー・バースデーまでの葛藤(友だちのいない火曜日 その2)

 無気力が服を着て歩いています。こんばんは。すずちうです。

 アメブロの使い方や使われ方に、まだあんまりうまく馴染めていません。使い方もそうなんですけど、それよりもむしろ使われ方みたいなもののほうにうまく適応できてないなみたいな感じがします。なんとなく内輪の交流向けな全体の作りとか、いろいろ気になることはあるんですけど、何よりも困惑しているのが、
改行
です。
 アメブロのデザインって、そのへんの詳しいことには疎いので、もしかしたら設定をいじれば変えられるのかもしれないですが、基本的に、かなり文章を短く区切ってこまめに
改行
しないと、右はじまでびっしり文が詰まってしまって、すごく見た目のバランスが悪いし、ビジュアル的にすごく読みづらいなと思うんです。というか、たぶんアメブロって、書くひとが細かくいちいち
改行
することを前提につくられてるんだなー。という点にすごく戸惑ってますね。たぶんケータイからアクセスしたときのこと、あるいはケータイから更新することに主眼が置かれてるからなのかなーと思うんですけど、ぼくのような、長文系ブロガー崩れにはちょっと使いづらいなーとか思いました。あと関係ないですけど、「改」の字はゲシュタルト崩壊しやすいですね。個人的に。

 まあ今後の書き方使い方に関してはおいおい考えてゆくとして、今年の2月は、ひとの誕生日を祝う機会が多かったです。といっても、友だちがいないので、お誕生日パーティが続いて大忙しだったとかそういうわけではなくて、ただ単に、ネット上で知ってる人たちのお誕生日が、なぜか2月に多かったという程度のことです。
 本来ならふつうに「誕生日おめでとう」「ありがとう」で済む話なんでしょうけども、ぼくはちょっと誕生日というものに関して、ずっとひねくれた意見を持っていて、あんまり人の誕生日を祝ったり、また自分の誕生日を祝われたりするのが好きじゃないんですね。というか、端的に言ってしまうと、意味が分からない。いつまで中二っぽく斜に構えてるんだとか言われそうですけど、でもやっぱり誕生日というものを祝う理由がよくわからない。理由がわからないから、どうやって心をこめたらいいのわからない。そして、そんな「おめでとう」を聞かされても、ほんとに言われた相手も、嬉しいのかどうか。口では「ありがとう」と言っているけれども、実は(めんどくせえな……)(どうせ社交辞令だろう)とか思われてるんじゃないかと思うと、なかなか言えないんですね。だから自分の誕生日も明かしてないです。21歳の誕生日も、平常通りに過ごしました。
 それに、ぼくが主に駐留している「twitter」という場所には、「アルファついったらー」という、何千何万ものフォロワーを抱えるすごい人たちがいらっしゃいまして、そういう人たちの誕生日になると、何百という「おめでとう」リプライが行って、そしてアルファになれるような人たちはたいてい人間ができているから、ひとりひとりにサービス精神にあふれた「ありがとう」のリプライを返していくのです。アルファじゃない多くのひとも、「おめでとう」「ありがとう」には手抜かりがありません。やってる本人は本当にうれしいからそうしているのだと思うのですけど、やっぱり面倒そうだなーとか、迷惑かもしれないなーとか思ってしまって、やっぱりうまく言いだせないんですね。どっかしら虚礼じみてしまわないかと思うと。

 で、そもそも誕生日というものをお祝いする/される理由ってなんだったっけ?みたいな話に立ち返ったときに、ある人が、「一年に一回くらいは、思考停止イベントが必要なんだ」と言っていたことが思い出されます。ざっくり言うと、「理由なんてないんだ。いや、むしろ理由がないことこそが理由だ」みたいな話です。
 一年に一回くらい、なんの合理的な理由もなく、存在を肯定されるイベントがあってもいいじゃないか。なるほどごもっとも。この話を見て、ぼくの中でいろんなことが氷解しました。あんまり節操なしに「おめでとう」をまき散らすのはどうかと思うけど、「いい機会だから」くらいの感覚で、「おめでとう」を言えばいいのかな。と。



だらだらと三百六十五日じゅうあなたの誕生日を祝いたい

 ていうか、このレベルの葛藤って、ふつうのひとは小学校高学年くらいで通り過ぎているのかもしれない。