記紀には出て来ないが、大祓いの祝詞に出て来る姫神です。祝詞を簡単に記すと、
祭神 瀬織津大神、住吉大神、志賀大神
由緒 神功皇后が新羅を遠征されて凱旋なさった時に、この三神がこの浦の渡村の鼓島に現れた事から、皇后はこの浦の岡分河原崎の宮之本という地字に神垣を造って斎祀された(参考)。
天つ神は天の岩戸を開いて祓い清め、国つ神は高い山から低い山まで祓い清め、風の神があまねく吹き渡って、残っている罪穢れはないかと祓い清め、早川の瀬にいる瀬織津姫がそれを大海原に持ち出して、大海原にいるハヤアキツ姫が呑み込んでくれる。それを息吹き戸主の神が根の国底国に吹き飛ばして、根の国底国にいますハヤサスラヒ姫という神が背負ってさすらって無くしてしまう。こうして罪という罪がないように祓い清めて下さいと、天つ神、国つ神、八百万の神々に申し上げる。
大津京に遷都後、即位した天智天皇の勅命によって、669年、天智朝の右大臣中臣金(なかとみのかね)によって大祓の祝詞(おおはらいのことば)が、この佐久奈度神社で創られました。この大祓の祝詞によって、瀬織津姫は祓い戸の女神として封印されてしまいました(参考)。
参考
波折神社(なみおりじんじゃ)
福岡県福津市津屋崎町
祭神 瀬織津大神、住吉大神、志賀大神
由緒 神功皇后が新羅を遠征されて凱旋なさった時に、この三神がこの浦の渡村の鼓島に現れた事から、皇后はこの浦の岡分河原崎の宮之本という地字に神垣を造って斎祀された(参考)。
瀧神社、美濃市
瀬織津姫は滝姫神(滝の精霊神)であること、つまり、宗像三女神の名でいえば湍津姫神(=滝津姫神)と等質であることは、やはり「滝」との関連で、この神と出会うのがいちばん自然である(参考)。
警固神社、福岡市天神
神功皇后の三韓討伐のときには、船団を守護し勝利に導かれたと伝承されている警固大神は、神直毘神(かみなおびのかみ)・大直毘神(おおなおびのかみ)・八十禍津日神(やそまがつひのかみ)の三神とされていますが、本来祭られていたのは瀬織津姫(=撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたま あまさかるむかつひめのみこと)、天照大神の荒魂)だったはずで、瀬織津姫が三神に分けられたのが警固三神でしょう(参考)。
瀬織津姫は、『記紀』(古事記と日本書紀)神話にも登場しないが、神道における最高祝詞『大祓詞』では祓戸四神の筆頭に登場し、伊勢神宮の内宮で奉祀されという不思議な女神である。また、鬼伝説と渓流があり、そこに白鳥・羽衣・温泉・滝・桜などが絡む地域に祀られているケースが多い特異な存在ですが、瀬織律姫は『桃の節句・端午の節句・七夕の節句』の由来にも密接に関与している(参考)。
『秀真伝(ホツマツタエ)』では、全国の国神(くにかみ)の姫の中から、素直で気立てが良く聡明で美しい姫を選び、日の神である天子を中心に、十二人の姫を月に例えて、東西南北の四方に配した。その位は、上位よりスケ(典侍)、ウチメ(内侍)、オシモ(御下)の三階級とした。神議も終わり、人々に政(まつりごと)が発せられた。どの姫も美しく聡明だったが、天子は一人の姫に心を奪われ、自ら階段を降りて迎え入れたほどで、姫の名はサクナダリ(瀧落降渓流)・セオリツ姫ホノコ。
『記紀』はアマテラスを女神とするが、『秀真伝』は瀬織律姫をイザナギ、イザナミの皇子であるアマテラスの正妃で、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(ムカツ姫)は瀬織律姫のことだとしている。両者の話は極端に相違があるが、アマテラスが『廣田神社』に自分の荒魂を祀れと命じたと日本書紀は記しており、それによればムカツ姫とはアマテラスの荒魂としての名前であり、瀬織律姫だと考えるのが妥当だろう(参考)。
天照大神も宗像三女神も瀬織津姫だった。
佐久奈度神社(さくなどじんじゃ)、滋賀県大津市大石中一丁目2-1
主祭神 瀬織津姫命、速秋津姫命、気吹戸主命、速佐須良姫命
由緒: 天智天皇8年(669年)勅願により、中臣金が祓戸の神を祀ったのが創始である(wikiによる)。
瀬織津姫を祀る神社分布(参考)