呑気な頼さん

呑気な頼さん

私の暮らす磐余の里は桜井市の南西部一帯の古き地名。日本書紀・古事記・万葉集などに数多く登場し十二代もの宮都が置かれた町です。大物主の鎮座する神山「三輪山」の麓には日本最古の市である「海柘榴市(つばいち)」や「仏教天来の地」、日本最古の道「山の辺の道」が通じてます。

 

今日の磐余の里は少々雲の多い一日でしたが、快い一日になりました。また、昨日はピンクムーンとよばれる満月でしたが生憎の雨天となり、今宵一日遅れの月です。4月の満月は「ピンクムーン」とよばれます。 鮮やかなピンク色の花が咲く頃であることから名付けられました。そんな中、今宵は一杯飲みながら焼き鳥と焼き鳥丼を食しました。

 

 

 

 

日本の国民食『カレーライス』・・
今日の磐余の里は時々雨の曇天でした。そんな中、カレーのCMを見たので、今宵は野菜カレーです。カレーライスといえば、家庭料理としてもキャンプなどのアウトドア料理としても定番のメニューとしてよく作られる国民食の一つになりました。カレーライスの歴史はインドからイギリスに伝わるときにご飯とセットで伝わったため、日本には最初から「カレーライス」として入りました。栄養価の高いバランス食であるカレーは次第に軍用食として広まり、戦後は給食から国民食になりました。 

 

 

 

今日の磐余の里は 雨日和、1日のんびりしてました。そんな中、日本独特の料理でもあるオムライスを作ってもらいました。京都で流行ってるデミグラスソースをぶっかける、ふわとろオムライスもたまに作りますが、昔ながらのオムライスです。ウスターソースをぶっかけて食すと最高です。勿論飲物はアルコールフリーの麦酒ですが、麦茶の方が美味いかもです。

 

 

 

 

今年も新緑に包まれる日本最古の大神神社に祀られる大物主と橿原神宮に祀られる神武天皇ゆかりの出雲屋敷跡、平地から新緑が三輪山へと移り快い季節が訪れました。また桧原神社へと続く山の辺(へ)の道沿いでは、山藤が少し高いところからハイカーの皆さんを出迎えてくれます。この出雲屋敷跡(いづもやしきあと)は別名「高佐士野(たかさじの)」とよばれ三輪山の麓、狭井川の川縁近くにある七乙女伝説の地です。

 

 

伝説ではこの地で暮らしていた七人の乙女たちのことで、その中の一人、伊須気余理比売(いすきよりひめ)を大久米命(おおくめのみこと)が初代天皇である神武天皇に勧めたところ、神武天皇は伊須気余理比売をすぐに気に入り妃にしました。出雲屋敷跡の由来として、出雲は素戔男尊・須佐能袁命(すさのおのみこと)の子孫、大国主命(おおくにぬしのみこと)を神とする出雲神話の地です。この三輪の神は大物主(おおものぬし)とよばれ、大国主命の分身とされます。その大物主の娘たちが住んでいたので出雲屋敷とよばれたそうです。
 

 

また神武天皇(神倭伊波礼琵古命・かむやまといわれひこのみこと)は、九州高千穂出身の高天原系、それに対し伊須気余理比売は出雲系です。この高天ヶ原系と出雲系が結婚することにより、この二つの系譜や神話が一つに統合され、初代天皇誕生へと発展します。伊須気余理比売(いすけよりひめ)は古事記に伝えられる神武天皇の皇后。その出生にまつわる物語は、丹塗矢(にぬりや)の神婚説話です。三輪の大物主が美女、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に思いをかけ、その用便中に丹塗矢と化して陰部(ほと)を突きました。丹塗矢は立派な男に変じて姫と結ばれました。その後、生まれたのが富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)ですが、後に「ほと」の名を嫌い、改めて伊須気余理比売とされました。伊須気(いすけ)は「いすすき(身震いする)」、余理(より)は神霊の依(よ)り憑(つ)くという意味合いがあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふわとろ『たこ焼き』・・
今日の磐余の里は夏日となりました。相変わらずの事で黄砂が飛来してますが、周りの山々が見えることから、昨日よりは少しは少ないかもです。そんな中、今宵は不覚にも感染症の神に祟られて微熱が続いて食欲が落ちたので、たこ焼きを作りました。ただひとつ何時もと違うのは「酒」が無いと言うことです。かれこれ10日ほど禁酒してま~す。これって、私にとってはもの凄くどえらいことです。癌は近くに無いものの胆石か見つかったし💦

 

 

 

 

磐余の里も大陸から黄砂が飛来、周りの山々も霞んで見えない状態です。神々が鎮座する三輪山も山笑う季節が到来しましたが、黄砂に包まれてぼんやりと見える状態です。この黄砂は中国大陸内陸部のタクラマカン砂漠、ゴビ砂漠や黄土高原など、乾燥・半乾燥地域で風により数千メートルの高度まで巻き上げられた土壌、鉱物粒子が偏西風に乗って日本に飛来、大気中に浮遊あるいは降下する現象で、その濃度が高くなると、大気環境に与える影響も大きくなります。

 

 

 

■右手の森は卑弥呼の墓とされる箸墓古墳です。後ろには薄らと二上山や、高天原があったと伝わる金剛葛城山です。

 

 

■右端に大鳥居が見えます。後ろには天香山です。

 

 

綱越神社の不思議
日本最古の大神神社摂社、綱越神社は川禊の初瀬川から国道169号線、大鳥居手前右側の鎮守の森に位置します。祭神は最強の祓戸大神(祓戸四柱)ともよばれ「瀬織津比咩(せおりつひめのかみ)、速開津比咩(はやあきつひめのかみ)、気吹戸主(いぶきどぬしのかみ)、速佐須良比咩(はやさすらひめのかみ)」です。さてこの綱越神社の拝殿に立つと分かると思いますが、拝殿中央と本殿中央は一列に並ぶのが普通ですが、このお社は三輪明神摂末社、唯一何かを避けるように、本殿が中央から右にズレてるのが特徴です。それは玉垣内の本殿左側下を見ると分かります。四角い石が斜めに埋まる形で見えます。幾度も玉垣内の造功(ぞうく)されてますが移動されることなく、この場所に埋められてます。親父(元僧侶)はこの石は祓戸神の要石(かなめいし)だと教えてくれました。また諸説があると思いますので、ご存じの皆さんが居られましたらお教えくださいね。また鳥居の右側、社名の石碑横には辺津岩座のひとつが鎮座します。

 

 

 

 

 

 

■拝殿の中央と本殿の中央が右にズレるのが分るでしょうか。

 

 

 

■祓戸神の要石(かなめいし)です。

 

 

 

■鳥居の右側、社名の石碑横には辺津岩座のひとつが鎮座します。

 

 

牡丹桜『桜餅』・・
今日の磐余の里は雲の多い一日でしたか、気温は夏日でした。そんな中、牡丹桜が咲き出すと何故か無性に食べたくなるのが桜餅です。物価高騰で桜餅も若干小ぶりになりました。この桜餅に使う葉っぱは塩漬けすることで、毒素が中和されて無害になり桜の良い香りを届けてくれます。この桜餅は関東方面の皆さんからするとエッ!と驚かれるかもwww

桜餅は春の訪れを感じる和菓子の一つですが、じつは大きく分けて2つの種類があって「関東風桜餅(長命寺桜餅)、関西風桜餅(道明寺桜餅)」です。どちらも由緒正しい桜餅ですが、由来や起源が異なり、食べられている地域も異なります。この2つの桜餅、名前は同じですが、使われる材料や見た目も違って食感もまったく別物ということから、同じ名前でも別の食べ物と思ってよいと思います。 

 

 

 

 

日曜日のサラメシ『八重桜と桜飯』
今日の磐余の里は夏日と言えるほどの暖かさです。こんな日は散歩ということで、中学校の川縁を歩くと、八重桜(白妙桜)が木から溢れるように咲いてました。そんな中、無性に桜飯を食べたくなったので、アルコールストーブで炊きあげました。桜飯は醤油味で具のない素朴な炊き込みご飯です。単純に研いだ米に醤油、酒、味醂などを加え炊き上げたご飯で、炊きあがった時の色が、薄い桜色に見えるのがよび名の由来とか。 ほんのり醤油の味がして、お焦げが最高の味を出します。また静岡県の学校給食の定番メニューとして出ていたそうです。 他の地方にも同じような「茶飯」というのがあります。但し関西ではご存じないと思います。

 

 

 

 

黄緑色の桜『御衣黄桜(ぎょいこうざくら)』
今年も三輪明神禊ぎの川、初瀬川の土手に御衣黄桜が色づき出しました。別名は「七色桜」ともよばれます。桜は春を告げる花であり、散り際まで美しいことから、多くの人々が己の人生と重ね合わせてきた花です。また桜と言えば「染井吉野、山桜」ですが、珍しい桜の品種、黄緑色の桜「御衣黄桜」も有名になりました。御衣黄桜は四月下旬頃に緑色の花を咲かせます。古くから知られる珍しい花色の桜で、開花したときは緑色、次第に緑色は薄れて黄緑色から黄色になり、やがて中心部が筋状に赤くなります。御衣黄桜という名前は江戸時代中期から見られ、由来としては貴族の衣服の萌黄色(もえぎいろ)に近いことから御衣黄と名付けられました。