乳山八幡神社、北九州市八幡東区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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乳山八幡神社
(ちやまはちまんじんじゃ)
北九州市八幡東区大蔵

祭神(主殿)誉田別命(応神天皇)、帯中津日子命(仲哀天皇)、息長帯比売命(神功皇后)(相殿)速須佐之命、奇名田姫命、事代主命、伊古那姫命

由緒  寛文2年(1662)8月21日創建、云われに「この地は1700有余年の往昔、御祭神、神功皇后が更暮(さらくれ)山にて国見し給いし後、乳山(ちやま)の山麓にて皇子(後の応神天皇)に御乳を与え給いし聖地を産土神様御創建の佳き地と選びて創建し今日に至る」とある。

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関門海峡を挟んで響灘、北浦海岸が一望できる皿倉山の麓であり、吉母、長府にも近く、戦略的に重要な地点であり、この神功皇后伝説は当説を補強するものであり、さらに、ここで言う国見の国は眼下に広がる響灘と穴門の国であり、真正面は吉母である。

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皿倉山からの遠景、手前から洞海湾、響灘、穴門の国


参考

隣の山頂、帆柱山の名称は、神功皇后が軍船の帆柱をこの山から伐りだしたことに由来する。帆柱山頂にはテレビ放送のアンテナが林立するが、北浦海岸の各家庭は下関の火の山からの電波の他、ここからの電波を受信している。

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