今年も新緑に包まれる日本最古の大神神社に祀られる大物主と橿原神宮に祀られる神武天皇ゆかりの出雲屋敷跡、平地から新緑が三輪山へと移り快い季節が訪れました。また桧原神社へと続く山の辺(へ)の道沿いでは、山藤が少し高いところからハイカーの皆さんを出迎えてくれます。この出雲屋敷跡(いづもやしきあと)は別名「高佐士野(たかさじの)」とよばれ三輪山の麓、狭井川の川縁近くにある七乙女伝説の地です。
伝説ではこの地で暮らしていた七人の乙女たちのことで、その中の一人、伊須気余理比売(いすきよりひめ)を大久米命(おおくめのみこと)が初代天皇である神武天皇に勧めたところ、神武天皇は伊須気余理比売をすぐに気に入り妃にしました。出雲屋敷跡の由来として、出雲は素戔男尊・須佐能袁命(すさのおのみこと)の子孫、大国主命(おおくにぬしのみこと)を神とする出雲神話の地です。この三輪の神は大物主(おおものぬし)とよばれ、大国主命の分身とされます。その大物主の娘たちが住んでいたので出雲屋敷とよばれたそうです。
また神武天皇(神倭伊波礼琵古命・かむやまといわれひこのみこと)は、九州高千穂出身の高天原系、それに対し伊須気余理比売は出雲系です。この高天ヶ原系と出雲系が結婚することにより、この二つの系譜や神話が一つに統合され、初代天皇誕生へと発展します。伊須気余理比売(いすけよりひめ)は古事記に伝えられる神武天皇の皇后。その出生にまつわる物語は、丹塗矢(にぬりや)の神婚説話です。三輪の大物主が美女、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)に思いをかけ、その用便中に丹塗矢と化して陰部(ほと)を突きました。丹塗矢は立派な男に変じて姫と結ばれました。その後、生まれたのが富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすきひめ)ですが、後に「ほと」の名を嫌い、改めて伊須気余理比売とされました。伊須気(いすけ)は「いすすき(身震いする)」、余理(より)は神霊の依(よ)り憑(つ)くという意味合いがあります。