新説、倭国大乱(推測) | 日本の歴史と日本人のルーツ

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上の図は班田収授法に基づく全国の条里制地割の土地分布である(参考)。大和あたりと北部九州(筑後平野あたり)にまとまって見られる。もしも、弥生時代から蘇我氏の先祖(海人族安曇氏、C1)の土地とすると、面白い推測が成り立つ。北部九州には呉系弥生人(O2b)、大和には越系弥生人(O2a)が入植し、それぞれ、銅剣文化、銅鐸文化を花開かせていた(参考)。


しかし、彼らは自給自足の稲作弥生人であり、魚介類に100%依存していない!唯一塩については、安曇氏の根拠地付近(九州は海の中道あたりなど)で製塩していたものを利用していた。これに対し、後から渡来した斉系弥生人(D2)は安曇氏などの海人族の魚介類に100%依存した(参考)。

そこで、斉系弥生人と呉系・越系弥生人が争い倭国大乱となったとき、安曇氏は斉系弥生人に味方して、製塩施設の塩の供給を止めたと推定される(参考)。結果、斉系弥生人が勝利して、卑弥呼の邪馬臺国が倭国の盟主となった。大和盆地の越系弥生人についても全く同じである。

土地は元々、蘇我氏のもので、倭国大乱後に斉系弥生人が邪馬臺国(東鯷国、山陰海岸あたり)から入植して行ったと推定するが如何であろうか?その証拠に、筑後平野と大和盆地の平野に互いに似た地名が複数存在する(参考)。


参考