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少年犯罪事件史

2013年11月からスタートしました。少しずつ記事を書いていきます。

ここで言う傾向とは、犯罪を犯した子供への接し方ではありません。

母親の職業の傾向です。



専業主婦か、もしくは
専門職の仕事を持っている方に二分されるようです。

専門職は、教師・保健婦・保育士など、
教育者とも呼べるような職業の方が多いことに
驚きを感じます。

もちろん、みんながそうではないですが
事実であることは否めません。


その職種についている方の子供が
そうなりやすいというより

その職業についているお母さんが持つ
特徴を、無意識に子供に向けているように思います。


育児に熱心な方が多いのではないかということです。


これは、無意識の中での接し方なので
ご本人は、自覚はないように思います。


しかし、他人から見た場合

「あのママは、教育熱心だしまじめだなあ」

と、思われる方が多いと思います。


自分はまじめにしているつもりは
ないのかもしれませんが、世間から見たら
まじめな部類に属するということです。


個人的な意見ではなく、統計から
申し上げました。

「魔の1982年生まれ」「切れる17歳」といわれる世代の少年事件。
2000年5月のゴールデンウィークに事件は起きた。

佐賀を出発した西日本鉄道の高速バス「わかすく号」が17歳の少年によってハイジャックされた。
21人の乗客を人質に取り、山口・広島まで立てこもったまま進んだが、約15時間後にSATの突入により逮捕となった。加害者少年に牛刀で何度も切りつけられた女性が1名死亡、けが人もでている。
この事件は少年が、精神科に入院していたこと、犯行前に2ちゃんねるに書き込みをしていたこと、いじめにあっていたということ、高校を自主退学後引きこもっていたこと、など社会風潮的な要素を持っていたこともあり、かなりネットで話題となった。
突入・逮捕時には、ニュースで中継で放送されていたこともあり、その点でも認知度の高い事件ともいえる。



~~概要~~

佐賀市内の営業所を発車するところから乗り込むという計画的犯行であった。
さかのぼれば、母校を襲うことを計画していたのであったが、ゴールデンウィーク中ということで、矛先が別に向いてしまったということである。
突発的に行動したのではなく、計画的だと見られているものの統合失調症的な乖離状態にあったとして、医療少年院送致という判断になった。

この事件は、防ごうと思えば防げたかもしれないと、世間に非難された理由としては、加害少年が精神科に入院していたことがあげられる。
進学校に通っていた少年は、知識もあり、頭の回転も速く、どのように病院で過ごしていればいいかを分かっていた。反抗することもなく、まじめな青年を演じていた。しかし心の中では、入院させた両親を恨み、医師をも恨んでいた。
バスジャック2日前に起きた愛知県豊川市の「主婦殺害事件」の加害者が同じ年の少年であったことが、この加害少年の心を高揚させてしまったのである。その点については、入院先の手記にしるしてあるものの、病院側が気づかなかったというお粗末な見落としがあった。
走行中に窓から逃げ出して、早くに助かった乗客もいる反面、そのことで少年が激高し、牛刀で何箇所も刺されて失血死する被害者がでてしまったという悲しい事実がある。

また、この事件で日本で始めて「フラッシュバン」といわれる手榴弾が使われた。外からようすを伺っていたSATが、人質と犯人の距離が開いた隙に投げ込んだ。煙と光によってかく乱させることが出来、その使用状態はニュースでも流された。


~~時系列~~

☆少し前からさかのぼってかいています。

1998年(平成10年)3月
高校受験前のある日、少年は数人の友人に「飛び降りてみろよ」と言われて校舎2階の階段の踊り場から飛び降り、腰の骨を折ってしまった。いじめという意見が大半の中「あの踊り場はみんなよく飛び降りていて、当日も彼と仲の良かった数人が先に飛び降り、最後に彼が残った。降りた子が彼の筆箱を見せて『飛んだら返す』とは言ったけど、いじめとかそういう感じじゃなかったという同級生の話もある。どちらにしても、重症を負ったことはまちがいなく、入院先の病室での高校受験となった。
母親はこの件を「いじめ」と見なしており、学校へ足を運び相談をしていた。
受験に合格したものの、本人の希望している学校ではないワンランク下の学校であった。このことについて、かなりの劣等感・屈辱感をもっていたようである。

1998年(平成10年)4月
進学校にすすむも、わずか9日間通学しただけで不登校になる。

1999年(平成11年)5月
不登校が続いていた高校を自主退学する。
家庭内暴力が始まる。ペットへの暴力もあり両親は、加害少年にカウンセリングを受けさせるなど、外部に救いを求めるようになる。

8月
両親にパソコンをせがんで買ってもらう。このころから引きこもりに拍車がかかり、部屋に鍵をかけるようになった。よく見ていたのは、死体・警察・殺人などのサイト。

また、父親にドライブに連れて行ってもらいたいと頼むようになった。かなり距離がある場所でも、父親はできる範囲でドライブに連れて行っていた。

2000年(平成12年)2月
年明けから、ますますネットにのめりこむようになった。見るだけではあきたらず、2ちゃんねる掲示板に書き込みをし始める。ハンドルネールを使い、暴言を書き込んでいくが次第に相手にされなくなっていった。

3月4日
部屋の掃除をし、出た大量のゴミを父親と焼却しに出かける。その隙に部屋に入った母親が本音を書き綴った息子のメモを見つける。メモには犯行声明文を出したことと、すべてを終わりにしたいというようなことが書いてあった。すべてをおわりにしたいと思ったことは事実のようで、焼却したゴミは、卒業アルバムや文集などの自分の歴史や思い出のものであった。

3月5日
少年のリュックの中に包丁などの凶器があることを母親が発見する。警察・行政・医療機関に相談し、やっと受け入れてくれた精神科の閉鎖病棟に入院することになった。しかし、本人の理解は得られないままの入院措置だった。

3~4月
母親が面会に行く度に、冷静であったり激高したりと、一定していなかった。

4月26日
入院後、初めての外出許可をもらう。自宅に帰りゲームなどをして病院に戻るが、このときにカミソリを没収されている。(閉鎖病棟では、外出・外泊から戻った際には、所持荷物を確認する)

5月1日
愛知県豊川市で17歳の少年が母親殺害する事件が起きる。すぐに逮捕されたものの「人を殺してみたかった」と語り、反省が見られなかった。

5月3日
外泊許可がおり、午前中に自宅に帰る。病室で書いていた「反抗宣言」の続きを自宅でもノートに書き記す。

5月3日
12:18 2ちゃんねる掲示板にハンドルネーム“ネオむぎ茶”で書き込みをする。「ヒヒヒヒヒ」

12:20 包丁をいれたリュックを背負い、自宅を出る。

12:56 高速バス「わかすく号」に乗り込む。

13:35 少年は座席を立ち、バスジャック宣言をする。バスは大宰府インターを降りずに山口方面へ進んでいく。

14:47 女性がトイレのためバスを降りた際、警察へ通報をする。

15:35 走行中のバスから女性が飛び降りて、脱出する。

16:09 少年が、携帯から警察へ電話する。必要なものや東京へ行きたい旨を話す。

16:20 男性が、減速中のバスから飛び降りて、脱出する。直後、68歳の女性が牛刀で刺される。


16:24 男性4名が解放される。

17:50 東広島市の山陰道奥屋パーキングエリアで、警察の誘導により停車する。

19:25 女性数名が解放される。このとき、刃物で切りつけられた女性の死亡が確認される。

21:37 再び、山陰道へ入る。

22:02 小谷サービスエリアで停車し、バスの給油をする。

23:00前後 少年の両親が到着するが、説得を試みることはせず、入院時の担当医師が説得を行う。

5月4日
05:05 隙を突いて突入、逮捕となった。

5月31日
少年の精神鑑定の結果が出る。

6月6日
広島鑑別所を経て、佐賀少年鑑別所へ収容される。

9月29日
佐賀家庭裁判所第4回審判において、5年以上の医療少年院送致が決定された。

2004年
乗客22名中18名に対して少年の両親が謝罪し、示談が成立している。

2006年
少年が仮退院し、社会復帰に向けて保護観察中ということが判明した。
また、バスを運転していた男性は、今もPTSDに苦しんでおり、通院をしている。


~~生い立ち~~
 >>こちら

1988年(昭和63年)東京都足立区で事件は起きた。アルバイト先から帰宅途中だった女子高生17歳が、数人の不良少年らによって41日間、監禁。
41日にも及び監禁された女子高生は、その間、集団レイプや性器に異物を挿入されるなどの性的暴行をはじめ、酒やシンナーを無理やり吸わせる、自分の尿を飲ませる、足にライターのオイルをかけて火であぶる、真冬にベランダに裸で放置する、顔にロウソクをたらす、などといった虐待を繰り返し受けた後に、殴り殺され、コンクリート詰めにされ、東京都内の埋め立て地に捨てられた。
犯罪内容の凶悪さに加えて、加害者が未成年だったことと監禁の事実を知りながら周りが助けられなかったことなどから、大きな衝撃を与え続けた事件であった。


~概要~

1988年11月の下旬、少年2人は給料日の家庭が多いだろうと安易な発想で引ったくりを計画する。バイクで埼玉県三郷まで行くが、現金の収穫は無かった。
そこで出会ってしまったのが、バイト帰りの女子高生、Y.Jさん。自転車をワザと倒し、助けるフリをして倉庫へ連れ込んだ。ホテルに連れて行った後、少年の部屋へ連れ込み、そこから監禁が始まった。
この時少年の中には、ただ女性を好きなようにしたいという思いのほか、Y.Jさんに家を知られてしまったから、帰すわけにはいかないといった意地もあった。
数日後には6人がかわるがわる集まり、Y.Jさんを輪姦。最初の頃は、悲鳴をあげていた彼女も、声をだすと殴られることから、次第に声を出さなくなってきた。乱暴行為は、日々エスカレートし(詳しくは~時系列~に記載)家畜以下の扱い同然であった。Jさんの身体を使って人体実験を楽しんでいるような扱いであった。この間、監禁されていた少年の家の母親とは数回面識があり、話をしている。
年明け、Jさんは動かなくなった。少年3人がモルタル砂ドラム缶など調達し、Jさんの遺体をボストンバックに詰めた上でコンクリートを流し込む。東京湾の埋め立て地に行ったが適当な場所が無く道路脇の草むらに廃棄した。
3月下旬、強姦窃盗などにより少年鑑別所に送られた少年を取り調べた際、刑事がなにげなく言った(他の事件のことでカマをかけた)「お前人を殺しちゃ駄目じゃないか」に「すみません、殺しました」と自供したことから、発覚した。
『6月27日  日記を書き始めようと思います。学校の人はこの事を知らないので、嫌な事とかも全て書くつもりです。』
2005年、16歳の女の子の楽天日記は、そのように始まった。
静岡県伊豆の国市の県立高校1年の女子生徒が、母親(47歳)に劇物のタリウムを摂取させ殺人未遂容疑で逮捕された事件。その様子を楽天日記(ブログ)にアップしていた。10月に入り、母親は入院。家族が警察に相談したことから、娘である女子高生の犯行が浮上した。裁判では、女子高生はアスペルガー症候群で、一連の犯行はアスペルガーによる影響が大きいと認定され、医療少年院送致となった。母親は事件により意識不明のこん睡状態。少女の父親は事件発覚まで、少女がアスペルガーだという認識がなかった。
この事件をモチーフにした映画もでき、話題となっている。


~概要~

進学校に通う成績優秀な女子高生が、実験的に実母に猛毒タリウムを飲ませ、日々弱っていく様子をブログでアップした。
妄想的人格障がい的な要素が入っているブログであるため、どの部分が真実であるかの明確な判断ができないものではあるが、一般的な価値観ではないことは読み取れる。
ロンドンのグレアム・ヤングという殺人鬼を敬愛しており、彼女の行為にはその影響が色濃くでている。なぜなら、グレアム・ヤングは身近な人を毒殺しているからだ。
妹が猫を毒殺したことを知っている兄が、医師に相談しその医師が警察に通報した。女子高生は大量の睡眠導入剤を飲んで自殺を図るが、入院で留まる。体調の回復をもって、逮捕となった。


~時系列~

★逮捕前、薬物の購入時から書いてあります。

2005/04月
劇物ビスを薬局で購入。化学部の実験というだけで、いとも簡単に入手。

06/27(月)
楽天日記で、ブログをはじめる。ハンドルネームは「岩本 亮平」16歳の男子の設定。化学に関する専門的かつ理論的な解釈を時折、記す。

08/14(日)
全38回にわたってメールマガジンを発行する。発行部数は1回に付、約30部前後。

08/17(水)
ハムスターのアンチモンに対する耐性及びアンチモンの毒性に関する調査を2週間かけて記事にアップする。最終的に、自分自身で解剖をしたように思われる。

8/19(金)
ブログ記事に母親の体調が悪いことを記す。この後も、具体的な様子を記事に載せる。自分の体調の悪さも細かく分析して記述。

08/24(水)
近くの薬局でタリウムを購入。女子高生としては「簡単に入手できた」らしいが、薬局は「夏休みの宿題で必要である」からと押し切られて売ったといっている。

08/25(木)
2ちゃんねるに酢酸タリウム購入した件を投稿する。(証拠は無いので断定できないが、加害者の購入日と一致することから、ここへ記載。)

09/25(日)
母親が、明日入院することを記す。

10/02(日)
母親が救急車で入院したと記す。

10/11(火)
学校で、母親のことを泣きながら話し同情を惹き、簡単にできるものだと記す。

10/16(日)
最後の更新記事。
蒼ざめた馬の通る道に、規則は存在しない。暗闇を進む足跡は草木を枯らし、死を招く。其処に生命は宿らない。在るのは寂しい同じ形。

10/20(木)
母親の症状について、兄が医師と警察に相談する。以前に妹が猫を毒殺した件、今も挙動不審な点があるなどを話す。
当該女子高生が大量の睡眠導入剤を飲み、入院する。

10/31(月)
女子高生の回復をもって、逮捕となる。

11/14(月)
地検沼津支部は、鑑定留置を沼津簡裁に請求。精神鑑定のため、12/17までの鑑定留置が認められる。

2006/05/01(月)
5回目の少年審判が静岡家裁沼津支部で開かれる。医療少年院送致とする保護処分となった。期間は「相当長期間」。「少女は幼児期から発達上の問題があり、人格のゆがみも認められる。是非を識別し、行動を制御する能力がある程度阻害されていた」と認定。その上で「審判で 否認から非行事実を認めるに至っており、非行の重さと向き合う出発点に立った」と結論付けた。


~生い立ち~

>>こちら
2006年(平成18年)6月20日火曜日の早朝、奈良県田原本町で住宅が全焼し、住人3人が焼死する。医師である一家の主人は、当直医で不在のため無事、犠牲になったのは妻と幼い次男と長女。このとき不在で行方不明だった長男16歳が放火の犯人であった。


~概要~

始まりは、抑圧された少年の父親殺害計画から。世間から表面的に見ると、申し分のない家庭環境にある少年には、大きな心の闇があった。父親からドメスティックバイオレンスを含む虐待を受けていた。
闇が大きすぎて、家族に話すこともできず向き合うことも出来ず、少年が思いついた闇の解決方法が、父親を殺すことしか思いつかないほどしばられた環境にあったことが分かる。
1学期の中間テストが終わった6月のある日、少年は自宅の放火を決意。保護者会が開かれる日の早朝、少年は自宅の階段に火をつけた。サラダ油をまき、コンロで火をつけたタオルを放つ。眠っていたであろう少年の継母33歳、弟7歳、妹5歳が焼死体で発見された。本人は行方不明であったが、数日後に京都市内で発見され犯行を認めた。


~時系列~

★事件より少しさかのぼってから書いています。

2006/06月
高1の中間試験の結果がでる。英語1がクラス平均より20点下回っていたため、父親に殺されると思い、報告できずに隠していた。

06/19(日)
明日 06/20 の保護者会で、中間試験の成績のうそが父親にばれてしまうと思い「殺されるほど殴られる」と恐れる。暴力から逃れる手段として既に放火を考えてはいた。継母から父は用事で帰ってこないと聞くが、もう時間がないと、父親がいなくても実行しなければと決意。

06/20(日)
早朝 04:15 少年は目覚める。目覚ましは02:40 にセットしていたので、あわてて飛び起きる。
計画を実行する前に、逃げるための準備を始める。貯金箱からお金を出し、連絡が取れないように携帯電話を破棄した。1階のキッチンに行き、調理用のサラダ油を2本撒く。タオルに火をつけたものを放った後、燃え広がるのを確認せずに家を飛び出す。逃げ道をふさぐために階段近くに火を放った反面、寝ている家族が逃げれるように、彼らの避難経路を確認している。このことから、父親以外に計画的殺意はなかっただろうと推定される。
ボンっという爆発音がし、近所で火事が確認される。
鎮火したのは 06:00 くらい。3人が亡くなったのは、そのちょっと前の 05:15 だと推定される。三重で当直医をしていた父親が駆けつけたときには、全焼していた。
少年は、自宅をでてから徒歩で近鉄線橿原線の大和八木駅へ。
06:30ころ、駅前のタクシー乗り場のベンチに横になる。
08:30ころ電車に乗り京都へ向かい、近辺をうろつく。
一旦、奈良駅に戻った後、再び烏丸御池に行き野宿する。

6/21(月)
前日から引き続き烏丸御池の公園で野宿した。滑り台で寝ているのを目撃されている。

6/22(火)
00:00近く、公園で寝ていたが寒さで目が覚める。停車中の軽自動車に勝手に乗りこむが、寒さをしのげず、民家に入ろうと考える。お腹もすき、W杯日本・ブラジル戦(実際は23日が試合)を観たい欲望もあり、実行してしまった。
00:00すぎ、民家に侵入。窓から入り電話線も切断している。冷蔵庫をあけジュースを飲み、ソファーでサッカーを観ようとしたがすぐに寝てしまう。翌朝、家人声をかけられ逃亡。あとになり、騒動になっていないか気になり侵入した家の方に戻るが、この時に警官に声をかけられ下鴨警察署で保護。ここで家族3人が焼死したことを聞き、放火を認めた。

07/13(木)
事件後、父親は初めて少年に面会に行き、話し合う。そのときの様子は記事に公開されている。

08/02(水)
奈良家裁、第2回審判において弁護士は 07/13に面会した時の様子を記したメモを提出。

10/13(金)
少年の精神鑑定の鑑定書が奈良家裁に提出された。診断は、広汎性発達障害。幼少期からの父親の暴力により持続的抑うつ状態だったとした。

10/20(金)
第3回審判が奈良家裁で行われる。審判で長男は父親を前にし「昔は父親に殺意があったが、事件後自然に消えた。罪を償った後、父親と一緒に暮らしたい」と述べた。また、少年が通っていた高校の保護者の有志らが、寛大な処分を求める約3000人の署名を集め、家裁に提出していたことが分かった。

10/26(木)
奈良家裁は、犯罪の要因の一つに広汎性発達障害の影響が強く現れているとして、中等少年院送致とする保護処分を決定した。
父親は「(長男を)追い詰めたのは私。死ぬまで罪を背負う」とコメントを公表。

2012/02/13(月)
家庭裁判所からの依頼により少年を精神鑑定した医師が、ジャーナリストの草薙厚子から鑑定資料を開示してほしいと要求され、それを基に草薙が著書を発行したことに対して、鑑定医が刑法第134条の秘密漏示の罪で起訴され有罪判決となった。


~生い立ち~

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