蔚山広域市の中心部と周辺をグーグルマップで俯瞰した。中心部は美しい条里制(条坊制)があったが、周辺は乱雑な街並みであった。
すなわち、
旧百済国もそうであったが、条里制の都市国家を作った民族(D2、秦氏)が追い出され、乱雑な街並みを作る民族(O2b、O3、旧新羅国人、現代韓国人)が占領、拡大したと考えられる。
実は、蔚山広域市は古代、新羅国の町であったが、さらにその前の3から4世紀末までの
三韓時代は辰韓の国の中の
于尸山国であり、後に成長する新羅国に吸収された歴史があった。この時期が神功皇后の三韓征伐にあたり、以降、秦氏の日本列島への渡来が増えた。
蔚山広域市の中心部、美しい条里制の町
北部の街並み、条里制が全く見られない!
拡大、全くまとまりが無い、典型的な韓国の街並み
参考
① 蔚山広域市、三韓時代の辰韓国に属し、于尸山国があった。
③ 于尸山国は台頭する新羅国と敵対し戦に敗れ、日本列島に逃れ、神功皇后になったと言う伝説があった(参考)
。
この神功皇后伝説と、百済国のルーツにある応神天皇伝説(
参考)の親子関係は今の所不明。
③ 熊本県の蔚山町は技術者の町だった
④ ソウル、韓国の乱雑な都市の代表
⑥ 日本における条里制地割のルーツは山東半島の斉国(春秋戦国時代)あたり(参考)
⑦ 日本で水田も住宅街も共に綺麗な条里制地割は島根県出雲市から鳥取県米子市あたりにあった(参考)
⑧ 藤原京、平城京、平安京は今でも美しい条里制地割(参考)
⑨ 日本の城下町は乱雑の方が目立つ、すなわち物部氏(呉系弥生人、O2b)と新羅人(O2bか?)とは大まかには同族であろう(参考)
注: 何故、乱雑な街並みや非条里制地割の水田の開発主を物部氏(O2b、参考)と断定するかと言うと、多くの実例があるだけでは無い。主張を刀で解決する自己主張的、非協調的気質を武士道(もののふのみち)に見るからである(参考)。