西陣に住んでます -3ページ目

ミスター・スポック 長寿と繁栄を・・・

spock



「人生の師」というものは、その教えを受けているときにはわからなくても、後になってその存在を確信するということも多いかと思いますが、今思えば、私の人生の師はSFドラマ「スタートレック」ミスター・スポックだったと思っています。事実を素直に受け止めて論理を展開することによって真理に忠実に生きるスポックの理性的なスタンスは極めて魅力的でした。そんなスポックを演じた俳優のレナード・ニモイさんが先週末永眠しました。この静かなショックによって、この一週間かなり集中力を欠いていた私です。

ロサンゼルス
(昨年、ハリウッドのチャイニーズシアターで撮った手形)

スポックは論理を重要な価値観とするバルカン星人の父と感情を重要な価値観とする地球人の母をもっています。おそらくまったく別の進化を遂げた生命体では当然のことながら染色体が大きく異なるため、宇宙結婚による出産というのは絶対無理だと思うのですが、そのあたりはサイエンス・フィクションなので大目に見るべきだと思います(笑)。

さて、バルカン人と地球人のハーフのスポックは、論理的思考と感情的思考が同居するヒューマノイド生命体といえるのですが、バルカン人の論理で地球人の感情をコントロールしているため、地球人からすると、「心がない」ような人物に見られがちです。↓こちらの映像に見られる「Fascinating(魅力的~!)」という言葉にも感情が全くこもっていないのがわかります(笑)



ここで、スポックの印象的な映像を↓より詳しく見てみたいと思います。



この映像の中で、スポックの習性を特徴的に表しているのは次のシーンです。

2:30 -
I'm half Vulcanian. Vulcanians do not speculate. I speak from pure logic.
私はバルカン星人とのハーフです。バルカン星人はけっして憶測を言いません。私が言うことは純粋な論理からきています。


基本的にスポックの言動はバルカン人そのもののように聞こえます。

5:10 -
Logic is a little tweeting bird chirping in a meadow. Logic is a wreath of pretty flowers which smell bad
論理は、草地の中でさえずる可愛い鳥のようなものです。また、論理は、ちょっぴり臭う可愛い花輪のようなものです。


スポックは、ちょっぴりアイロニーを効かしたジョークを飛ばしています。これは地球人の一面であり、バルカン星人にはないキャラです。

9:32
Your mind to my mind. Your thoughts to my thoughts. The bullets are unreal without body. They are illusions only, shadows without substance. They will not pass through your body, for they do not exist, unreal, appearances only. They are shadows, illusions, nothing but ghosts of reality. They are lies, falsehoods, specters without body. They are to be ignored.
あなたの心は私の心に。あなたの考えは私の考えに。銃弾も通り抜ける実体のない体。それは、ただの幻影であり、実体のない影です。それはあなたの体を通り抜けることもない。というのも、それは存在していないし、現実のものでないし、ただ見えているだけだからです。それらは影であり、幻影であり、ただの幽霊でしかない。それは、嘘・偽りで実体のない亡霊であり、無視すべきものと言えます。


スポックは精神融合を行うことができますが、これは科学的にかなり怪しいと言えます(笑)。スポックが唯一オカルティックになるイロジカル(非論理的)なシーンです。

10:38
May I say that I have not thoroughly enjoyed serving with humans? I find their illogic and foolish emotions, a constant irritant.
言わせてもらうと、人間と付き合うのはまったく面白くないです。彼らは非論理的で、愚かな感情を持っていて、いつも不愉快になります。


これはスポックに感情があることを示すものです(笑)。

以上のように、スポックは一見論理をかざした非人間のように見えて、実際にはありがちな人間性を垣間見せています。これがスポックの最大の魅力だと私は思います。

特に死を目前とするようなギリギリの状態になるとはっきりとした感情を見ることができます。これは日本の武士のスピリットとも共通するものであり、日本人が理解しやすいところです。ただ、スポックと武士が本質的に異なるのは、スポックの感情が論理に支配されているのに対して、武士の感情が「武士道」という倫理に支配されている点であると考えます。ここで倫理というものは、宗教と同じような特定の価値観に基づく思想であり、私たちの行動規範となる大切な哲学です。ただし、この思想が間違うと悲劇が生まれることになります。このことはさておき・・・

↓こちらの私が最も大好きなシーンでも、スポックは最後までハザードを最小化する最適化の論理に従って行動し、最後に人間らしさを見せてくれます。



このように、論理で感情を抑制することで理性的に行動し、必要な時に感情を見せるというスポックのスタンスには大きな魅力を感じるところです。

さて、そんなスポックを最高に好演してくれたレナード・ニモイさんには、深く感謝する次第です。映画で描かれたスポックの葬式のシーンは、レナード・ニモイさんを偲ぶのに最適な映像とも言えます。



そして何よりもバルカン星人の儀礼である
「長寿と繁栄を(Live long and prosper)」という言葉が
深く心に刻まれます。



中指と薬指を離すこの挨拶の方法、
実は私も実生活でたまにやってます。
わかってくれる人には、わかってくれるのですが、
わかってくれない人には、
新興宗教にでも入ったかと思われるんですよね~(笑)

レナード・ニモイさんのご冥福をお祈りします。




はてなマーク今夜の土曜ワイドの犯人予測はてなマーク[土曜ワイド劇場]

「タクシードライバーの推理日誌」
東京~浜松 ドライブレコーダーが録画した二重殺人の謎

夜明日出夫>>渡瀬恒彦
神谷警部>>>平田 満
本橋芙美子>>床嶋佳子
高宮昇一>>>田中 健
本橋明則>>>国広富之
瓜生雅彦>>>窪塚俊介
土屋刑事>>>渡辺 哲
東山秀作>>>風見しんご
馬場刑事>>>正名僕蔵
国代刑事>>>小林 健


土曜ワイドの犯人さがしって、とにかく事前情報が少ないんで、
論理的に考えるのが本当に難しいんですよね~。
ただ、そもそも、放映もしてない番組の情報が少ないっていうのは
極めて論理的ですね(笑)。

「下鴨神社境内のマンション計画」報道に思う

下鴨神社




世界遺産の下鴨神社の境内にマンションを建設する[毎日新聞] ということで、テレビメディアが一斉に報道し、観光客や地域住民に街頭インタヴューしてその是非を問いました。


事情がわかっていない人が、そんなことを街頭インタヴューで問われれば、否定的な意見を述べるのが自然と思いますが、案の定その多くは否定的意見でした。


それに対して、私は下鴨神社の判断は至極まっとうであると考えています。


科学的な文明の発達に伴って、日本人の神への信仰心も薄れていると言えます。これはある意味、合理的な現象であると思いますが、宗教的収入に基づく日本の伝統文化財保存のための財源確保という点では非常に残念な方向性であると思います。京都の社寺も必ずしも例外ではなく、私も少ないながら寄付したり、桜や紅葉の季節を中心に定期的に拝観するようにしています。特に、神社の場合には基本的に拝観料を徴収しないため、その収入確保にあたっては、地域の氏子の寄付に頼る割合が多くなります。


そんな中での下鴨神社の今回の意思決定は、合理的なオプションの一つであったと考えます。ただ、そもそも、このマンションを建てるという「整備計画地」が、神域を意味する厳格な意味での「下鴨神社の境内」であるかというと、そうとは言えないと私は思っています。下図は整備計画地付近の航空写真です。整備計画地は世界遺産エリアとは自動車が普通に通行する御影通で隔てられています。


下鴨神社


もともとこの場所は一部が駐車場として使われているとともに研修道場のビルも建っています。さらに一時期はゴルフ練習場だったとされています。つまり、この整備計画地は、下鴨神社の所有する土地ではありますが、信仰に関係する境内と言える場所ではありません。事実、下鴨神社を何度訪れたかわからない私自身、一度も踏み入れたことのない場所です。そのような事情も説明することなく、テレビメディアは下鴨神社が神域を切り売りするかのように報道しているわけです。


そもそも下鴨神社は高野川と賀茂川の合流点に位置する場所に位置します。これは境内にある「河合神社」の名前の由来にもなっています。


下鴨神社


賀茂川の上流には下鴨神社の主神である賀茂健角身命の子を祀る上賀茂神社があり、高野川の上流には賀茂健角身命が常駐している御蔭神社があります。賀茂健角身命は葵祭の時にだけ御蔭神社から高野川を下り、御蔭通を通って下鴨神社の神域に入って来るわけです。したがって、信仰的な意味でも整備計画地は直接の神域の境界の内側、つまり境内ではありません。世界遺産エリアこそが真の意味での境内であると言えます。


信仰的な意味からこの整備計画地で唯一信仰対象となるものといえば、境内を流れる重要な小川(御手洗川、ならの小川、瀬見の小川)の下流部です。この小川は整備計画地の境界を通り、鴨川に至ります。むしろ整備計画地にマンションを作ることでこの小川をしっかりとプリザヴェイションできるのではと思います。


信仰的な知識を有しているとは思えないマスメディアのいい加減な報道によって、下鴨神社に悪い印象が付与されるのはいたたまれないことです。



宮田佳代子氏の玉川徹氏に対するセクハラ発言に見られる報道の問題点

宮田佳代子氏



2015年2月26日(木)放映のテレビ朝日「モーニングバード」において、番組コメンテイターの玉川徹氏に対して、同じく番組のコメンテイターの宮田佳代子氏と松尾貴史氏、そして番組キャスターの羽鳥慎一氏とサブキャスターが次のような発言をして冷笑を浴びせました。

宮田氏
「玉川さん奥さんいないですよね。そこからですよね。まずは。」

羽鳥氏
「答えにくい話だ。また眠れなくなっちゃうぞ。」

松尾氏
「睡眠導入にすごく効きますよ。」

宮田氏
「じゃぁ今日渡してあげる。終わったら。」

サブキャスター
「玉川さんの緊張が一気に高まったところで何とかしてもらいましょう。」

以上、番組出演者の玉川氏に対する宮田氏の発言は、たとえば、アメリカ合衆国の職場であったら確実にセクハラ認定される事例であると思います。カリフォルニア州の会社組織では、異性の秘書がいる場合にその秘書が結婚しているかどうか知らないて働くのが普通であり、結婚しているかどうか秘書に尋ねることが高額の訴訟問題になることは常識です。ただ、そのことはあえて触れずに、この記事では、宮田氏、羽鳥氏、松尾氏、そして「モーニングバード」の何人かのコメンテイターのセクハラに対する過去の発言を分析し、その発言と今回のセクハラ発言および野次が極めて無責任なダブルスタンダードであるということを検証するとともに、テレビ番組の出演者の中には、心にもないことを話して大衆の感情を操作する人物が存在することを示したいと思います。

まずは、↓こちらのyoutube映像を注意深く見てください。

[玉川徹氏に対する宮田佳代子氏のセクハラ発言]


テレビ朝日「モーニングバード」では、2014年6月の東京都議会における塩村文夏都議へのセクハラ野次に関する報道を1週間にわたり長時間をかけて放映しました。ここで、鈴木章浩都議による「早く結婚した方がいいんじゃないか」という野次は、明らかに不適切なセクハラ発言であると私は思います。ただし、その一言について、1週間にわたりヒステリックに個人攻撃するほどの事案であったかとなると、私はそうは思いません。鈴木議員が謝罪をして反省を込めた会見を開いた段階でもう少し冷静に議論すべき事案であったと考えます。朝日新聞の吉田調書誤報のような大問題ですらたった1日しか放映しなかった情報番組が、この問題についてヒステリックに取り上げ続けるのは異常なアンバランスであったと思います。ただ、「モーニングバード」が大きな社会問題であるセクハラに強い関心を持って大々的な集中報道を行ったこと自体は、いわゆる報道の自由の観点から見れば理解できないことはありません。

ここで、youtube映像を見ればわかるかと思いますが、「モーニングバード」のコメンテイターおよび司会者は、鈴木都議の発言に対して次のような主張を示して批判しています。

「早く結婚しろ」という発言は卑劣である(赤江氏)
「早く結婚しろ」という発言は問題外である(羽鳥氏)
セクハラ発言に伴って周りが笑う雰囲気は許せない(塩村氏)
セクハラ発言は許されていはいけない(崔氏)
セクハラ発言は恥ずべき行為である(吉永氏)
セクハラ発言は腹立たしい(前田氏)
公の場でのセクハラ発言は本音の表れである(前田氏・羽鳥氏)
セクハラ発言をした人物は自らけじめをつけるべきである(青木氏)
セクハラ発言はうやむやにはできない行為である(岡安氏)
セクハラ発言は日本が進んでいく道の障害である(石原氏)
セクハラ発言を生んだ組織に自浄作用の発揮を望む(岡安氏)
セクハラ発言をした人物は時代の風を感じ取る能力が低い(高木氏)
セクハラ発言をした人物は辞職すべきであると感じる(高木氏)
異性に結婚を勧めるのは単純にセクハラである(岩上氏)
セクハラ発言は言葉を使った痴漢行為である(岩上氏)
セクハラ発言が通用しない時代であると認識すべきである(岩上氏)
笑いが起きたということはセクハラの意識の表れである(羽鳥氏)
セクハラ発言に無意識でいることこそ問題である(高木氏)
中傷の意識がないことは逆にさらに怖い行為である(羽鳥氏)
合いの手のような言葉の選択はどうなのかと思う(羽鳥氏)
セクハラ発言は原始時代みたいな扱いである(WSJ投稿者)
セクハラ発言にはその都度毅然として対応すべきである(赤江氏)
セクハラ発言の内容は言語道断である(羽鳥氏)
セクハラ発言のさらなる追及をしない態度には疑問がある(宮田氏)
周辺の人は絶対にセクハラ発言を把握している(松尾氏・宮田氏)
周辺の人は自分たちが発言すると損だから発言しない(松尾氏)
セクハラ発言は世界中に恥をさらすことになりかねない(松尾氏)
セクハラ発言を容認する人物が多く存在する(玉川氏)
「早く結婚すればいい」と思っている人物が多く存在する(玉川氏)
セクハラ発言の被害者は少数派であるが存在する(玉川氏)
セクハラ被害を憂う人が増えていかなければならない(玉川氏)
セクハラ対策という観点で日本は世界に後れている(玉川氏)


これらの発言はヒステリックであるものの、おおむね合理的な主張であると言えます。そして、今回の問題に対する「モーニングバード」のコメンテイターの共通した論理は次の3つの三段論法で説明することができます。

大前提:異性に結婚を勧めるのはセクハラである。
小前提:鈴木章浩都議は異性に結婚を勧めた。
結 論:鈴木章浩都議はセクハラを行った。


大前提:セクハラ行為は許されていはいけない。
小前提:鈴木章浩都議はセクハラを行った。
結 論:鈴木章浩都議のセクハラ行為は許されていはいけない。


大前提:セクハラ行為に伴って周りが笑う雰囲気は許されてはいけない。
小前提:セクハラ行為に伴って東京都議会は野次をとばして笑った。
結 論:東京都議会は許されていはいけない。


このような論理で番組は鈴木都議と東京都議会を糾弾したわけです。

さて、この問題で「モーニングバード」が主張した上記の論理は、ジェネリックな論理であり、鈴木章浩都議および東京都議会のみに適用すべきものでないことは自明です。換言すれば、鈴木章浩都議のような発言をした人物に対しては同様の論理を適用すべきであると言えます。

そんな中で、宮田氏は玉川氏に対して「奥さんいないですよね。そこからですよね。まずは。」と発言し、周りにいた羽鳥氏と松尾氏は野次を飛ばしたわけです。彼らには、次のような論理が適用されるべきです。

大前提:異性に結婚を勧めるのはセクハラである。
小前提:宮田佳代子氏は異性に結婚を勧めた。
結 論:宮田佳代子氏はセクハラを行った。


大前提:セクハラ行為は許されていはいけない。
小前提:宮田佳代子氏はセクハラを行った。
結 論:宮田佳代子氏のセクハラ行為は許されていはいけない。


大前提:セクハラ行為に伴って周りが笑う雰囲気は許されてはいけない。
小前提:セクハラ行為に伴って羽鳥氏と松尾氏は野次をとばして笑った。
結 論:羽鳥氏と松尾氏は許されていはいけない。


そもそも、宮田氏は「一般の職場でも、発言することはなくても(結婚すればよいと)思っている人、そういう目にあっている人がやっぱりいっぱいいるのかな。」とヒステリックに発言していますが、この「発言することはなくても思っている人」というのが宮田氏自身でした。つまり「発言することはなくても思っている人」が「発言することはなくても思っている人がいっぱいいる」として確信的に世間を批判していたわけです(笑)。この場合、明らかに鈴木都議はスケイプゴートとして使われたと言えます。

もちろん、羽鳥氏と松尾氏も鈴木都議をスケイプゴートとして使っています。まず、羽鳥氏に関していえば、異性に結婚を勧めた鈴木章浩都議のセクハラ発言の内容は言語道断である旨の発言をしていることからわかるように、今回の宮田氏の発言の合いの手のように野次を飛ばした行為は、明らかに確信犯であると考えられます。何といっても「答えにくい話だ。また眠れなくなっちゃうぞ。」というのは、この番組の基準でいえば、卑劣な野次と評価するに十分であり、番組の論理によれば、許されてはいけない行為ということになります。また、羽鳥氏の野次が仮に確信犯ではなく無意識な行為であるとしたら、それはさらに怖い行為であると言えます。なぜなら、羽鳥氏の主張によれば、中傷の意識がないことは逆にさらに怖い行為であるということだからです。そもそも、羽鳥氏は、笑いが起きたということはセクハラの意識の表れであると主張すると同時に、合いの手のような言葉の選択はどうなのかと思うとも発言していました。つまり、羽鳥氏がセクハラを確信的に容認して野次を飛ばしたとしても、無意識に野次を飛ばしたとしても、羽鳥氏が、羽鳥氏の基準でいうところの「許されてはいけない」人物であることに変わりはありません。一方、松尾氏も今回の宮田氏のセクハラ発言を確信的に把握していて野次を飛ばしたと考えられます。なぜなら、松尾氏は、都議会でのセクハラ騒動の時に、周辺の人は絶対にセクハラ発言を把握していると主張していたからです。ただ、松尾氏が宮田氏のセクハラ発言を把握していたことを認めるかというと、まず認めない可能性が高いと考えられます。それは、上述の松尾氏の発言を参照すればわかるように、そう発言するとが損であることを松尾氏自身が十分に知っているからです。

なお、断わっておきますが、上記の議論の価値判断はすべて「モーニングバード」での価値判断であり、私の価値判断はまったく介入していないことに注意してください。宮田氏・羽鳥氏・松尾氏の行動は、彼ら自身の基準によって「セクハラ発言」であると認定され、彼ら自身の価値感によって「許されない行為」であると認定されるものです。つまり、彼らの基準や価値観を尊重すればするほど、彼ら自身が糾弾されるべき人物であることが明確になります。そして彼らの言葉を尊重すれば、彼らこそ職の辞任を含めたけじめをつけるべき人物であると言えます。

その一方で、玉川氏が、同様のセクハラ行為で被害を受けている人々のサイドに立つ真のジャーナリストであるのであれば、少数派のためにも、公私混同を排除して厳格に宮田氏、羽鳥氏、松尾氏の行為を追及すべきであると考えます。彼らが玉川氏に行った行為は、公共の電波に乗って日本全国に放映されました。この映像を見て絶望感を味わったセクハラ被害者もいた可能性があります。公共の電波に乗って放映された段階で、この事案は玉川氏が彼らを許して済むような問題ではなくなっています。報道機関としてのテレビ朝日のジャーナリズムの姿勢が問われる重大な事由であるとも考えます。

何よりも大切なことは、このような番組によって感情を弄ばれている視聴者の方々が、その不都合な真実を確実に認識することであると考えます。少なくとも、今回の事例において、宮田氏・羽鳥氏・松尾氏は、自らが犯してしまうような行動を犯した鈴木議員と都議会を過度に問題視してヒステリックに批判することで番組コンテンツのネタとしたことは確かです。

セクハラの根絶は社会にとって非常に重要な課題です。このためには、ヒステリックな批判を単純に繰り返すよりは、むしろセクハラ発生のメカニズムを冷静に分析して、これを防止するジャーナリズムが望まれるところであり、その内容を冷静に伝えることこそがメディアの責務であると考えます。。

偽物のジャーナリズムが社会から排除されることを強く望む次第です。

言論の自由を脅かす古賀茂明氏と仲間たち

古賀茂明


2015年2月25に日本外国特派員協会で行われた「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」という会見で古賀茂明氏は、「日本の報道は機能を失いつつあり、政府の独裁と戦争に至る三段階のうち、第二段階にある」と主張しました。そもそも、日本において、表現の自由は日本国憲法第21条で規定されています。

1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

「翼賛体制構築に抗する声」という古賀氏の一派は、ISIL人質事件報道にあたってこの表現の自由が侵されていると主張し、古賀氏の言説に対してテレビ朝日の上層部に抗議の電話をした(古賀氏談)とする日本政府および4月以降の古賀氏の出演を禁止した(古賀氏談)とするテレビ朝日の上層部を批判しました。



この会見のうち、古賀氏の言説を以下に詳しく見ていきたいと思います。ちなみに、古賀氏のこれまでのISIL問題についての発言の問題点については、↓こちらにまとめてあります。

[イスラム国の術中にハマった古賀茂明氏のアイアムノットアベ発言]
[報道倫理を著しく逸脱した古賀茂明氏のイスラム国報道における言説1]
[報道倫理を著しく逸脱した古賀茂明氏のイスラム国報道における言説2]


古賀茂明氏:
古賀です。よろしくお願いします。今日本の報道は機能を失いつつあります。現在は治安維持法もありませんし、特高もないんですけれども非公式な形で報道の機能喪失というものがかなり進んでいるというのは私の認識です。報道の正しい機能が失われると独裁と戦争につながっていくというのは、過去の歴史から私たちが学んだことだと思います。いろいろな表現の仕方はあると思いますが、私は報道が機能を失うことによって独裁そして戦争へ進んでいく過程を三段跳びになぞらえてホップ・ステップ・ジャンプということで表しています。まずホップの段階は、政府の側からマスコミに対して圧力をかけたり、あるいは懐柔の手段を使って自分たちの思うことを書かせ、あるいはいやなことを書かせないということをやろうということで、政権の側からイニシアティヴをとるというのがホップですね。そして「ステップ」の段階に入ると、そうした日常的な政府からの介入にだんだん慣らされてしまった報道機関の方が自らトラブルを避ける。あるいは政権に擦り寄って権力の側にいるという利権を享受するということのために自ら正しいことを書かない。政府批判をしないというふうに自己抑制をしてしまう。自粛してしまうと、これが報道機関の側からそういう動きになってしまうというのがステップの段階です。現在はそこまで日本の状況は進んでいるという風に思っていますが、これが進むと、正しい情報が国民につながらない。したがって、民主主義の大前提である国民の知る権利というのが失われていくことによって、国民が正しい判断ができなくなるということにつながります。その結果、最終的には選挙というもっとも民主的な手段・手続き、最も民主的であるはずの選挙という手続きを経て独裁政権が誕生すると。来年の参議院選挙で自民党ないし与党が3分の2をとるのかどうかというのが、一つのポイントになってくるかもしれませんが、その最後のステップという段階はそんなに遠くない可能性があるというふうに思っております。以上です。


古賀氏は、現在を「日常的な政府からの介入に慣れた報道機関が自らトラブルを避け、政権に擦り寄って得られる権力側の利権を享受するために政府批判を自己抑制している」段階にあるとしています。もし、古賀氏のこの言説が真実であるのならば、その言説をサポートする合理的証拠を国民に開示すべきであると言えます。その証拠が合理的であれば、国民は当然古賀氏を支持するはずです。しかしながら、古賀氏はその証拠を一切開示しません。これは極めて不合理な行動と言えます。そのような不合理な行動をする理由として合理的に考えられることは、古賀氏がそのような合理的証拠を持っていないで、単なる憶測で言説を述べているということです。これは、UFOウォッチャーや宇宙人ウォッチャーと基本的に同じスタンスです。

ここで重要なこととして、マスメディアには社会的な報道の責任があります。日本民間放送連盟放送基準には、報道の責任(6章)として、「ニュースは市民の知る権利へ奉仕するものであり、事実に基づいて報道し、公正でなければならない。ニュースの中で意見を取り扱う時は、その出所を明らかにする。」と規定されています。つまり、もし政府やテレビ朝日上層部が古賀氏の言説を批判しているとしたら、それは「言論の自由の侵害」ではなく「テレビ放送における憶測の自由の濫用に対する注意」です。テレビ放送で事実に基づいていない憶測を自由にしていたら、例えば「古賀氏は逮捕すべき危険人物である」のような言論が事実に基づくことなくテレビで放映され、実際に古賀氏が権力に拘束されるようなことにもなりかねません。つまり「憶測の自由」による暴論の濫用が蔓延ることで「言論の自由」が侵されてしまう可能性があります。古賀氏が「報道ステーション」のISIL報道で行ったような放送基準を逸脱した非論理的な言説を批判することは、言論の自由を将来にわたって確保していくための極めて常識的な予防措置であると考えます。


質問者:
今回、自粛・萎縮をとにかくしないようにということなのですが、皆さんに伺いたいのは、なぜそのような自粛・萎縮がそれぞれの分野で行われるような事態を招いているのですか。具体的にそれぞれの実際の当事者達にどのような不都合が生じる、あるいは生じている、あるいは生じかねないので、皆さん、批判をすることを止めてしまっているのか。もし具体的なものがあるのであれば、それこそ皆さん、それぞれの分野でご同僚がなんか皆自粛しているということであれば、それとも漠然とした空気の支配みたいなレベルのものなのか。 そこをどなたでももしご意見があれば結構ですのでお願いします。

古賀茂明氏:
もうひとつ今の状況に特徴的なのは、各社のトップが安倍政権に擦り寄っちゃっているという状況があるんですね。これは過去と比べると珍しい状況だと思います。 トップが安倍政権支持だということが明確になっていると、当然その下の役員クラスとかそういう人たちはサラリーマンですので、あまり安倍政権に逆らわないほうが出世できるなという、報道とかなんとかとはまったく違うレベルで安倍政権批判を控えたいというふうになります。現場じゃなくて上のほうが。そしてその結果、下の方はどう考えるかというと、今までは政権からクレームが来た時に、そんなの放っておけということができたんですね。ある程度。要するにそれは自分たちが正しいと思ったことを報道すればいいんだという一番当り前な報道の姿勢というものをとれたんですけれども、それがだんだん、それをやると、上から怒られるということが起きます。たとえば、私が「I'm not abe」ということを発言したときに何が起きたかと言ったら、プロデューサーが報道局長と政治部長に呼ばれて吊し上げになるわけですね。 そんなことを年中やられたら仕事にならないわけです。そういうことが起きた。それはなぜかというと、トップが安倍にすり寄っているからなんです。トップが別に中立だというふうにわかっていれば、政権からクレームが来ても、そんなのは言っていることがおかしいから無視すればよいと、それで済むのですけれども、トップが安倍支持だということがハッキリわかって、一緒にご飯を食べたり、ゴルフしたりして、携帯電話の番号もらって喜んでいるという会長がいるんですね。実際に驚くべきことですけれども。そうなっていると、下の方は戦おうと思っても戦えない状況になっているということですね。

古賀氏は日本の報道各社のトップが安倍政権に擦り寄っている合理的証拠を見せるべきです。もし証明できれば、それこそピュリッツァー賞ものでしょう(笑)。多分証拠はないでしょうけど。それと、プロデューサーが報道局長と政治部長に呼ばれて指導されていたとしたら、それは「政権からクレームが来るような真実の報道」をしたからというのではなく、「政権からクレームが来るような憶測の報道」をしたからと考える方が合理性が高いと私は思います。古賀氏の憶測の自由の濫用は、[事実関係]を細部まで知らない視聴者に大きな誤解を与えるに十分な内容であったと考えます。また、自社の報道の問題について検討した上で組織を正しい方向に導くこと自体は、報道内容の責任者として当然の責務です。番組のプロデューサーの言い分がすべて正しいと考えていたら、それこそ言論の自由の侵害です。


司会者:
一つ追加の質問なのですけれども、古賀さんのケースというのは日本について重要なケースだと思いますので、この場ではっきりと今から報道ステーションの方は、そういった立場でクビになられたのか?そしてどういった理由が言われているのかについて、もしこの場ではっきりと言っていただければ、お願いいたします。

古賀茂明氏:
またこれ間違えるといろいろと大変なことが起きますので、これは怒られるといってもテレビ朝日から怒られるだけなんでので、菅さんから怒られるんじゃないんで、あまり怖くはないんですけれども、正確に言うと、私とテレビ朝日との間で特に年に何回出演してくださいという契約があるわけではありません。ですからテレビ朝日の立場から言えば、その時その時でお願いをしているので、別にクビにするということではないということですけれども、私が聞いているのは、来週誰を呼ぶのか、来月誰を呼ぶのかというのは、各番組のプロデューサー中心に決めるわけですが、私の場合はちょっといろいろ忙しいので3ヶ月くらい先まで決めるんですね。今まで、ですから、毎月1回出て下さいという話がベースにあって、具体的な日程は2ヶ月、3ヶ月先まで決めましょうということだったんですけれども、明確にもともと去年から報道局長が私の出演を嫌がっているという話があったということは聞いておりましたけれども、この間、1月23日の発言以降は、「4月以降は絶対出すな」という厳命が下っているというふうに。私は報道局長に直接言われてないので、直接聞いてみたいと思いますけれどもそういうふうになっている。それは、もちろんトップの意向を反映しているというふうに私は理解しています。補足しますと、なぜ4月からかというと、3月までもう日程が決まっていたんですね。私が出演するという。3月は6日と27日に出演する予定ですけれども、さすがにそれをキャンセルすると、おそらく皆さんから非常に大きな批判が出るだろうということで、4月以降は決まっていなかったので、4月以降出演禁止だということだと思う。テレビ朝日の昨日の社長会見では、記者の人から聞いたんですけれども、私の出演について「別に何も決まっていることは何もない。」というふうに社長がおっしゃったそうですし、それから「官邸から一切圧力を受けているとは承知していない」というふうに何回か聞かれてもそういうふうに言い張ったそうです。

外注先に問題がある場合、新たな業者に代えるということは健全な企業行動と言えます。特に「日本人はイスラム国と仲良くしたい」と[極悪非道なテロリスト]との友好を唱えた古賀氏を出演させないことは、行動基準で反社会的勢力との絶縁に取り組むと謳う放送局としては極めて当然な合理的判断であるといえます。


司会者:
Thank you, Koga san, we all are going to watch carefully March 27th appearance. and I hope you make a historical appearance.

外国人特派員協会の司会者が最後に述べた言葉は日本語に訳されなかったので訳しておきますと「ありがとう、古賀さん。私たち一同、あなたの3月27日の番組出演を注意深く見ようと思っています。なんかやってくれることを望みます。」ということです。ちなみに、外国人ジャーナリストは基本的に日本のスキャンダルを好む方向にあり、ネタを提供する朝日新聞や古賀氏のような人物はalways welcomeの対象です。


さて、この「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」というグループは、そもそも、「ISILの事件発生以来、現政権の施策・行動を批判することを自粛する空気が国会議員、マスメディアから日本社会までをも支配しつつあることに、重大な危惧を覚えざるを得ない。」ということで、次の3点を危惧しているようです。

(1)人命尊重を第一に考えるなら、政権の足を引っ張る行為はしてはならない
(2)いま政権を批判すれば、テロリストを利するだけ
(3)このような非常時には国民一丸となって政権を支えるべき

まず、(1)について、「現政権が足を引っ張るべき政権である」ということが合理的な言論によって証明されれば、現政権は足を引っ張られるべきだと私は思います。ただし、古賀氏の非論理的な言説をもって政権の足を引っ張るような行為をするのは極めて不合理といえます。(2)についても、政権が合理的に批判されるべき政権であるのならば、テロリストの存在ににかかわりなく批判すべきであると思います。ただし、古賀氏の非論理的な言説をもって政権を批判すれば、テロリストを利するだけであるといえます。そして、(3)についても、政権を支えるべきでない合理的理由があるのであれば、非常時であっても国民一丸となって政権を支えるべきではありません。ただし、古賀氏の非論理的な言説では政権を支えるべきではないという結論には至りません。特別に政府を否定する理由がない限り、このような非常時には国民一丸となって政権を支えるべきだと思います。国が危機に見舞われたとき、事実に基づかない不合理な議論は国を危うくします。一体何の利益があって、不合理な議論で自分たちのプレゼンスをアピールして、政府批判するのか本当に意味がわかりません。

最後に、今回の「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明」という会見には、他にマッド・アマノ氏が参加していて風刺画を発表しました。

古賀茂明

もちろん、この風刺画を発表するのは表現の自由であり、誰も抑制すべきではないと思います。ただし、この風刺画を批判するのもまた表現の自由です。首相を反社会的組織の殺人者に仕立て、古賀氏をテロ事件の犠牲者に仕立てるというのは、あまりにも直接的でウィットにかけていることはもちろんのこと、被害者のご家族に対する配慮を著しく欠くものです。テロに対する国民の嫌悪感を利用している点も品がなく、典型的なプロパガンダ(扇動)です。国民の感情を弄ぶ手法は多くの国民に理解されず、「翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者」が構築しようとしている翼賛体制には国民の賛同が得られないのではと素朴に思う次第です。

古賀茂明

春節の金閣寺は中国人旅行者で一杯!

金閣寺



今、中国は旧正月の春節です。

中国の旧暦は太陽太陰暦なので、節分を中心に前後しますが、

今年はもっとも遅い時期の春節(2月19日から)と言えます。

京都にもたくさんの中国人がヴィジットしています。


実は今日、春のような陽気につられてなんとなくブラついているうちに

なんとなく金閣寺の近くにたどり着いた私なんですが、

中国人の団体に引き寄せられるように

金閣寺に吸い込まれて入っていきました(笑)


金閣寺の門の中に入っていく↓この人たちは、

多分、中国語を話す団体客です。

残念ながら、私の中国語のヴォキャブラリーといえば、

ジュンチャンサンシキイーペーコーくらいなので(笑)、

はっきりとはわからないのですが、

言葉の雰囲気から、まず中国語だと思った次第です。


金閣寺


中国人旅行者は、数年前はあまりマナーが良くないという評判で

苔庭に踏み込んで写真を撮っているのを私も見たことがありますが、

最近は洗練されてマナーを守って旅行を楽しんでいるようです。


唯一減点するとすれば、

修学旅行の先生用のいす↓にちゃっかり座っていたことくらいです(笑)。

ただ、日本語の説明しか書いてないので、無理もないことです。


金閣寺

多くの中国人旅行者は団体で京都を巡っているようです。


金閣寺


拝観券売り場にも中国語はありませんでした。


金閣寺


まぁ、「金閣寺参拝志納料」というのが、

ホントは中国語なのかもしれませんが(笑)


そんな感じなので、

団体客の通路よりも個人客の通路の方が断然すいています。

金閣寺


さて、今日も金閣寺は素晴らしい風景を魅せてくれていました。


金閣寺

ちなみに金閣を眺望する↓この場所にいた人たち、

おそらく95%は中国人&台湾人旅行者です。

みんな笑顔で記念撮影していました。


金閣寺


ちなみに、よく中国人旅行者に偏見を持っている日本人がいますが、

私が知る限り、ここ数年の中国人旅行者は

マナーもしっかりとしたまともな人が多いと思います。


ただ、彼らはあまり↓この手のTシャツを買わないみたいなんですよね(笑)


金閣寺


この手のTシャツを着ているのは、

圧倒的にアングロサクソン系が多いです(笑)


それと、意外にも近くの北野天満宮では中国人旅行者をあまり見ません。

↓ここに並んでいる人たちは多分みんな日本人です。

中国人は日本まで来て

中国の国の花である梅を見ないでもいいと思っているのかもしれません。

なお、平安神宮ではよく見るので、

「神社」を避けているわけではないようです。


北野天満宮


ちなみに、神社は正面を開けるというのが作法であるため、

正面に並ぶのは正しくなく、

並ばないで横からちゃっかり参拝している人が正解と言えます(笑)


北野天満宮の梅が本格的に開化するのはもう少し後です。


北野天満宮


とようけ茶屋は相変わらず大人気です。中国人旅行者はいないようでした。

実は私もこの店の料理がぼちぼち好きで、

並ばないでも入れるときにちゃっかり入ってます(笑)


とようけ


なお、京都は、もちろん日本語が公用語ですが(笑)、

標識には、英語・韓国語・中国語がしばしばサブで使われています。


西陣地図


西陣地図


バスのアナウンスもそうで、

最近私は中国語のヒアリングを楽しんでいます!


京都市バス


とはいっても、

漢字の音読みとちょっと似てるかな?

ってとこだけ、ただただ確認しているだけにすぎませんが(笑)。


ちなみに、今京都はすいててとってもいいですよ!!!