中津宮、大島を参拝、織姫伝説 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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宗像大社、中津宮、大島を参拝しました。

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大島

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中津宮、湍津姫神をお祀りする。

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神池と神橋、天の浮橋のイメージか!ちなみに池の名は心字池とか!

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拝殿

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本殿の左手を下り、本殿の真後ろの谷底に天の川が流れていました。

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本殿背後を下る。

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天真名井

日本書紀に、天(高天原)に『天真名井』と言う霊泉があり、天照大神と須佐之男命の誓約(うけい)により、天照大神が須佐之男命の剣、十拳剣(とつかのつるぎ)をとって、三っつに割り、『天真名井』の聖水を口に含み勢い良く吹きかけ、その吐噴霧から、三柱の女神が生まれたとある(参考)。

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天の川、下流方向

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織姫神社

天の川を挟んで中津宮に向かって左の丘の上に織姫を祀る神社、織姫神社が祀られていました。そして、右の丘の上には牽牛を祀る神社、牽牛神社が祀られております。

日本の七夕伝説の発祥とのことで(参考1参考2)、「わが国の記録としては『日本書紀』に持統天皇五年七月七日に宴が催された記述があり、『続日本記』には天平六年七月七日に聖武天皇が相撲をご覧になり、その夕に文人に七夕の詩をつくらせたことが記されており(参考)」より遡るのであろう。大社の記録は正平年中行事(1346年)に「七月七日、七夕虫振神事」とある。

この織姫は瀬織津姫(セオリツヒメ)と同一神であり、天照大神、宗像三女神と同一神でした。すなわち、天照大神が祀られていることになる。

なお瀬織津姫は宗像大社辺津宮と中津宮のそれぞれ境内社の祓方神社に祀られている。


参考


伊勢神宮の内宮荒祭宮では、
       天照皇大神荒魂=瀬織津姫
宇佐神宮では、
       比売大神=瀬織津姫
宗像大社では、
       湍津姫神=滝津姫=瀬織津姫
住吉大社では、
       神功皇后=姫神=瀬織津姫
厳島神社では、
        湍津姫神=滝津姫=瀬織津姫
であり、
さらに
        棚機津女(たなばたつめ)=
        棚織姫=瀬織津姫
は、七夕伝説の織姫とも習合した。しかし、大津京に遷都後、即位した天智天皇の勅命によって、669年、天智朝の右大臣中臣金(なかとみのかね)によって大祓の祝詞(おおはらいのことば)が、この佐久奈度神社で創られました。この大祓の祝詞によって、瀬織津姫は祓い戸の女神として封印されてしまいました(参考)。

古事記にもある水神にささげる神聖な布の機織をする棚機津女が中国の七夕の織姫伝説と習合した(参考)。この水神が瀬織津姫であり、また天照大神も機織をする場面がある。

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弥生時代からの土器、勾玉、須恵器、金銀製指輪、滑石製の形代などが出土している。当然、247年と248年の皆既日食を大島の当時の住民は目撃していた。須恵器の国内製造は古墳時代中期以降であり、中津宮の須恵器は朝鮮半島由来であろう!