土師氏は秦氏と同一であった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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忌宮神社の摂社、荒熊稲荷神社の三日相撲

土師氏(はじし)と秦氏(はたし、はだし)は鉱山技術、土器製造、土木工事、葬送の儀式など同一分野で専門とし、居住地も重なっており、土師氏は秦氏の後裔とは思われていたが、同一であった。あるグループは土師氏、別のグループは秦氏など色々な名前を付けたが、元は秦氏であった。

大和国、山城国、河内国志紀郡土師里(道明寺)に居住したが、防長二州にも居住し支配した。菅原氏、毛利氏が著名な後裔である。学問の神様、菅原道真公も一族の出世頭である。


参考

1  土師氏の先祖、野見宿禰は相撲の元祖であるが、相撲はヘブライ語で理解できるとか!
ヘブライ語 : Shemo(シュモー)
日本語:相撲(スモウ)
ヘブライ語 : Hakeh(ハッケ)、Yohy(ヨイ)
日本語 : 投げつけよ、やっつけよ

ヤコブと天使の相撲がきっかけで「イスラエル」という国の名が作られたとか!

このURLに詳しい解説がある。すなわち、秦氏は古代ユダヤ系の渡来人と考えられているが、年代的に後世の土師氏が古代ユダヤ系と言うなら土師氏は秦氏の後裔である。

2  土師氏(はじし)は古代の氏族で、天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品 である埴輪を発明し、第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の 身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われている。古墳を作ったり、葬送の儀式を司ったり、、、奈良の古代豪族だった土師氏は技術に長じ、4世紀末から6世紀前期までの約150年間の間に築かれ、古墳時代の中期を代表する古墳群、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族である。奈良、三ツ塚古墳を含めた道明寺一帯は、秦氏の居住地のはずがいつの間にか「土師の里」と呼ばれ、土師氏が本拠地としていた所で、その名がついた。道明寺は土師氏の氏寺である。野見宿祢の「野見」は、石材を加工する際に使われている道具である「ノミ」と関連があるとみられており、野見宿祢が石材とかかわっていたと言う推定がある。この伝承は、石材を供給する二上山の支配権が、在地の当麻氏の手から、野見宿祢に移ったことを示唆する。

この土師氏の由来は正に秦氏の由来であり、これが正しいことがわかる。


4 防長二州は土師氏、菅原氏に支配されていた。

5 毛利氏は、土師氏の末裔の大江氏の末裔である。すなわち、土師氏、菅原氏、毛利氏は同族である。防長二州の民は旧秦王国民であるから、毛利の殿さんと同族であることが理解できる。

6 平安遷都以前の山背の豪族分布についてある報告を紹介するが、仲良く分布しており、実はみな秦氏と言っても差し支え無い。渡来系氏族で共通祖先(出雲氏、土師氏)、分家関係(賀茂氏、八坂氏、秦氏)、親子関係(秦氏、土師氏)など同族であろう事の指摘は既に得ている。

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7 読みと意味を検討すると、実は土師氏は秦氏の一部族で同一の渡来氏族であった。

8 秦氏、土師氏、菅原氏は皆、十一面観世音菩薩を信仰していた。