日本書紀や古事記の編纂の理由の嘘 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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大化改新のクーデター(645年、乙巳の変)で中大兄皇子(天智天皇)は蘇我入鹿を暗殺する。これに憤慨した蘇我蝦夷は大邸宅に火をかけ自害した。 この時に朝廷の歴史書を保管していた書庫までもが炎上し、『天皇記』など数多くの歴史書はこの時に失われたと言う。一部分焼けたが「国記」は難を逃れ中大兄皇子(天智天皇)に献上されたとあり、これら焼けて欠けた歴史書や朝廷の書庫以外に存在した歴史書や伝聞を元に古事記や日本書紀を完成させたと言う(wikiより)。


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しかし、前からあった正史「天皇記」「国記」を蘇我蝦夷に焼かれ、これを再生させると言う理由は嘘である。日本書紀、古事記が最初の正史である。例え先行する文書があったとしても隠滅したと考えられる。大和政権に提出した文書を焼却され返してもらえなかったと言う地方の伝承を読んだことがある。


その理由について、蘇我蝦夷の放火事件以降に以下の重大な国の制度変更があることから、大化改新(645年)を行う決定の前から、一連のスケジュールが組み立てられたと考えた方が自然である。


理由

1 大化改新の詔(646年)以降に100年くらいかけて神社を整備・創建した。

2 天照大御神を頂点とする八百万の神々を擁する多神教の神道は669年からスタートした。

3 大宝律令(701年)の正当化



参考


① 646年、大化改新の詔(参考)と神社の整備・創建(参考)


② 663年、白村江の戦い


② 669年、一神教から多神教へ: 太陽神・卑弥呼の一神教から、太陽神・天照大神を中心とする多神教への移行が為される(参考)。


③ 672年1月7日、天智天皇の崩御


④ 壬申の乱: 672年7月24日 - 8月21日


⑤ 673年以降、記紀編纂の開始(天武天皇の勅命): 天智天皇は白村江の戦いの敗北で唐と新羅連合に敗北し記紀編纂の余裕はなかった。天智天皇の弟である天武天皇の命により行われる(wikiより)。


⑥ 701年(大宝元年)、大宝律令の制定


⑦ 記紀の完成: 古事記712年、日本書紀720年