どうも、蘇我氏が滅び、藤原鎌足を初代とする藤原氏が台頭するころまでは、海人族安曇氏の女系女子との婚姻が天皇家の力の源泉のようで、海人族安曇氏の代表の蘇我氏から女帝も輩出した。具体的には以下の通り、歴史上有名な天皇の背後に、必ず海人族安曇氏があった。
藤原氏から皇后を出してすぐに娘が孝謙天皇となったことと、江戸期の明正天皇(徳川の血統)の2人を除いて、男系男子を保っている。
参考
② 崇神天皇の妻は海人族安曇氏であった(参考)。
④ 武内宿禰とその男系の末裔は北九州出身で、海人族安曇氏の婿であった(参考)。
⑤ 筑紫君磐井も子の葛子も海人族安曇氏の婿であった(参考)。
⑥ 海人族安曇氏の本拠地は宮地嶽神社であった(参考)。
⑦ 乙巳の変までは、海人族安曇氏の一派の蘇我氏が天皇として振舞っていた(参考)。
⑨ 竜宮城の主人は乙姫さん(参考)
10 後の源平合戦も海人族の手のひらでの争いだった(参考)
11 継体天皇の皇后も海人族安曇氏につながり、海部氏系図と同じく卑弥呼と思われる女性が登場する(参考)
12 現天皇家の男系男子の相続制は701年あたり以降に表に出た(参考)。以前は海人族安曇氏の母系制に隠れて、諸王朝の興亡の歴史のように見える。
13 豪族の男系ルーツは欠史八代の中の天皇につなげたようだ(参考)
14 神武天皇から欠史八代の天皇も皆、海人族安曇氏の娘達を妻にしていた(参考)