木下英範のブログ -3ページ目

未来が不安定だからそこ、世界は安定している

今我々が生きている世の中において、なぜ未来が予測しえないのか、一つの方面から説明しよう。


たとえば未来が完全予測できたとしよう。これは現在から未来へ向かって探信(ping)を送り、それが返ってくるということを意味する。現在から未来へ一方的に信号を送るのは問題ないが、未来から返信が届くというのは法則に反する。これは未来から見れば過去へタイムトラベルしているということになる。


過去に行けるということは過去を改編できるということだ。過去へのループバック回路がある宇宙では局所的あるいは全体的に激しい変化が起こる。ループバック回路というものは増幅機能を持っているので、いったん回路が形成されてしまえば、影響は瞬時に極限まで変化する。頻繁にループバックが起こる宇宙では物質は安定して存在し得ないだろう。知的生命が誕生するには十分に長い時間と安定した環境が必要であるとするならば、このような宇宙(過去に戻れる宇宙)ではそれを理解する者が現れない。


数々の宇宙が生まれてきた(マルチユニバース)として、今のような法則を持った宇宙(過去に戻れない)だからこそ、それを理解し得るものが生まれたのだといえる。


話を戻すと、今我々の宇宙において未来に探信を打って戻ってこないということは未来が不確定だということを意味する。未来はある程度予測し得るが、完全に確定はできない。未来を確定するには過去に情報を送る必要がある。つまり、「過去に戻れない」と「未来は不確定である」は同義である。よって「未来が不安定だからこそ、世界は安定している」という一見逆説的な定理が成り立つのである。


●未来にしか行けない宇宙(我々の宇宙)

木下英範のブログ-未来にしか行けない宇宙


この宇宙では未来へのタイムトラベルは可能だが、それは「影響を未来へ送る」ということでしかない。



●過去へも行ける宇宙


木下英範のブログ-過去へも行ける宇宙

閉じた回路が形成されるため、宇宙のあらゆる時点でフィードバックが発生してしまう。フィードバック回路は発振(ハウリング)するため、その点でのエネルギーが極大になり、崩壊してしまう。このような宇宙は安定的に存在できないだろう。



新しいチェスのやり方

語録

「リスク(risk)」という言葉は、イタリア語のrisicareという言葉に由来する。この言葉は「勇気を持って試みる」という意味を持っている。この観点からすると、リスクは運命というよりは選択を意味している。われわれが勇気を持ってとる行動は、われわれがどれほどに自由に選択を行えるかに依存しており、それはリスクの物語のすべてでもある。この物語こそリスクが人類にとってもつ意味を明らかにしてくれる。
(ピーター・バーンスタイン「リスク」より)

2階建てバス飛び移り

ただ「知るためだけに」生きる

何のために生きるのか。経済的に成功するため?幸せになるため?子孫を残すため?誰かのため?どれもあるだろう。しかしただ単に「知りたい」から生きる。それだけでいいのではないかと思う。


社会人になると勉強の大切さを痛感する。社会人学校はいつでも盛況である。そして社会人学生は現役の学生に比べて至極真面目だ。何のために勉強するのだろうか。もちろん仕事に役立てるため、自分自身の向上のためである。しかしそれが本当に仕事に役立つのか、自分の価値を向上させるのか、本当のところはわからない。多くの社会人大学の宣伝文句は「実践で役立つ」だ。そして受講者たちはそれが自分の仕事にどれだけ役に立つか知ろうとする。そこで取得できる資格にこだわる。


しかし、そこで学んだことが本当に実践で役に立つのか、資格が本当の意味で社会のためになるのか、そんなことはわからない。だから単に「知りたいから」で選んでよいのだ。仕事のために資格を取らなくちゃという勉強で本当に面白いだろうか。真の意味で身につくだろうか。


仕事とかなんの役に立つかとかそんなの関係なく、「知りたいから」勉強すればいいのだ。それがなんの役に立つかは後で決まることだ。往々にして発明とか発見とかいうものは、「何かを発明したいから勉強する」とか「発見したいから知識をつける」というのではなくて、全然関係ない知識が結びついて、ある時ふっと出てくるものだ。さらに、その発明なり発見が社会の役に立つようになるのはずっと後になってからというのが大半だ。


興味あるもの、面白いと思うことを縦横無尽に勉強していけばよい。知的好奇心に素直に従えばよい。たとえ勉強したことがなんの役に立たなくても、俺は知りたいことを知るのだ!と胸を張って生きていけばいい。


生きる意味を「幸せになるため」と定義するのも否定はしないが、幸せというのはどんなに環境が恵まれていようとも、コロッと不幸に転換したりする。幸福と不幸は振り子のように行ったり来たりするものだ。それならば「知るために生きる」としたほうがすっきりとする。


人間は時間を知識に転換して生きている。人生80年として、生まれた時点で70万800時間の可能性を持っている。生まれた時点での知識はゼロだ。生まれた瞬間からこの時間を消費して知識や経験に変えていく。この知識や経験こそがその人の価値になるのだ。そして知識というのは積み重ねだ。あるときコロッとなくしてしまうものではない。生きている限り積み重なっていくのだから心強いではないか。どんな経験をしたって、成功したって失敗したってそれは知識として積み重なる。


「知るために生きる」には他人の大切にする必要がある。だって他人はすべて先生なのだから。生まれたばかりの赤ちゃんにだって学べるところはたくさんある。


苦難にめげずに頑張っている人がいる。逆境の中にあって前に進もうとする人がいる。何度失敗しても立ち上がる人がいる。その原動力はどこにあるのだろう。それはきっと深いところでは、その先に何があるか知りたいから。人類がここまで来たのはただ「その向こうに何があるか知りたい」というたった一つの動機だったのではないか。そう思うと、生きる意味も、学ぶ動機も、「知りたいから」というたったこれだけの単純なものでいいんだと思う。ただ知りたいから生きて、生ある限りできる限り多くのことを知り続けて、そうして「自分は知りたかったことをこれだけ知ったぞ!」と満足して死んでいけたらそれでいいんだ。


いろんなものに目を向けよう!自分の興味を発掘していこう!好きなことに時間を忘れて没頭しよう!それがなんの役に立つかなんて考えなくていいさ。僕らの宇宙は複雑で深遠で興味深く、でも法則にのっとっていてちゃんと人間が理解できるようにできている。これってすごくありがたいことなんだよ。

Journeys of Reemus

犬による馬の散歩

どうして梅雨になるの?


木下英範のブログ-梅雨


今日は関東地方の梅雨入りが発表されました。ところで梅雨はどうして起こるのでしょうか?梅雨は梅雨前線の停滞によって引き起こされます。


では梅雨前線はどうして発生するのでしょうか?前線とは気団(同じ性質の空気が集まって高気圧をなしているもの)と気団の境界です。冷たい気団(寒気団)と暖かい気団(暖気団)がぶつかるところは大気が不安定になり雨が降りやすくなります。気団は高気圧なので常にそこからは空気が流れ出しています。


冷たい空気に比べて暖かい空気は軽いので、両者がぶつかると、暖かい空気は冷たい空気に乗り上げる形で押し上げられます。すると暖かい空気は冷やされて、含まれていた水蒸気が飽和状態になり、雲ができるのです。


日本列島の周りには様々な気団が存在しますが、梅雨前線を引き起こす気団は「オホーツク海気団」と「小笠原気団」です。寒気団であるオホーツク気団は北海道の北、オホーツク海上空に位置しています。一方、暖気団である小笠原気団は列島の南東、小笠原諸島上空にあります。冬の間、太平洋上に停滞していた小笠原気団は、春の訪れとともに北上してきます。小笠原気団、オホーツク海気団とも海から蒸発した水分をたっぷり含んでいるので、前線では大量の雨を降らせることになります。


気温が上がってくると小笠原高気圧の勢力も強まり、海からはどんどん水分が蒸発しますので、強い雨が降るようになります。ですから梅雨は終盤が一番激しいのですね。


やがて小笠原気団の勢力が十分に強くなると、梅雨前線は日本海側に押しやられるか消えるかして、梅雨明けとなります。梅雨が明けると、夏の間は小笠原気団に支配されます。ですから日本の夏は湿っていて蒸し暑いのですね。小笠原気団の勢力が強いと猛暑になります。


反対に秋になると今度は太平洋高気圧の勢力が衰え始め、同時に前線も戻ってきます。これが秋雨前線で、9月中旬から下旬にかけての長雨をもたらします。


梅雨の時期は、人間にとってはじめじめしてうっとうしいのですが、春の雨は青葉を育て、秋の雨は実りをもたらします。日本の自然環境にはなくてはならない雨。ありがたい存在でもあるのです。


ところで余談ですが、傘を忘れたとき雨の中を走ったほうが濡れなくてすむのでしょうか。それとも歩いたほうが濡れなくてすむのでしょうか。歩くと目的地に着くまでに時間がかかるし、走ると面積の広い体の前面に雨を浴びることになるので、どちらがよいか少し悩むかもしれません。


この問題を研究したアメリカの博士によると、正解は「走ったほうが10%濡れなくて済む」でした。私も大学生の頃、霧の研究をしていたので計算してみたのですが、たいだい同じ結果になりました。たしかに走ったほうが濡れないのですが、よく考えてみると一生懸命に走ってもたった10%しか違わないのです。私はこの結果を知ってから雨の中を走るのをやめました。


ただ、大学でこの研究結果を報告したときは、教授に「へぇ~、テーマとぜんぜん関係ないじゃん」と言われただけでした。この結果をうけてから勉強に走るのをやめました。



※このコラムは2005/06/10に他ブログで執筆したものです。

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