須佐之男命の行動と高天原 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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須佐之男命(素戔嗚尊)は筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(博多湾内)で、イザナギノミコトの禊ぎから天照大神、月読命、その他大勢の神と一緒に生まれた。イザナギノミコトの命令を断った為に追放されて出雲に行くが、途中、高天原の天照大神のところに立ち寄り、天照大神との誓約で宗像三女神と天神五神を生んだ。その後、大暴れして天照大神の天の岩戸隠れ騒動を起こしたために、高天原から追放された。その後、朝鮮半島の新羅に行き、そして出雲国に戻ってから八岐大蛇を退治した(wikiを要約)と言う。

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すなわち、高天原を別として、須佐之男命は北九州沿岸から朝鮮半島の新羅国や出雲国と、玄界灘、響灘、朝鮮海峡、対馬海峡、日本海の海面上の範囲を行動している。高天原も海面上の沖ノ島にあることが最適である。


参考

日本書紀の一書第4では、天(古事記の高天原のこと)から追放された素戔嗚尊は、新羅の曽尸茂梨(そしもり)に降り、この地吾居ること欲さず「乃興言曰 此地吾不欲居」と言い息子の五十猛神(いそたける)と共に土船で東に渡り出雲国斐伊川上の鳥上の峰へ到った(「遂以埴土作舟 乘之東渡 到出雲國簸川上所在 鳥上之峯」)後八岐大蛇を退治した(wikiより)。