和布刈神社はかって速門社(はやとのみや)や速戸明神・隼人明神・早鞆明神とも呼ばれた。
「仲哀天皇九年(西暦二〇〇年頃)神功皇后三韓より御凱旋あらせられし時、御報賽の思召をもって御創建御自身神主とならせられ齋き祀り給い永く西門鎭護の神とせられた」とあるように、下関の住吉神社と同時に創建された兄弟神社で、和布刈神事は住吉神社も行います。両神社とも神功皇后の三韓征伐伝承に深い関係をもつといわれ,住吉神社の社伝では最初の神主、践立(ほんだち)命が神功皇后の命により壇之浦の和布(ワカメ)を刈り,元旦の供え物としたことから始まるとされる。また和布刈神社の社伝では安曇磯良(あずみのいそら)が海底に入って,皇后に潮干珠,潮満珠の法を授けたことに由来するとされている。
御祭神
比賣大神(ひめおおかみ)
別称、宗像三女神
奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)
市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
多岐津比売命(たぎつひめのみこと)
日本の代表的な海の神であり、福岡県の宗像大社や広島県の厳島神社の祭神としてよく知られている。
日子穂々手見命(ひこほほてみのみこと)
火遠理命(ほおりのみこと)とも呼ばれ、山幸彦のことで、兄は海幸彦です。
鵜草葺不合命(うかやぶきあえずのみこと)
母、豊玉比賣命の妹で、育ての親である玉依比賣命と結婚し、神倭伊波琵古命(かむやまといわれひこのみこと)、つまり神武天皇の父となる。
豊玉比賣命(とよたまひめのみこと)
山幸彦の妃で、海神の綿津見神の娘で鵜草葺不合命が生まれます。
安曇磯良神(あづみのいそらのかみ)
安曇(阿曇)氏の祖神で、海人族の安曇氏の発祥の地といわれている志賀島(福岡市東区)の志賀海神社には綿津見三神が祀られています。安曇は海人津見(あまつみ)が転化したといわれ、津見は住みの意といわれています。
伝承
朝鮮への出兵から帰国した神功皇后は、豊浦宮に戻る途中、祖先の神々を祀り、朝鮮への出兵で、海路の安全に協力した安曇磯良の魂をここ速門(はやと)に鎮めたことから、和布刈神社はかって速門社(はやとのみや)・速戸社や速戸明神・隼人明神・早鞆明神とも呼ばれました。海上交通及び軍事上の要衝にあったため、時の領主であった大内・毛利・細川・小笠原氏に和布刈神社は崇敬されました。
「和布」は「にきめ」または「にぎめ」とも読み、「わかめ」のことですが、ここでは「和布」は和訓で「め」と読み、「わかめ」を指します。わかめは万物に先んじて芽を出し、自然に繁茂するため幸福を招くといわれ、新年の予祝行事として、新年最初にわかめを刈る和布刈神事が古より秘かに行われてきました。