サマリー: 古代、男系天皇は海人族安曇氏の女に支えられていた | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

どうも、蘇我氏が滅び、藤原鎌足を初代とする藤原氏が台頭するころまでは、海人族安曇氏の女系女子との婚姻が天皇家の力の源泉のようで、海人族安曇氏の代表の蘇我氏から女帝も輩出した。具体的には以下の通り、歴史上有名な天皇の背後に、必ず海人族安曇氏があった。

藤原氏から皇后を出してすぐに娘が孝謙天皇となったことと、江戸期の明正天皇(徳川の血統)の2人を除いて、男系男子を保っている。

{D0EDC520-198B-4F0C-8438-C083581A323D:01}
倭迹迹日百襲姫、大市墓(箸墓古墳)


参考

① 倭迹迹日百襲姫(卑弥呼や臺輿)は海人族安曇氏であった(参考)。


② 崇神天皇の妻は海人族安曇氏であった(参考)。


③ 神武天皇、応神天皇、神功皇后も海人族安曇氏であった(参考)。神功皇后は葛城氏系の海人族安曇氏(参考)。


④ 武内宿禰とその男系の末裔は北九州出身で、海人族安曇氏の婿であった(参考)。


⑤ 筑紫君磐井も子の葛子も海人族安曇氏の婿であった(参考)。


⑥ 海人族安曇氏の本拠地は宮地嶽神社であった(参考)。


⑦ 乙巳の変までは、海人族安曇氏の一派の蘇我氏が天皇として振舞っていた(参考)。


⑧ 蘇我入鹿・蝦夷は殺されても、海人族安曇氏由来の蘇我氏の女系女子の末裔は女帝になれた(参考)。蘇我氏最後の女帝は元正天皇だった(参考)。


⑨ 竜宮城の主人は乙姫さん(参考)


10 後の源平合戦も海人族の手のひらでの争いだった(参考)


11 継体天皇の皇后も海人族安曇氏につながり、海部氏系図と同じく卑弥呼と思われる女性が登場する(参考)


12 現天皇家の男系男子の相続制は701年あたり以降に表に出た(参考)。以前は海人族安曇氏の母系制に隠れて、諸王朝の興亡の歴史のように見える。


13 豪族の男系ルーツは欠史八代の中の天皇につなげたようだ(参考)


14 神武天皇から欠史八代の天皇も皆、海人族安曇氏の娘達を妻にしていた(参考)