女としての旬
鏡を見て、明らかに老いを感じる瞬間があってそりゃもう、今年35歳ですから。理解してる、老いが追いかけて来ることなんて。段々と「女としての旬」が終わってそのうち「人としての旬」が終わる。ご両親が亡くなった人が書いてた世代交代を感じる次は私なんだと肌で感じるそのうち嫌でも人生の店仕舞いを感じる瞬間が来る。段々と自分の人生の後片付けをする感覚を理解する時が来る。「女としての旬」に抗いたい気持ちと旬なんて言ったやつ誰だ一生旬だぞ?なんて言いたい気持ちと女としての旬と人としての旬は違ったと理解する気持ちと人生にも旬があるのかもしれない、なんて子育ての楽しい時間を過ごしているとひやっと思う瞬間があったりして。勢いで動いていた私が最近そばにいなくてなにを手に持って動いていけばいいのか模索していたりします。嫉妬が尊敬に変わった瞬間にあぁあそこには行けないと感じたんだと自分の人生の立ち位置を理解してたまらなく悔しい気持ちになったりね。自分が出来ることをしようには、悔しい気持ちも隠れてるんだなと大人になって気付きました。アレにはなれないから自分の出来ることを、な気持ち。みんなきっとそんな辛酸を舐めて人生を生きていたりするんだろうな。どうせなら、死ぬ手前まで人生の旬であって欲しいです。そんな風に生きてたい。死ぬ手前で答え合わせしますね。