高杉晋作の持仏 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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高杉晋作の萩の家は曹洞宗亨德寺の檀家でもあり、晋作自身も白衣観世音菩薩を熱心に信仰しておりました。下記の写真は晋作個人が身近で拝む持仏です。菅原道真公(天神)自身が十一面観世音菩薩の信仰を持っておられたとのことで、幕末当時は神仏習合であり、高杉晋作の天神信仰と観音信仰には矛盾が無いことになる。
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萩での晋作の葬儀は仏式で全義院東行暢夫居士と言う戒名を頂いており、萩市椿東の遺髪、臍の緒が入った墓も仏式で、吉田松陰ほかの一族も祀られています。また、現在、吉田の清水山の晋作の遺骸を埋葬した神式墓の近くに高杉一族全てを仏式で合祀し、多くの隊士とともに祀られています。

明治14年、谷梅処尼が永平寺から得度を受け、ここ清水山の麓に明治17年、長府の功山寺の末寺として曹洞宗清水山東行庵が創建され、晋作の位牌を安置して、隊士ともども現在まで仏式で法要がいとなまれています。


参考


高杉晋作の墓