黒崎妙見、下関 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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垢田八幡宮(妙見社)、下関市大字垢田
創建年代不詳
右 八幡宮、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后をまつる。
左 妙見社、天之御中主命、素戔嗚命をまつる。伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神の本体が天之御中主命であるとされた。

左の妙見社はもとは黒崎(綾羅木の鼻ヅラ)と言う舟の往来が見下ろせるところにあったが、挨拶を忘れると舟を沈めるとのことで、最近300年前に堀に遷座し、明治になって現在地に遷座した。

東端の忌宮神社、中央の住吉神社、西端の妙見社が東西に一直線に並んでいる。ちなみに、西端の妙見社地の南北に見ると、真南に金毘羅さん、真北に安岡八幡宮、吉見の龍王神社が一直線に並んで神代の響灘に面している。

妙見社の天之御中主命の神仏習合時代は妙見菩薩と言われ、北極星を神格化した天部の神で、龍王神社、金毘羅さんと同じく航海の神仏である。素戔嗚命も海原を治める神、新羅からの渡来人とも言われ、山陰海岸沿いに航海伝承がある。


参考

綾羅木川の北側の台地に所在する下関市立考古博物館の東側の上の山古墳の上に川北神社がある。近隣の郷社を合祀したものだが、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后に加えて天之御中主命、他を合祀している。やはり、綾羅木川の旧入江の入口を守る航海の神様であった。安岡八幡宮は時代が下り、源氏が創建した神社で豊穣の神、大歳神を合祀している。

住吉神社の末社に厳島社があり、西方に黒崎妙見社、対馬の厳原八幡宮に向いている。また途中に沖ノ島をかすっている。