古墳時代の渡来人の流れ | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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参考とした人口に関する研究を見ると、古墳時代、渡来人は相対的に人口の少ない畿内と山陰に入植し、稲作にあまり適さない山陰から渡来人は他所に再度、移動したことが読み取れる。

この人口分布の推移の研究からも、邪馬台国が範囲を狭く見積もっても、畿内(大和)だけでなく、山陰一帯(初期秦王国)に及ぶことが分かる。これに、北九州の弥生人口が比較的少ない宗像以東に渡来人が入植した。ここで言う渡来人とは、渡来系弥生人では無く、古墳時代を作り上げた秦氏である。


参考

日本の人口分布の時代毎の推移(参考)を見よう。特に、相対的な多少に着目する。

1 縄文時代、東海地方以東が多い。
2 弥生時代(紀元後200年)、渡来系弥生人が西日本に入植して、人口が平坦化した。
3 奈良時代、東日本の人口が若干減り、西日本が増えたが、山陰と畿内が特に増えた。
4 以降、山陰が低下する。

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魏志倭人伝では、奴国2万余戸、投馬国(山陰の但馬国)5万余戸、邪馬台国7万余戸とある。ちなみに、中国大陸の大月氏国が10万戸の人口40万人、また考古学では当時の日本の人口が百数十万人とされている(wikiより)。