岡の県主の祖・熊鰐ゆかりの神社について | 日本の歴史と日本人のルーツ

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岡の県主の祖・熊鰐は安曇系海人族(秦氏)であるが、所縁の神社を見てみる。京都の八坂神社の祇園を取り入れたお祭りを7月に開催している。

1 岡の県主の祖・熊鰐にゆかりの神社

岡田
宮(おかだぐう)
福岡県北九州市八幡西区黒崎地区
祭神:
  岡田宮:神日本磐余彦命(神武天皇)
  熊手宮:大國主命、少名彦神
              県主熊鰐命
  八所宮:高皇産霊神、神皇産霊神
              玉留産霊神、生産霊神、
              足産霊神、大宮売神、
              事代主神、御膳神
かつて崗地方(旧遠賀郡)を治めた熊族が洞海菊竹ノ浜(貞元)に祖先神を祀ったのが始まりとされ、そのためにこの地域一帯を『熊手』と号したといわれる。 毎年七月に岡田宮へ奉納する黒崎祇園山笠祭は北九州の風物詩として有名である。

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神武天皇が逗留された岡田の宮は一宮神社の方である。


仲宿八幡宮(なかやどり)
八幡東区祇園2丁目5-1
主祭神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
配祀神: 建速須佐之男命、
            奇名田比賣命、
            大己貴命、伊古奈姫命、
            事代主命、大綿積神他
今から一八〇〇年ほど昔、第十四代仲哀天皇の御后、神功皇后は香椎の宮で病気でお亡くなりなされた天皇の御代わりに、第十五代応神天皇を御腹に身籠られながらも、軍臣の動揺を考えられ、天皇崩御の件を秘匿し男装して三軍を率い、新羅の国朝鮮半島に出征し所願を成就された。九州入りした神功皇后はご神託ありて航海の後の御船の帆柱を取替え、この地に忌宮を造営し天神地祇を祀られ御滞在された。この時、御先導御世話申し上げたのが、この地の県主熊鰐なり(のち花尾城主麻生氏に功ありとして波多野姓を賜る)。「南に帆柱山を仰ぎ北に洞の海を望む海陸便の良い処、この地に今し中宿りせむ」としてお休みされた場所が現在の仲宿八幡宮である。1205年6月に花尾城主はこの地にて祇園祭を神主波多野重満太夫定勝をして祭儀を行う。郷内の祇園祭の発祥の地となる。

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豊山八幡神社(とよやま)
八幡東区春の町4丁目4-1
主祭神:仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
相殿:宇遅和紀郎子命
熊鰐が皇子の為に御衣を献上した縁で、神功皇后は弓矢をこの山に納め、世の中が豊かになるように祈ったと伝えられています。小倉(おぐら、のちに尾倉と表す)荘の総鎮守でした。尾倉・大蔵・枝光の3村が合併する際、3村の氏神が八幡神社であったので、村名を八幡(やはた)村にしたといわれています。

祭り: 祇園祭り

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左遷された菅原道真公が太宰府へ向かう途中に立ち寄り、水面に映った我が身を見て「海ならずたたへる水の底までも清き心は月ぞ照らさん」と無念の心情を詠んだと伝えられ、歌碑と由緒標記があります。

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影見池


枝光八幡宮(えだみつ)
八幡東区諏訪2丁目1-5
主祭神: 応神天皇、神功皇后、
            須佐之男命比売大神、
            建御名方神他
鎌倉時代初期、(建久年間に、筑前の宇都宮氏(麻生氏)の祖・宇都宮重業が、生国の下野宇都宮から氏神の八幡神を勧請し、居城である花尾城の鬼門にあたる宮田山に祀ったのに始まる。以来麻生荘の鎮守神として麻生氏より篤い崇敬を受けたが、麻生氏の衰亡とともに衰微した。慶長年間に入ると社領を没収される憂き目にあったが、寛永4年に現在の諏訪山の地に遷座しその祭祀を続けた。

「枝光」の地名の由来は仲哀天皇が熊襲征伐の折、地元の豪族・熊鰐が真榊の枝に剣・玉・鏡の3種の宝物を下げて迎えたことから「枝三つ」=「枝光」と称するようになったという。

祭り: 枝光祇園山笠

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2 祇園祭り(7月)

黒崎祇園(岡田宮)、前田祇園祭(仲宿八幡宮、豊山八幡神社、枝光八幡宮)、戸畑祇園(飛幡八幡宮、菅原神社、中原八幡宮)、小倉祇園(八坂神社)

祇園祭の起こりは無病息災の祈りからである。そもそも祇園祭は平安時代、夏になると悪疫が流行したり稲などに害虫がつき、これを悪霊の仕業と考え、この悪霊を慰め退散させるために神に祈ったことを起源とする祭りである。京都、八坂神社の祇園祭を取り入れ、仲宿八幡宮は1205年、その他、戸畑を除き1600年頃、戸畑は1800年代から始まった。


参考