香椎宮
福岡県福岡市東区香椎4丁目16-1
主神
仲哀天皇、神功皇后
配祀
応神天皇、住吉大神
由緒
香椎宮は仲哀天皇九年、神功皇后躬ら祠を建て、仲哀天皇の神霊を祀給うたのが起源。神功皇后の宮は元正天皇の養老七年(723)に皇后御自身の御神託により、朝廷が九州に詔して社殿の造営を創め、聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したもので、此の両宮を併せて香椎廟と称した。
祭神である仲哀天皇(足仲彦天皇、タラシナカツヒコスメラミコト、14代)は、熊襲の反乱を鎮めるべく、神功皇后共々この香椎の地(筑紫の橿日宮)におこしになられました(仲哀天皇8年)。しかし、志なかば、仲哀天皇は、この香椎の地にて崩御されました(住吉大神の御神託)。その後、神功皇后(気長足姫尊、オキナガタラシヒメノミコト)は、神のお告げを受けて、海を渡り新羅を平定され、凱旋後、仲哀天皇様の御霊をしずめるべく、神功皇后自らお祭されたのが、香椎宮の起源となります(参考)。
香椎宮境内
忌宮神社
山口県下関市長府宮の内1-18
祭神
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇
由緒
豊浦宮の跡に建つ忌宮神社は、第14代仲哀天皇が九州の熊襲ご平定のために西下、穴門(長門)豊浦宮を興して7年間政務をとられた旧趾にあります。天皇はさらに筑紫(福岡県)の香椎に進出せられましたが、1年にして崩御せられたので神功皇后は喪を秘して重臣武内宿禰に御遺骸を奉じて豊浦宮に帰らしめ、現在の長府侍町土肥山に殯斂(仮埋葬)せられました。そして皇后はご懐妊中ながら、熊襲を煽動していた新羅征討をご決行、ご凱旋ののち、天皇の御神霊を豊浦宮に鎮祭せられました。神亀5年(728)香椎宮より神功皇后の神霊を勧請して忌宮を創建した(参考1、参考2)。