渡来人、秦氏の日本列島の移動ルート | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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秦氏にゆかりの秦、畑、端、幡などのついた地名の分布を調べた論文(参考)の表を紹介する。

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秦氏は本州西端の山口県(下関市)あたりから、瀬戸内海沿いの中国地方に居住しながら、大阪に到達した様だ。


参考

① 河内平野に入植した秦氏は、まず下関市あたりに上陸した(参考)


② 下関市に穴門の豊浦宮があったのは定説の通りだが、横野の地名は遅くとも天智天皇の時代(668年)は存在した(参考)


③ 下関市の穴門の豊浦宮が秦王国だった(参考)


④ 生野地名が下関市と大阪市にある(参考)


⑤ 豊の国(福岡県東部と大分県)が秦王国と言う説があるが、むしろ蘇我王国であった(参考)。


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