野村望東尼 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

勤王家
1806~67年
福岡藩黒田家の家臣、浦野重右衛門勝幸の三女として生まれる。名はモト。二川相近のもとで和歌や書道を学ぶ。野村新三郎貞貫と結婚。四人の子供を次々と亡くし、貞貫と先妻の長男に家督を譲り40歳で平尾山荘に隠居、安政六年(59年)に夫と死別し、仏門に入る。文久元年(61年)上京、勤王活動に入る。

{477FE018-C7C1-4071-A432-909748410B5C:01}
晋作が福岡県福岡市中央区平尾山荘に滞在

元治元年(1864)11月11日から21日まで、高杉晋作が滞在した。慶応元年11月14日姫島に遠島処分される。2年9月17日に下関へ到着、4月14日、高杉晋作を看取る。慶応3年11月6日、三田尻で永眠、62歳、桑山に墓所がある。

{FEBFA01F-D510-400B-8819-65BFDE2CBF11:01}
望東尼像

{126F3A4D-1F42-48DF-83E1-8F36D31F0ED7:01}
現在の平尾山荘


参考