筑紫の日向の読みについて | 日本の歴史と日本人のルーツ

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福岡県福岡市西区の高祖山の近くに日向峠(ひなたとうげ)、日向川(ひなたかわ)があるので、このあたりが筑紫の日向(ちくしのひなた)であろうとの主張がある。

現在の地名の日向の読みについて検索してみた。「ひなた」や「ひゅうが」はどこにもあり、固有名詞ではなった!しかも、日本書紀に現れる筑紫の日向の読み「ちくしのひむか」は見当たらなかった。別の地域を探す必要を示唆している。


参考

日向の読み
日向国は「ひゅうがのくに」
日向湖は「ひるがこ」(福井県の湖)
日向☆は、宮崎県内では「ひゅうが☆」
日向川は「ひゅうががわ」、北九州の川は「ひなたがわ」
日向峠は、北九州の峠は「ひなたとうげ」
日向は、静岡県の地名は「ひなた」
日向平は、岩手県の地名は「ひなたひら」、山口県、長崎県の地名は「ひなたびら」
日向山は、島根県の山は「ひゅうがやま」、岡山県の山は「ひゅうがざん」、その他10山は「ひなたやま」

② 宮崎県の日向の読みは「ひゅうが」が一般的である。しかし、『日本書紀』に「宇摩奈羅麼、譬武伽能古摩(うまならば、ひむかのこま = 馬ならば日向の駒)」とあり、古くは「ひむか」と呼ばれたのか?と考える向きもあるが、この「譬武伽」を日向国と安易に結び付けることには検討が必要と指摘されている(wikiより)。

③ 日本在来馬の原郷は、モンゴル高原であるとされる。現存する東アジア在来馬について、血液蛋白を指標とする遺伝学的解析を行った野沢謙によれば、日本在来馬の起源は、古墳時代に家畜馬として、モンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された体高(地面からき甲までの高さ)130cm程の蒙古系馬にあるという。また、古墳時代には馬骨馬歯、馬具が考古遺跡から出土しており、日本在来馬の存在が確認される(wikiより)。

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木曽馬

都井岬の野生馬については、江戸時代の1697年に高鍋藩の秋月家が軍事に欠かせない馬の放牧を都井村御崎牧(現在の御崎牧場)の藩営牧場で始めたのが始まり。また、トカラ馬(トカラうま)は、トカラ列島で飼育されてきた日本在来種の馬であるが、体高はおよそ100-120cmと最小クラスでポニーに分類される(wikiより)。

④ 古代、馬は朝鮮半島からの輸入であり、北九州の福津市津屋崎町の渡半島に「渡の牧」と言う馬受け入れ牧場があった。ほかにも北九州から山口県の響灘沿岸に牧場があったので、この日向(ひむか)は北九州、すなわち筑紫の日向(ちくしのひむか)は北九州にあると考えた方が自然である。





⑨ 渡来人秦氏は騎馬民族であった