壱岐の弥生時代人は縄文人であった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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長崎大学の研究による壱岐の弥生人骨は土井ヶ浜や北九州の渡来系弥生人骨と異なり、在来系弥生人すなわち縄文人の特徴を持っていたと言う。壱岐は弥生時代以来、渡来人の通過ルートではなかった!

文化的には壱岐は甕棺墓と石棺墓が共にあるが玄海灘文化圏に近い。原の辻遺跡で交易に従事した現地民は在来系弥生人(縄文人)であり、また渡来人の通過する島ではなかった!


参考

壱岐の弥生人骨, 頭蓋諸径が著しく大きく, 男性における脳頭蓋の長幅指数は79.29で中頭型に属していた. 顔面頭蓋では, 上顔高が72mm, 中顔幅が119mmで, 上顔示数は60.50であった. また鼻根部は陥没し, 縄文人的形態をとどめていた. 歯の咬合は鉗子状咬合で, 右側上顎犬歯に風習的抜歯が認められた. 推定身長は158.20cmであった. 他地方弥生人骨との比較では, 低身・低顔を特徴とする
西北九州の弥生人骨と近似し, 長身・高顔を特徴とする北部九州・山口地方の弥生人骨, あるいは朝鮮半島の同時代人骨とは異なっていた。

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